見出し画像

学会遠征編 2日目

概要


これは、3月14日の活動記録である。前日に徳島に上陸し、今日は学会の発表があるのだが…

決戦準備


昨日の大移動の疲れを残さず、人間の生活する時刻に起きることができた。やはり僕は、午前中から予定を入れれば健康的な生活ができるようだ。僕の泊まるホテルは3連泊で、毎回朝食のサービスがある。ビュッフェ形式なので食べられるだけ食べておきたい。そこで思った。これなら昨日はりんごに朝食を買ってもらう必要はなかったではないかと。予想できる未来ではあったが、これはこれで受け入れることにした。下着等については、着ているものの他にあと1組しかないので、できる限り毎日洗濯する必要がある。今日の分はばっちりだ。夜遅い時間は洗濯機が空いていたので、今日と明日は気持ちの良い一日になりそうだ。

会場へ

会場の徳島大学までは、ホテルから徒歩で30分ほどだそうなので、余裕をもって1時間半くらい前に出発した。スーツに着替え、荷物はリュックにパソコンとUSB、その他手続きに使いそうな書類等だ。少し重いが、疲れるほどではない。スーツケースを転がさないだけ身軽なものだ。道中で阿波踊り会館を目撃した。ここでは毎日踊り狂うイベントが開催されるらしい。阿呆になるのも悪くないが、少なくとも今ではない。とはいえ、ここでお土産を買えるという情報は持っていたため、下見のつもりで立ち寄ることにした。長くてもここにいられるのは30分程度。ロープウェイもあったが、乗る時間は確保できなかった。ある程度買いたいものの検討を付け、満足したので再び歩き始める。徳島駅を見かけたら、それが中間ポイントになるのだろう。この周辺は朝から車が多かった。信号を待とうか迷ったが、長くなりそうなので歩道橋を使うことにした。中心部は歩行者用の横断歩道がないこともあるので、この判断は間違っていないだろう。これを通過し、更に北東へ。徳島城は時間の都合上通過するだけだったが、歩いた限りはいわゆる公園という感じだった。ここで、この旅の最終日に、東京に寄るならもしかしたらと思い、武人に連絡を取ってみた。20日夕方に会えないかという要件だ。彼は高校時代の同期で東京都内の大学院生である。自分と似たような条件下にいるので忙しいのは目に見えているが、せっかく寄るならワンチャンスくらいあるかもしれない。返事は気長に待つことにした。大学が会場とはいっても、キャンパスがいくつかあるのでgoogleマップでは特定が難しい。そのため送られてきた冊子の地図で特定し、最後の信号のところまで近づいたところで見知った背中を見かけた。もしやと思って話しかけてみたら、やはり研究室の後輩で間違っていなかった。彼は翌日(15日)の発表のはずだが、どうしたのかと聞くと、まずは会場の場所の確認だそうだ。また、学会に参加するためのネームプレートを事前に受け取れなかったということなので、その手続きも先にしておきたいということだそうだ。本来、このネームプレートや案内冊子は開催日の1週間前に届くと事前に告知されていたのだが、どういうわけか直前まで送られてこなかったのだ。僕がそれを受け取ったのも、12日である。つまり、先遣隊ご一行は全員受け取れなかったということだ。後輩は、前日に車で出発した直後に家に届いたらしく、ギリギリ持っていないという悲劇を受け入れることとなったらしい。それは仕方がないとして、実際に建物の中に入った。大学の講義棟一つの多くの部屋で様々な議論が繰り広げられている。やはり、地方といえど総合大学は広い。これはおそらく理系用の講義棟なのだろう。前のセッションがまだ終わっていない時間だったので、1階の椅子に腰かけた。とはいえここですることなどないので、すぐに会場の5階まで登って行った。その廊下を練り歩いていたら、モドキと遭遇した。彼は数日前に長崎でも発表があったので、10日ぶりの再会である。僕と同じ時間帯での発表なので、残念ながら彼の発表は聴きに行けないが、同じタイミングで終わるのはある意味ありがたいともいえる。他には、サンタさんもいた。こちらは今日の午後発表なので無理して同じタイミングで来る必要はないのだが、心配性ゆえに早めに会場の雰囲気に慣れておきたいということなのだろう。待合室のようなところで、パソコン作業をしていたので、僕もそこで一瞬一息つくことにした。ちなみに、僕とモドキの発表時間は11時からのセッションだが、りんごも同じ時間・同じ階の別の教室らしい。今日は遭遇しなかったが、そのりんごの部屋でわれらがJAが座長を務めるので、僕は発表を見られることがないのだ。これだけで一安心である。もちろん、昨日遭遇してしまったときにもその話題にはなった。JAが「昨日いた奴だな」と気づくかどうかはわからないが。

