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学会遠征編 7日目 敗走

はじめに

この記事は学会遠征編 6日目 タイの学会|シナモンパン (note.com)の続きです。まだ読んでいない方はこちらも確認してみてください。シリーズ化しているので、最初から読むと話が分かりやすいかと思います。以下常体

学会遠征編 1日目 徳島への移動日|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 2日目 徳島の学会と鳴門の渦|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 3日目 徳島観光|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 4日目 淡路島観光と明石市|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 5日目 バンコク上陸|シナモンパン (note.com)
学会遠征編 6日目 タイの学会|シナモンパン (note.com)

ホテルからの旅立ち

 CRAZY、奴はもう日本行きの飛行機に乗ってしまったことだろう。
 2024年3月19日火曜日、時刻は午前9時。今日は少しゆっくり起きた。僕は大学の学会出張でバンコクまで来ているが、取り決めの都合上、学会開催日の翌日の便に乗らないといけない。そこで今日は飛行機に乗るのだが、帰りの時間は現地時刻で22:05の他は朝一番の便しか直行便はなかった。僕はその夜の便で帰るのだが、CRAZYはなぜか朝に帰るようである。一緒に予約する段階では同じく夜で予約していたはずなのに、なんとも不思議な現象が起きてしまったようだ。ただ、残された僕にはまだ時間的な猶予がある。ラスト1日思いっきり楽しもう!!
 とはいうものの、昨日に引き続きお金が無いという課題はクリアしていない。結局この問題は、電車1線路分歩くことによって解決することにした。マップで調べたら7kmあるそうだが、今のハイな自分にとっては大した問題ではない。昨日は10km歩いた。大阪を、和歌山を、果てには徳島のよくわからん場所を、ただひたすらに遊牧民のように歩き続けた自分にとっては、7kmなど徒歩圏内である。そこの心配は全然なかった。むしろ、歩きながら街並みを楽しめるのでうれしいまである。デッドラインは空港に21時。この時間には荷物検査も出国の手続きも全て済ませておきたい。18時に空港につけば夕ご飯も余裕を持っていただけるだろう。タイムリミットは9時間。そう考えれば全然余裕だった。とはいえ空港まで歩くとなると40kmもあるのでさすがに苦行である。スーツケースもあるのでそんなに身軽ではないのだ。
 まずは準備運動だ。名残惜しいので、チェックアウト前にもう一度ホテルのプールとジムを見てきた。見るだけ、とはいっても記念に25kgのダンベルを両手に1つずつもって前や後などに動かしてみた。それだけなのでそんなに時間はかからなかったが、スタッフからすれば利用時間が短すぎると驚いたようだったが、最高の笑顔で僕をジムから見送ってくれた。さすが微笑みの国。あのスタッフの笑顔は今まで生きてきた中で最高の笑顔だった。次来るときはみっちりワークアウトしたい。
 部屋に戻って荷物の支度をした。こういうところでよく忘れ物をするのが自分なので、冷蔵庫に、ロッカーに、ベッドの下。部屋の中をくまなく確認し、忘れ物なしで脱出できた。ちなみに、例の500mlのビンは2本をスーツケースに、もうあと2本をリュックに入れて、飲みながら歩く作戦を実行することにした。キャップもコルク栓もないのでどうしても開けたビンは片手で持ち歩くことになるが、それでも喉が渇くよりは全然いい。水2Lとビン4本分でけっこう重くなったが、道半ばで干からびるより全然いい。飲み干したら適宜ごみ箱を見つけて便を捨てていけば問題ない。こうして熱帯の町を練り歩く冒険が再開されたのだ。

