オーストラリアでホームレスと友達になった話。真冬の夜のレッスン「経験に愛を使う」とは!?
こんにちは、語学の裏設定のゆうです。今日はいつもと違い純粋な体験談なので、読んでも知識は増えないと思いますが、心の容量が1MBくらい大きくなるかもしれません。
まことしやかに"純粋"な体験で、ホームレスのおじさん達の純度の高い優しさに心が洗われると思ったものです。
第一部:出会い
つい昨夜のことでした。
冬の夜空の下、川沿いの道は、できれば足早に通り過ぎたいと思うくらい強い風が吹いていました。それでも夜景は容赦なく息を飲むほど美しかったので、立ち止まっては写真を撮っては...を繰り返していました。
しばらく進むと、野生のポッサム (狸) が群がって何かを食べているではありませんか。「お、これは可愛い。絵になるな。」と思って写真を撮っていると、食べているのはスライスされたリンゴであることに気づきます。
ということは、近くにリンゴをあげている人が居るはずです。
でも一体誰が?
と、その時です。「Hey. Hey. It's you. Hey」
テーブルに座っている2人組の男に呼び止められたのは。
よくよく観察すると、リンゴと果物ナイフをかざしているではありませんか。そして、テーブルの上には大きなスーツケースが。
ホームレスだ、と直感しました。
同時に、リンゴの切れ端を2つほど私に渡すような仕草をしているではありませんか。
大体の人ならここで逃げるでしょう。
自分たちは貧しいのに、ご丁寧にリンゴを刻んでポッサムに分け与えている人たちなら悪い人ではないだろうという仮説を勇気の糧にし、彼らと話してみることにしました。
もちろんオーストラリアなので英語です。
第二部:正体が判明し驚愕する
「人は見かけでは判断できない」とか「内面を見るべきだ」とよく言いますが、それでも見た目で判断をしてしまうのが人の性というものでしょう。
無理もありません、内面の最も表層たるものが外見ですから、外見から内面をある程度推し量ることができるという考えにも一理あります。
そんなことが頭に残っているからこそ、「外見に表れていない、その人の最も内面的な内面とはいかなるものか?」という疑問が生まれ、それが人と話す勇気にもなり得るのだと私は理解しています。
さて、席について自己紹介を済ませると、2人の内1人がトランクから写真の束を取り出すではありませんか。
何だ何だ?と話を聞いてみると、Davidと名乗るガタイの大きい男はその昔、大きな農園のマネージャーであることが判明します。
言葉遣い、ユーモアのはさみ方、品格、その全てが洗練されています。ある程度の教養と地位がないと、できない英語の話し方だったのです。
それにしても、一枚一枚の写真がやけにうまく撮れすぎているのです。自由に加工ができるスマホの写真とは違い、カラー写真が出始めた頃のカメラなので、相当な腕前でないと撮れない写真が何百枚とあるのです。
構図の取り方も一線を画している....何なのだこの人は一体...何者なのだ....
聞いてみると、
映画俳優・プロの写真家でもあったことが判明します。
いやいや、ハンサムすぎでしょ?
公園の街灯の下で撮影した写真なので魚の写真は影で切れてしまっていますが、装備も腕も一流だったことが見て取れます。
下の写真を見ていただきたい、ここまで迫力に溢れる写真を見たことは未だかつてありません。合成じゃない、紛れもなく熟練によって撮影された魂の一枚とはこのことです。
ありえない。ありえない。
リンゴを切ってポッサムにあげていた人が、このような人だったなんて、
ありえない。
第三部:武勇伝がぶっ飛んでいる
大学の時、仲の良かった物理学の教授がこう言っていたのを思い出します。
「人を判断するときは、その人の言葉ではなく行動を見るのだ。」
そうだそうだ、そうだった。Davidと名乗る男の素性が分かっても、どんな行動を取ったかを知らねば彼を分かったとは言えますまい....