発表時間

こうして発表の時間がやってきた。前のセッションが終わったタイミングで人の入れ替わりに乗じ、スムーズに席を取ることができた。後ろから見ていちばん左の窓際、前から3番目。まるで高校のときの新年度の僕の席のようだった※1。1人目の発表が始まろうとしたその時、とめどない違和感があふれかえる。もしかして…慌ててプログラム表を確認してみた。そう、部屋を一つ間違えたのだ。急いで静かに部屋を退き、隣の部屋へ移動した。発表者は出席確認のため入り口で一筆書く必要があるのだが、その紙をまさに今回収されるところだったので、慌てて存在をアピールした。これで一大事にはならなかっただろう。もはや席がないとかはどうでもいい。入り口付近で立っているしかできなかったので、まるで気分は参観日の保護者のような感じではあったが、無駄にパソコン作業せずに済むので心の負担にはならないのだろう。僕の発表の番は3人目。つくづく1番でなくて救われたと思った。その発表の様子はというと、1人目は声が小さく、何を言っているのか聞き取りづらかった。内容としては自分の研究に近いだけにもったいない。質疑応答もあまり盛り上がらなかったので、予定より1分早く終わっていた。次は2人目である。この人も声が小さくてわかりにくかったのだが、ふと自分の手前に座っている人のパソコンが目に入った時、そのパソコンには自分が書いた論文が映し出されていた。やめてくれ、恥ずかしいじゃないか。そう心が叫びつつも、いまはそんなことを気にしている場合ではない。この2人目は持ち時間があふれそうになったので、途中で座長が質問を打ち切った。こうして僕の発表時間になったわけである。教室内は混みあっているので、一度外へ出た方が前へ出やすいのだが、一瞬発表者がいない時間を作ると混乱を招くかと思ったので、狭い通路をかぎ分けて前へ出た。USBからデータを移して、いざ発表の時間である。パソコンの画面が見にくかった時のために原稿を紙にしてはいたものの、以外にも画面が見やすかったのでその必要はなかった。会場には僕の研究に詳しいHKDも来ていた。こちらは何かあれば味方になってくれそうであるが、助け舟を出してしまうと審査の対処として大きな原点を食らいそうなので、極力見守るだけとなるのだろう。そう考える暇もなく、自分の喉はオート機能で運転していた。前の2人よりかは大きく聞き取りやすいボリュームで話していることだと思う。時間もほぼぴったりの8分で発表は終わり、そのまま質疑応答となった。こちらは3分間だが、質問の挙手はそれなりにあった。4つほど質問を投げかけられたが、脳がオートモードで動いてくれているので、考える時間もなく勝手に答えてくれる。すべてこたえられる質問だったので、感触としては非常に良かった。変な罵倒や鋭い意見もなかったので、いやな気分にもならなかった。時間もちょうどで終われたので、この発表は大成功だ。決してちょろくはなかったが、この出来なら自信をつけても良さそうだ。あとはほかの人の発表を聞くだけ。とりあえず発表が無事終わったことを彼女に報告しようとスマホをカバンから取り出そうとしたとき、不審に思った。