スーツケースへの労り

 一昨日バッポン通りまで歩いたので、その道まではよく知った景色である。他に気づいたこととしては、歩行者信号の音だろうか。日本では2種類の鳥の鳴き声だが、こちらは縦方向も横方向も同じ音で、青信号の時間が少なくなるとテンポが速くなるというような、焦燥感を掻き立てる音となっていた。また、日本の信号は片方の道が赤になってからもう片方が青になるまでに若干間があるが、タイではそんなゆとりはなかった。すぐに通行可になるため、見切り発車も込みで車のフライングが早い早い。名古屋の運転が安全に思えてしまうほど混沌を極めた道路事情である。しかも今はスーツケースを引いているので、何かあっても反射的に動くのは難しい。まだ自分一人だけなので良かったが、他の人と一緒に来ていたらこんな無茶な歩行旅は繰り広げなかっただろうなと思っている。というかそもそもタクシーが割り勘で安くなるので、無理せずタクシーを乗り回していたことだろう。
 しばらくまっすぐ進んだ。片手に持つ水は時間を待たずにぬるくなっていく。カバンの中の回復アイテムも有効期限の短いことだろう。日本で有名な某大型雑貨屋を前にしたところで1本目を飲み終えた。平日の日中だからか、そこまで人通りが多いわけでもない。その代わり、道路の混み具合は尋常ではない。花粉症のときの鼻のようにグツグツである。これは確かにバイクでスーッと通り抜けたくなるのもわかる。歩いたほうが早いくらいに車が進んでいない。どこからかけたたましいサイレンの音が聞こえてきた。この国の救急車とパトカーは似たようなサイレンでどちらなのかよくわからないが、音が演出するただならぬ緊急感は日本の物と引けを取らない。よく見てみたところ、後ろの方に救急車が頭を光らせていた。一大事である。しかし、ふとした瞬間にサイレンが止んでしまった。もしやと思い悲しい気持ちになりかけたが、渋滞の列が動き出した時に再び鳴らし始めた。ただただ音を節約していただけということだろうか。確かに、救急車の目の前を走っている車からすれば、どいてあげたいのに身動きが取れず、うるさいサイレンを聞き続けなければいけないという苦痛を味わなければいけないので、そういった配慮なのかもしれない。
 小腹が空いたので、いつぞやに買ったパンを食べた。ぱっと見はランチパックだがタイ語なので何アジ化はわからない。一口かじってみたところカニのような味がした。よく見たらパッケージにちゃんとカニのイラストが乗っていたのだ。これを市販のパンにするとは僕の発想にはなかったが、意外と美味しいので気に入った。水も順調に減ってきている。
 大通りの交差点はできることなら歩道橋を使いたい。スーツケースは持てばいいが、問題はその階段手前に立ちふさがるでかい犬である。2匹、いや3匹いた。僕は犬が苦手なので恐れおののいたが、ここで怯んでは帰国できない。勇気を振り絞って前進した。近隣の住民は何も気にせず通り過ぎているので、僕も何食わぬ顔で通ればなにもされないはずである。そう信じて通過したら、見事になにもされなかった。よくよく考えればそうだろう。こちらから挑発したわけでもなければ、美味しい香りがするわけでもない。おびえる必要などないのだ。

乗車、そして空港へ

 なんとか駅までたどり着くことができた。時刻は既に13時を超え、最も暑い時間帯になろうとしている。そんな過酷な状況下で地下の涼しいエリアに行けるのはなんとありがたいことか。ここでごはんでも食べておきたいところだ。それなりにレストランはあったが、韓国料理屋や中国料理屋など、タイ要素にかける店ばかりだったのでスルーすることにした。空港まで行けば何かしらあるだろう。そこでトイレに寄ろうとしたら、男女のオブジェクトも洩れそうな見た目をしていて面白かった。妙にリアルである。それと、念の為駅員さんに空港までの生き方を確認した。そうしたら、線が違うから上へ行けと言われた。そう、この地下鉄はブルーラインという線のスクンビット駅。南北に走る線で、僕が使用せず節約した電車の駅である。空港に行くには、エアポートレールリンクのマッカサン駅から乗る必要がある。一昨日もここで乗り換えたのを思い出した。こうしてまた地上に躍り出た。近くの駅とはいえ意外と歩いたが、マッカサン駅には着くことができた。もう乗り方はマスターしたので大丈夫だ。券売機に35バーツを入れれば空港まで行けるコインが出てくる。これを切符としてゲートを通過するのだ。この線は空中を走るので、街を一望しながら乗ることができる。なんというか、ここにきて、やっと帰るのか。行きと同じ景色だな、と寂しい気持ちがしてきた。次第に都会のビル街だった風景が住宅街、農耕地帯へと変わっていく。蒸し暑くて汗の絶えない国だったが、そこで出会う人々は明るく友好的な人が多く、そして寺院などの景色は言葉では表せないほど美しく、写真の容量が気になるほど撮って歩き回っていた。対称に、川は汚かったな…いや、長良川がきれいすぎるだけだ。日本でも平野を流れる河川はここまでと言わなくとも臭くて汚い。それと、CRAZYはちゃんと飛行機人れたのだろうか。時間は間に合ったとしても、出入国の審査でまた引っかかっているかもしれない。万が一空港で再会してしまったら思いっきり笑ってやろう、など思いながら電車は高速で前進し続けた。
 コインは改札に吸い込まれた。記念に持って帰りたい気もしたが、システム上仕方のないことだ。再びスワンナプーム空港に着いた。時刻は14時過ぎごろ。飛行機の離陸予定まで9時間以上ある。本当はもっと観光できたはずだが、お金も残りHPも少ないので大事を取ってこの選択を取った。間違ってはいないと思う。少し遅めの昼食をとりたいものだ。いろいろ探し回った。ここまで来てベトナム料理も食べた人に対して「別にタイ料理じゃなくてもいいだろ」と突っ込むのもわかるが、最後の名残惜しさでもう一度タイ料理を食べたいと思ったので、それっぽい店がないか練り歩いたのだ。隅から隅まで歩いたところ、1つよさげなところがあった。クレカも使えるらしい。そこに入ってゆっくりした。またエビチャーハン。あれは本当においしかったので、ここでもそれを注文した。あとは甘みとしてパフェもだ。普段はスイーツを注文することはないが、今日は特別疲れているのだろう。ブルーベリーが身に染みた。
 もうすることがない。疲れたので座れるところを探し、少しだけ休むことにした。スリに合わないよう、スーツケースは鍵をして、リュックとウエストポーチを抱え込むようにして昼寝した。