一番印象に残っているのは、ワニとサメに囲まれても死ななかった話が多かったことでしょうか。例えば、
・サメが泳いでいる海域を船から岸まで300m泳ぎきった
・もちろん帰りも泳ぎきった。サメに追われていたけど。
・ビーチでウトウトして目を開けたら目の前にワニがいた
・木に登りワニをやり過ごす
などです。この様な話が次から次へとでてくるのです。
余談ですが、人の気配がないオーストラリアのビーチでは寝てはいけないそうです。ワニに襲われるからなのですが、去年Davidがビーチで寝ている女性にそう忠告しても彼女らは聞かなかったために食べられたとも言っていました。
彼女らはDavidの見た目から「聞く価値なし」と判断したのでしょうか?
もしそうなら、あまりにも残念な命の落とし方です。
武勇伝に関してはもう2000文字書けそうなのですが、この辺にしておきます。
第四部:貧しくなっても優しい人は真に良い人
貧困は心を荒ませ、犯罪の温床になること。反対に、金持ちになれば、心に余裕が生まれ犯罪率が下がることはよく知られた事実です。
それゆえ、貧しい時でも心を優しく保てる人は真に完成した人間だと呼べると思うのです。
社会から不完全人間だと思われがちなホームレスの彼は、孤独のうちにも人間的な完成性を保った高貴な人でした。
所持品と言えば、スーツケース1つに収まる程度なので1つ1つのモノが大切なのでしょう。ゆえに、所持品が少ない人がケチであっても別に驚きはしません。
ところが。
彼は写真を見せながら「この写真、すごくいいでしょ。僕のお気に入りなんだ。だから君に上げるよ。」
え?
そう言って、1枚、また1枚と、4枚くれたところで、
「僕の若い時の写真あげる」
なんて冗談をはさみながら全部で5枚もくれました。
普通、人間気に入ったものほど自分の手元に取っておきたいものです。でもこの全てを失ったホームレスの方は、お気に入りのものを僕にくれるという。
自分の部屋がありながら、ケチな人。
大きな家を持ちながら、なおケチな人。
自分もそうなのかもしれない。そんな人達の集合体でできている街の夜景がちょっと暗く見えました。
彼に敬意を表して若かりし頃の写真の裏にサインをしてほしいと頼みました。
そうしたら、、、
私のことを「友達」と呼んでくれたのです。
字は性格を表すだなんて言いますが、品性のある字です。
国籍とか、性別とか、そんなものは軽く飛び越えて、格差までも超越した友達ができました。
「格差社会だからこそ大事にしたいものがある。」
そう感じた一夜でした。
第五部:経験にお金を使う、ではなく愛を使う
一昔前は、「お金を稼ぐためにお金を使おう」と言われていました。
最近になり、「経験にお金を使おう」とよく聞きますが、その裏返しはお金が無ければ経験を積めないというメッセージでもあります。
経済格差が、経験格差、生き方格差になってしまう世の中、日本人の平均年収がどんどん下がっている世の中。お金が無い人はどのような生き方をしたら幸せになれるのだろうか?
その答えの断片を、昨夜の出来事に見出した気がします。
ずばり、「経験に愛を使う」ということだと思います。
相手の人生経験に、幸せが残るような愛の使い方をするというものです。
私は昨夜の出来事は一生忘れないですし、何か温かいものとして心に残り続けるでしょう。こんなギスギスした社会だからこそ、そしてこれから機械化が進んでいく未来があるからこそ、人間的なものを大切にすることが生きやすさに繋がるのではないでしょうか。
いかがでしたか?
唐突な優しさとの出会い。
その帰り道、もしブリスベンの冬がもっと寒ければ、感動で嘆息した時の息が夜空に白く見えたに違いありません。
経験に愛を使う。
その愛の資本となりうるのは1MBくらいの小さな小さな優しさなのかもしれません。
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