あれれ、どこにもないぞ。すべてのチャックを確認し、細かいポケットにも手を突っ込んでみたが何もない。入り口でわちゃわ茶していても邪魔なのでいったん外に出て確認してみたが、やはりどこにもない。もしかしてスマホをなくしてしまったのか。最後に確認した場所といえば、1階の座ったところだろうか。急いで降りたが、そこにはスマホがない。緊急事態だと思い、2階の本部に行き、問い合わせた。今のところそのような落し物の報告はないらしい。見つかった時の連絡のためにメールアドレスを教えてくれと言われたが、それを確認する媒体がないのである。午後もここに拘束されるのだろうか。とりあえず、1階にいる時点ではまだ手元にあったことを覚えているので、そこから記憶を辿ることにした。上ったのはエレベーターだから会談で落としたことはなくて…となれば5階のどこかか? わかった。あの待合室だ。既にほかのだれかが使っているだろうから気まずいかもしれないが、このまま大事なものが手元にない方が気持ち悪いので、思い切ってそこに向かってみた。案外すぐに見つかってしまった。ここが日本でよかった。海外なら一発ゲームオーバーともなりかねないので、次からは気を付けようと反省したのと同時に、つい数分前まで青ざめた表情で本部に問い合わせた自分が恥にも思えてしまった。必死に探した感を出すために少し時間をおいていくのもありだが、それでは多くの人を捜索隊として借り出してしまうことになるかもしれないので、すぐに見つかったことは報告した。あまりにも早い発見だったので、顔を忘れられるということはなく、よかったぁ、ほっとしてもらえたので、一件落着である。お騒がせして申し訳ない。これで結構時間を使ってしまったが、まだ自分のセッションの時間は終わってないので、会場の教室へと戻った。残り2人くらいだったが、後ろの席が空いていたので座ることができた。緊張することなく聞いても難しい内容だった。学生だけでなく、企業からも参加しているので、この発表者はおそらく某有名企業の人なのだろう。こうして自分のセッションは終わった。無事というにはアクシデントもいくつかあったが、発表自体はうまくいったので悪くはないだろう。教室を出て、モドキたちと合流する。その前に仲介人と再会した。彼はJAが座長を務める教室で聴講していたようだった。ここには彼の知り合いが多いらしい。数日前の発表で、ボコボコにしてきた人がいたので挨拶してきたそうだ。なかなかの度胸の持ち主だ。少しして、モドキもサンタさんも合流した。これで一区切りだ。これから、サンタさんはまだ発表が残っているので午後も参加するのだが、発表の終わったモドキと16日発表の仲介人は、後輩と一緒に美味しい海鮮を食べに行くとのことだった。そういえば、今の旅行計画では、海鮮を食べられないまま終わってしまいそうだ。ということなので、車に座れる空間があればご一緒したいということでついていくことにした。ちなみにサンタさんはガストで小休憩、黒は発表が16日なので一日1人でスーパー銭湯巡りに出かけているらしい。