搭乗

 18時を過ぎたあたりで国際線の搭乗手続きを始めた。帰りもJALなので、スマホでチェックインした。もう荷物の預け入れも慣れたものである。しばらくスーツケースとはお別れだ。荷物を再三確認し、預け入れた。じゃあな、しましま。スーツケースにつけたシマエナガのストラップ"しましま"がまた僕を呼んでくれることだろう。搭乗までもうしばし待たなければいけない。まずはとりあえず明日の予定の確認からだ。明日は昼にクゥちゃんと会う。そのための手土産はもう用意してある。命のあるものがいいとのことだったので、徳島とバンコクでそれぞれキーホルダーっぽいものを買っておいた。昼飯は高くない日本食でお願いした。そして夕方からは高校の友人、武人と会う予定だったが…忙しいようなので今回はパスとなった。彼も大学院生で忙しいことは熟知している。仕方がない。夕方は一人でゆっくりしよう。あとは帰りの新幹線だ。自由席でいいので予約しようとしたが、エラーが起きてうまくいかない。おそらく、海外wi-fiではうまくいかないということなのだろう。諦めて向こうについてから考えることにした。
 あとは残りのお土産も考えておきたい。研究室の分は買った。個人に渡したい分も買った。そのため残りは家族用とバイト先だ。やっぱり王道のドライマンゴーか。ついでに自分用にチキンカレーヌードルのもとと、グリーンカレーのもとを買った。空港値段なので少々割高だが、いいものが買えたと思う。お酒も街中の仕入れ店に引けを取らないほどたくさんの種類が置いてあった。いつもの銘柄の色違いまであり、興奮するには十分なほど美しい棚が揃っていたが、税関に引っかかりそうなので買わないことにした。中には15万バーツ(60万円以上)するウイスキーなどもあったが、これは今の自分には手が出せない。ショーケースの向こうは別世界なのだ。
 時刻は21時を回り、もうそろそろ出発の時間となった。アナウンスでチケット拝見の番が来たことを知らされたのでその列に並んだが、自分の番が来たところで「君は違う」とはじき出された。よく見たら列の番号が1文字違ったのだ。恥をかいたが、周りは知らない人ばかりなのでノーダメージだ。もう少しわかりやすい列番号にしてほしいと嘆くのは負け惜しみなのでやめておこう。自分の番は一つ隣の列で、もうあと数十分後にやってくる。まだ時間があるので、小腹を満たすためにサンドイッチ屋さんに行った。そこは具材を自由に選べるところだが、そのシステムがよくわからなかったので、適当に指をさしていたら適当なものが出来上がった。暇つぶしには十分だ。そして、手持ちの最後の現金、34バーツを使って何かできないかと歩き回っていた。たいてい35バーツ以上の商品ばかりでギリギリ使えないが、やっとの思いで30バーツのプリッツを見つけた。これが正真正銘この国最後の買い物だ。残った1バーツコイン4枚は記念メダルとなった。今までは貴重なお金として大事にしてきたものだが、日本に行けばひとたび価値を失ってしまう。お金というものの貴重さと無意味さを学ぶには最適な教材となるだろう。そのプリッツも待ち時間に食べてしまった。未練はない。
 こうしてようやく改めて乗り込み準備の時間がやってきた。今度は間違いない。半券の番号を何度も確かめた。日本に帰れるというのはなんだか安心感なのか、それとも名残惜しさなのか。人生初の海外旅行で気持ちが舞い上がった3日間だった。いや、その前の徳島や淡路島なども人生で初めて行くところばかりで面白かった。やるべきミッションはすべて終えた。あとは無事に帰ってお土産を渡すだけである。飛行場ではバスで搭乗口まで移った。飛行機の席は、帰りだけ予約で来たので通路側ではなく窓側の席にありつけた。乗り込む際は窮屈だったので、もしかしたら通路側の方が便利だったのかもしれない。なんなら、通りがかったビジネスクラスの方がもっとゆとりのある空間だった。そうか、ランクが上がればあんな席も選択肢になるのか。だったらファーストクラスは…。バンコク時間22:05、飛行機は無事離陸した。


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