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私は駿台予備校卒業生 その8 英語の伊藤先生の話 ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

英語の伊藤先生の話。

 1970年代中頃、私は駿台予備校の生徒でした。毎日、高校が終わると図書室に行き、そこから御茶ノ水まで通いました。夏休み、冬休み、春休みも自宅から講習会に通いました。
 同校には、個性あふれる講師の方々がいらっしゃいました。私の心を捉えた講師の方々は、皆入試のためではなく学究生活の礎としてというスタンスで授業を構成していらっしゃいました。

 今回は、英語の伊藤先生の話。

 英文解釈は、伊藤先生に学びました。ともかく論理的に文を分解して、1文1文を丁寧に訳します。5文型のどれかを明確にして、修飾語も丁寧に何処に掛かるかを確定しながら。授業は、全く無駄が全くなく洗練されていました。密度が高すぎてその場ではそのスピードに追いつけません。当時製品ラインナップが充実していたミニカセットのテープレコーダーを買い求め、机の上に置いて録音し、家でテープ起こしのように再生/停止を繰り返し授業の素晴らしさを味わっていました。1コマ、4時間位掛けて。

 もう一つ伊藤先生の余り知られていない名著。私は記憶力が悪く、単語を知ってるか知らないかの問題とバカにして覚えなかったのです。

 ご参考:この辺は、以下にまとめてみました。

 しかし、それでは流石に立ち行かず、考え方を改めました。

 伊藤先生(正確には鈴木長十先生との共著)の受験頻出英単語3000語という本を買って、3年間かけて覚え込みました。それと伊藤先生の解釈方法を合わせて英語も得意科目になって行きました。この3000語の選択が秀逸で、たった3000語なのですが、超難関校でも通用しました。単語がわからず困ることは有りませんでした。

 伊藤先生の詳細は、下掲に綺麗に整理されています。ご参考になさって下さい。

蛇足
 社会人になって海外畑のキャリアパスを選択できたのも、伊藤先生のおかげだと思います。
 唯一伊藤先生の発音は、酷かった。ですが、それはトップガンという映画で克服しました。








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