抜け出し


ガストに吸い込まれるサンタさんを見て、仲介人は逆に羨ましそうにしていた。ここまでの長旅でご馳走を食べ続けていると、逆に普段食べている慣れ親しんだものが恋しくなるという。確かに、モドキも仲介人もこの時点から1週間くらい前に出発し、未だ旅路という状態である。超絶級の美女と結婚できた人が二流以下の人と不倫してしまったというスキャンダルはたまにあるようだが、これと似たようなものだろう。こうして後輩の車と合流、店へと向かった。その景色は、地元の岐阜と同じく、街中は車道沿いに店が並ぶものの、少し外れたら自然が豊かという感じであった。違うのは、海があるかないかである。こうして海鮮料理屋のあらしさんに入店することになった。この時点で昼の1時半ごろだが、まだまだお客さんの列は多い。先に番号だけ取ったら、車の中で待っていてよいとのことだった。さすが車社会だ。時間が来たので、店員が車の番号をもとに探し、呼びに来てくれた。店内に入ると、これが磯の香りというのだろうか。海鮮屋特有の店内のにおいであった。そして出迎えるのは、単品のショーケースだ。サバの塩焼きや数々の唐揚げたちが、自由にとっていい形で置かれている。お皿で金額を設定しているのだろうか。見るだけでも面白そうだった。そしてお座敷の席に案内され、メニューを見ることになった。メニュー表の冊子の他には、壁にもいろいろ張り出されており、特に旬の魚についてはカードで説明もしてくれた。どれも字面だけでおいしそうである。いろいろ悩んだが、やはり複数種類食べたいものだ。金額も、平均してどれも高いが、昨日の反省も込めてそこそこの物にしておきたい。そういうわけで、僕は刺身定食を選んだ。少しして提供されたものは、やはり豪華であった。はまちといかと鳴門鯛。申し分ないメンバーだ。そしてそれ以上に驚いたのがみそ汁の大きさだった。みそ汁の熱狂的なファンである僕からしたら感極まりない喜びであった。どうやらわかめも特産品らしい。そして、てんぷらも気になっていたので、単品を分けた。エビはなんと丸一匹が揚げられていた。見た目の迫力はばっちりだ。久しぶりの本格的な海鮮。ぷりぷりの刺身とサックサクのてんぷら。どれもおいしく、一口一口が幸福であった。それにしても、モドキと仲介人はなぜここでビールを飲むのか。後輩は運転するので飲めないが、僕は何かあった時の運転手交代に備え、飲まないということにしておいた。実際の理由としては、今日の夕方に徳島に来た研究室メンバー一同で飲み会を開くのだが、教授二人の仲を取り持つことが主な目的なので、決して気楽な会ではないからだ。これは仲介人とモドキが発案したのだが、この2人がもうどうでもいいやという雰囲気になってしまっている。食べ終わったのが2時半ごろで、その解が6時から。お腹が空くかも怪しいのでそう思うのも仕方がないのだろう。退店の際は、アルバイト募集に目が行った。こんなにおいしいものが賄いとしてもらえるなんて最高ではないか。残念ながら愛知からの交通費は出せないらしい。後輩の分は3人で割って払ったので、若干財布が圧迫した。この後は鳴門公園まで車を走らせ、渦潮を観に行くことにした。ちょうど干潮から1時間ほど経つ時間で、見頃だそうだ。駐車場もぎゅうぎゅうだった。外に出ただけでも絶景だが、実際に徒歩で渦の真上まで見に行けるらしい。4人とも入場し、橋の上を歩いてみた。学会から直接来たのでスーツなのだが、暖かいのでジャケットはいらなかった。海なんて見るだけでも興奮するのに、今日は人一倍渦を巻いてくれたようだ。その近くを遊覧船が走っているようだったが、さすがにそれには乗れなかった。それでも、自然の景色を見るというのは心が癒される。本当は徳島の学会に出すのは迷っていて、直前になって慌てて提出したのだが、この景色はその忙しさをねぎらってくれるようだった。人生初の四国上陸。遠くまで来てしまった感覚が今日になってこみあげてきた。時々足元がガラス張りになっていて、空中浮遊間を味わえる。しかし、やはり急にそのガラスは表れるので落とし穴のようにも思えてしまう。実際、小さい子が足がすくんで泣いていたので、その恐怖は大きなものといえるだろう。もしこの瞬間橋が崩れたら助からないなぁ。それくらい高いところに架かっているので、むしろ一周回って恐怖感はなかった。飛行機みたいなものだ。技術力を信頼すれば大丈夫なはずである。橋の中には双眼鏡も設置されていて、船の走った後を頼りに渦を差がいてみる。本当に渦巻いているようだった。そして、無効に見える島はもしかして淡路島なのか?あの島も意外といったことがないので気になるところではある。

本編


こうしていい時間になったので車に戻ることにした。モドキと仲介人は徳島駅に付属のホテルに泊まっているのでそこに降ろしてもらうようだ。僕のホテルはもう少し向こうだが、近辺は停車しにくいだろうということと、そもそも方角が後輩のホテルとは真逆なので、同じく徳島駅で降ろしてもらうことにした。この時点で4時半ごろ。飲み会の会場までは徒歩30分程度なので、少しはゆっくりできそうだ。くれぐれもホテルで一睡しないようにだけ気を付けよう。この徳島駅からホテルまでのルートは行きと同じなので、また阿波踊り会館に寄れる。制限時間30分で、徳島のお土産を買っておこう。家族用のお菓子とバーで配るお菓子。あとは彼女と弟と、20日に会う予定のクゥちゃんと武人の分は買っておいた。ホテルに帰還。荷物を下ろし、私服に着替えて再出発だ。疲れもたまっているので軽くストレッチはしておき、荷物はスマホと財布、タオルとホテルのカードキーくらいにして歩き始めた。道中、見慣れないセブンイレブンやラーメン屋を見かける。鍋屋さんもおいしそうだなと思っていたところで気づく。進行方向が真逆ではないかと。歩いてちょうど間に合うくらいの時間に出たので、このロスは大きい。googleマップによれば、目的地まで2.7kmあり、徒歩なら遅刻する時刻に到着することになるそうだ。逆に考えよう。今気づいたのが大不幸中の小幸いだと。速やかにターンし、ランニングに切り替えた。まずは真逆に進んだ分の400m。これでもまだまだ間に合わない。徳島駅周辺は特に車どおりが多いので、信号も待ち時間が長い。それに中心部は自転車専用の横断歩道しかないところもあり、そもそも徒歩では横断できない。この2日間で学んだことをフルに生かし、階段ダッシュもした。できるだけ車道をカットするため、大きな歩道橋を使えるだけ使った。この時点でマップの予測では57分着になっていた。まだまだ走れる体のようだ。とはいえ、もう集合しているかも入れないので、できる限り早く着くためにまだ走ることにした。走るとはいえ3kmもないので、なれない道でも気合で何とかなりそうだ。ここからはほとんど曲がらず1直線。ありがたい。こうして何とか52分ごろに到着することができた。私服・軽装できて本当に良かったと思うばかりだ。到着したタイミングで、ちょうど逆方向から後輩が歩いてきた。ベストタイミングだ。他にはまだ誰も来ていないのだろうか。そんなことはないのだろうが、少し待っていたら黒も来た。彼も徳島駅のホテルに泊まっているはずだが、道中ですれ違うことはなかったので、もしかしたらスパ銭巡りから直接来たのかもしれない。たしかに、ホテルから来たのなら、他の3人も一緒のはずだろう。ということは店内に既に入っている可能性が高い。一応連絡してみたら、もう他全員いるということだったので、中に入った。走って汗だくだが、タオルはあるし全員男なので気にしないことにした。結果的には開始の6時より前なので、何も問題はないということだ。教授2人と学生6人、うち同期が自分含め5人と1つ下の後輩が1人、研究室メンバーの半分弱がここにきているのだ。1杯目はビールにした。黒はお酒が弱いのだが、他全員がビールを飲むので同町圧力でビールにしていた。危ないかもと思い、時々気に掛けることにして乾杯した。焼き鳥屋さんなので、あらゆる調理を施された鳥がやってくる。お高めのコースを頼んだのか、ボリューム満点でどれもおいしい。卓では、場を盛り上げるために学生側が必死に話題を探す。主にJAに関する話題だ。娘さんのことや家のこと。個人的すぎる内容なのでここには書かないが、いつか先生の家でバーベキューをしたいという話にもなった。面白そうではあるが、学生も、家にいる奥さんたちも気を遣うという気まずいパーティになりそうなので、この話は流れるだろう。その他、研究室でのフィールドワークとして、発電所や交直変換所などを見てみるのも面白いのではないかという話になった。JAはなんと大型の免許も持っているそうなので、みんなでバスに乗ってゼミ旅行というのももしかしたら実現するかもしれない。また、JAは朝飯の早さでホテルを選ぶと言っていた。どうやら毎日朝5時に朝ご飯を食べているらしい。いくら何でも早すぎないか。道理で朝一番から元気いっぱいなわけだ。そして、この会の裏の目的を実行することになった。それは、論文の著者の順番についてはっきりさせることである。これは、一人目は実際に書いて発表する学生本人だとして、2番目に誰を書くのかという問題である。基本的に、1人目に近いほどランクが高いので、指導教員ならできる限り前に書いてほしいと思うはずだ。その順番決めの判断材料としては、貢献度順であったり、若さであったりいろいろあるようだが、HKDの名前が2番目に書かれるとJAは少し嫉妬してしまうようなので、この際はっきりさせるのだ。結局、JAはどの順番でもいいとは言っていたが、少し投げやりな口調であった。おそらく、お酒が入っていなかったらもっと怒っていただろう。この席だからこそ聞ける内容なのだろう。そんな感じで盛り上がった。飲み放題なので、2杯目もビールを頼んだ。3杯目は違うものを頼んでみたいということで、ジンソーダを注文しようとしたら、これは飲み放題のメニューには入っていないらしく、仕方がないのでまたビールにした。この時点で黒はまだ1杯目の半分くらい。水分は大丈夫だろうか。そして、先生たちがそれぞれ今機になっている研究テーマについての話にもなった。JAは、現在のように幅広い手法でアプローチすることで研究の知見を深めたいというような方針でいるようだった。一方、HKDの方はというと、僕のテーマが今はアツいということだそうだ。すごくうれしく思う反面、JAはいまいち僕のテーマを気に入っていないようだったので、ここで考え方が二分している。そう、僕は今両極端の意見に押しつぶされているのだ。まるで二重スパイのような苦悩である。どうすればいいのだろうか。とりあえず、旅行終了後の打ち合わせについては考えないことにし、今は今を楽しむことにした。4杯目は徳島らしさを追求するため、すだちのチューハイにした。久しぶりの焼酎飲料なので、体がもつかわからないが、面白そうなので注文した。出てきたのは親指くらいの小さなすだちが数粒入ったサワー。かわいらしい飲み物で、すっきりとした味わいだった。後輩は翌日に発表があるので、ビールを2杯程度飲んだところでアルコールは打ち切りたいようだった。ウーロン茶を注文しようとしたところ、バカな先輩仲介人がわざとウーロンハイを頼んでしまった。仕方がないので後輩はそれを飲もうとするが、思いのほか濃いようで飲めなかった。誰かが処理しなければ、飲み放題に余計な金額がついてしまう。そう思ったので、最後に僕が肩代わりすることにした。濃いと言ってもしれているだろう、そう高をくくっていたら、1歩目から階段を踏み外した気分になった。いくら何でも濃すぎないか。8割アルコールだ。これはどう楽しめばいいのだろうか。半分はサンタさんが持って行ってくれた。彼は僕よりも水分量が多そうな体格をしているので、アルコール分解容量が僕よりあるのかもしれない。「確かに濃いなぁ」と言いながら飲み干し、黒の残りのビールも肩代わりする様はまさしくサンタクロースそのものであった。その代わり、サンタさんはお酒が入るとしゃべり上戸へと変わり果ててしまう。もともとおしゃべり好きではあるが、エタノールの力は計り知れない。先生二人が主役であることを忘れ、声のボリュームも一段大きくなってしまった。僕としては、あれを1杯飲むよりは耐えられるので今回は許そう。黒に、「もう酔っ払ったんだろ、ノンアルでも飲んで体内のアルコール濃度下げなよ」とウーロン茶(本物)を勧めたが、これは僕の分のウーロン茶も頼めるようにするためでもある。後輩の分も含め3杯注文した。JAは最後までビールだった。以前の飲み会でもそうだったが、終始ビールが胃に入るらしい。この時点の気分は決していいものではない。しかし、教授二人の仲はそれなりに取り持てたのではないのだろうか。清算し、店の外へと出た。

アディショナルタイム


2時間程度のコースで、お開きにするにはまだまだ早いので、舞台は二次会会場に移ることになった。ここでJAとはさようなら。HKDと学生6人で次の店を探した。駅前なら店はあるだろう、そう思って7人で入れる場所を探し回った。道中、HKDから「今日の発表、いろんな人に興味を持ってもらえたっぽいし、うまくいったね。」と高評価をもらった。よかった。あれが正解だったのだと改めて自信を付けた。気分は高まるのと裏腹に、体調は雲行きが怪しかった。こういう時に店探しを率先してくれるのは仲介人である。外向性の高さはこういうところで役に立つのだろう。昨日入った店は7人では無理だったようだ。そのため、今日は違う居酒屋に入ることになった。奥のお座敷に案内される途中で、よく見知った人に出くわしてしまう。普段の研究でお世話になっている企業の開発部の人だ。まさか、こんな遠方に来てまで会うことになるとは。確かに、学会のプログラムを見た時にはあらゆるところで著者の一人として名前が書かれている人だった。つまり、いろいろな大学で研究の協力をしているということだ。僕と黒は普段から関わる機会が多いので挨拶をした。確かに、学会として全国から1か所に来ている以上、こういう遭遇はあり得ることなのだろう。ましてや、大都会とは違い店の数も限られているとなれば、誰かしら別の知り合いに出くわすことなど、確率の低くないことなのだろう。その人の他にも、昨日メールで激闘を繰り広げたことでおなじみのりんごの教授、あとは仲介人がインターンでお世話になったという人がいた。彼らは彼らで飲んでいたのだという。偶然の出来事に場はさらに盛り上がってしまい、彼らはこちらに席を移して一緒に飲むことになった。人数が多いのでお座敷を二つほど使ったのだが、こちらのテーブルには僕の他にモドキ、仲介人、後輩、HKD、そして仲介人の知り合いの6人で飲むことになった。僕は本来大人数の飲み会が得意ではない。それに加え、体調も限界を迎えつつある。早めに帰ってもホテルで昇天するだけだと思いここにいるのだが、注文するドリンクはウーロン茶ばかりであった。やはり、ノンアルコールのお茶はうまい。僕はやはり、自分で選んだウイスキーのロックやワインなどを、ゆっくりと味わって飲む方が向いている。安い酒では悪酔いしてしまう。会話の方は仲介人やモドキが勝手に回してくれているので、僕は話をフンフン聴いているだけ、どちらかというと内臓の訴えに耳を傾けていた。
肝臓「もう限界です!アルコールを処理しきれません!!」
胃「じゃあどうするんだ?ここにはまだいろいろ入っているんだけど、外へ追いやるか?」
理性「それは最終手段だろ!また僕の尊厳を破壊するのはやめてくれ!※2」
まだ旅の序盤、二日酔いなどで翌日を犠牲にいたくないという思いもある中、このかわいそうな内臓たちを見過ごすわけにもいかなかった。トイレに向かうだけの元気は残っていた。去年の網走では口を押えてトイレに駆け込んだので、平然としたフォームでトイレに迎えたのはせめてもの1年の進化とみることにしようか。トイレの個室にて、ひっそりと尊厳を失った。ここでだすならいっそすべて出してしまえ。思い残すことがないくらいのことはした。もちろん、脱出する際はきれいに掃除しておいた。脱力感というのか、無力感というのか、賢者にでもなれた気分だった。内臓の悲痛という悪魔のカードはトラッシュできたので、手元に残ったカードは頭痛だけだ。そして、もう一つのトイレから出てきたサンタさんに察される。あれは酷いウーロンハイだったなと。彼も半分飲んでくれたので、言わずともこちらの状況が理解できるようだった。ちなみにサンタさんは全然問題なさそうである。こうして辛くも二次会を切り抜けることができた。仲介人はまた新たな知り合いに出くわしてしまったようで、また盛り上がってしまい、店から出てくる気配はなかった。外向性の高さはこういうところで仇となるのだろう。あれはああいう奴だからと、放置して他のメンバーはホテルへ帰ることにした。同期にはこの一件のことを正直に言った。笑い話の種にしてくれるとありがたいと思ってのことだ。確かに、あのウーロンハイを食らってはまともになれないのもわかる、と同情されるばかりであった。しかし、このことは後輩には言っていない。肩代わりして吐いたことなど知っても、お互いいい気にはならないからだ。飲み方には気を付けよう、そう反省するにはいい教材になったと前向きにとらえ、残った頭痛とともにホテルへ帰った。


とりあえず清潔になるため、シャワーで身を清め、衣類もろとも洗濯機にぶち込んだ。ホテルのアメニティの歯ブラシで、口の中も清潔にしておいた。ウォーターサーバーの水を多めにもらい、頭痛薬を流し込んで落ち着くことにした。頭痛だけなら長時間であろうと耐えられる。もともと片頭痛持ちなので、これくらいは慣れたものだ。4時間たったのでもう一度頭痛薬を飲む。そんなに飲まなくてもいいのかもしれないが、今の自分にできるのはそれくらいだ、ともうしばらく虚無の時間を過ごしたのであった…

Q. 二次会に行く必要はあったの?
A. ホテルで吐くつもりか??





※1 出席番号が前の方だったので、だいたいこれくらいの席になることが多かった。
※2 去年の北海道旅行中、網走の焼き肉屋でバーストしてしまった。トイレで吐いたこと、そしてそのトイレは使う前よりきれいに掃除したことから、重罪ではないとは思いたいが、せっかく楽しみにしていたジンギスカンが食べたことにならないという事実は深く心を抉るものであった。

この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?