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生活論の基礎概念 第一章 ゲーム 3 精神の形態
精神および規範には、その従則に関して〈当事形態〉と〈期待形態〉がある。〈当事形態〉とは、その精神の規範を自分の行動に適用する場合であり、また、〈期待形態〉とは、その精神の規範を他者の行動に適用する場合である。どちらも、規範従則によるものであり、状況判断能力と行為認識能力を必要とする。このほかに、精神および規範には、実在的水準における〈誘導形態〉がある。それは、期待形態が諸物に投影されたものである
もっとみる生活論の基礎概念 第一章 ゲーム 1 精神の階層的・派生的体系
〈精神〉は、いわば「規範の束」であり、複数の断片的な規範が、その一群の規範のいずれかで、その規範の規定するほぼすべての状況を処理できる体系を構成している。それは、たとえいずれかの規範を反則したとしても、その反則した状況を条件とする「罰則規範」を準備しており、やはりその体系の中で処理することができる。
ただし、〈精神〉は、純粋に閉鎖的な体系とは違って、しかし、その参入と退出は、その例外として、
生活論の基礎概念 もくじ
第一章 ゲーム
1 精神の階層的・派生的体系
2 シナリオ・ゲーム・ポイント
3 精神の形態
4 精神の形成
第二章 人格精神
1 人格精神と生活ゲーム
2 生きかた・生きざま・生きがい
3 哲学ゲーム
4 人格精神の形成
5 人格精神の理解
6 人生ゲームにおける死
第三章 生活ゲームと哲学ゲーム
1〈人生ゲーム〉の本質的欠陥
第四章 安全と自由
1 暫定的生活原理
2《安全原理》
3《自
第六章 精神 4 身分規定規範
一般の規範は、[ある状況を条件とし、ある行為を帰結とする〈行動規範〉]であるが、〈精神〉という規範体系においては、この一般的な〈行動規範〉のほかに、〈身分規定規範〉がある。〈身分規定規範〉とは、[ある状況を条件として、ある人格主体の〈身分〉を規定するもの]であり、そのようにして規定されたその人格主体の〈身分〉は、他の規範の条件となる。
〈身分規定規範〉は、[その人格主体の〈身分〉を規定するも
第六章 精神 3 規範の従則
連関は、条件と帰結の論理的関係にすぎないものであって、その条件が成立したからといっても、それだけで帰結が成立するわけではない。それは、ただ、規範的水準において、我々がその物事を条件として、ある他の物事を「意味」として認識なしに理解するということにすぎない。そして、規範という連関においては、その意味が、何か別の物事なのではなく、まさに主体である我々自身であるという点に特徴がある。つまり、ある状況に
もっとみる第六章 精神 2 規範様相
〈精神〉に含まれる規範そのものは、条件と帰結からなる連関であり、その条件は〈現実〉の状況であり、その帰結は〈主体〉の行為である。ただし、規範は、通常の連関と違って、[[条件である状況]に対する帰結である行為]に[よい/いけない]という規範価値を付与する。すなわち、よい行為は、従則性を持つものであり、いけない行為は、反則性を持つものである。もっとも、反則性を持つ行為であっても、精神が体系をなしてい
もっとみる第六章 精神 1 規範性としての精神
先述のように、〈私我〉とは、[〈人格主体〉の規範的水準における連続同一性]であり、それは、[〈生活意志〉が一群の規範に連続同一的に依拠しようとする現象]そのものである。その中でも核となるのが、〈私我〉の連続性を成り立たせている〈自己〉であり、それは、[[〈現実〉の〈事〉に当たっているもの]として、さまざまな〈現実〉の〈事〉に対して鏡象的に存在するもの]であり、また、[〈現実〉の規範性や〈主体〉の
もっとみる第五章 自己 8 保守主義/革新主義
問題は、まったく個別の〈事〉ごとに処理されなければならないが、大きくいって、〈主体〉における〈自己〉は、その連続性には二つの様相がある。すなわち、《保守主義》と《革新主義》である。
一方の《保守主義》は、〈これまで〉と〈これから〉とが連続的であるようにする〈自己〉の閉鎖的傾向であり、〈これまで〉の〈事〉に〈真実性〉の不能的時制様相を付与し、〈これから〉の〈事〉に〈架空性〉の不能的時制様相を付
第五章 自己 7 主体的問題様相
次に、③と④の[当事する/しないことができる]という〈現実〉/〈物語〉そのものの柔軟性と〈主体〉の有能性からなる選択的/回避的規範様相は、〈自己〉における既存の〈現在性〉/〈想像性〉との連続性において、さらに四つの《主体的問題様相》を形成する。これらもまた、それぞれ、③E現在的現実、③F想像的物語、④G現在的物語、④H想像的現実ということになる。すなわち、
③E:いまも当事している し、
第五章 自己 5 問題様相
けれども、〈主体〉は当事する/しないを、すなわち、〈事〉の「このとき」/「あるとき」の時制を、まったく任意に付与できるわけではない。先述のように、時制は、まともには、[〈現実〉との並行関係において成り立つべきであるもの]である。したがって、[〈主体〉に〈現実〉を合わせることができるかどうか]によって、逆に言えば、[〈現実〉に〈主体〉を合わせないといけないかどうか]によって、時制付与の任意の程度も
もっとみる第五章 自己 4 現在性/想像性
当事性は、このように、時制として「このとき」という〈現在性〉を持っている。この当事性は、〈現実〉との並行関係で成り立つべきであるものである。したがって、〈現実〉において「このとき」でないことは、〈主体〉においても「このとき」でない。
ところが、ときとして、ある〈事〉が〈現実〉においては「このとき」であるにもかかわらず、〈主体〉においてはいまだ「このとき」ではないことがありうる。また逆に、ある
第五章 自己 2 〈私我〉の当事性と普遍性
〈私我〉は、個別特殊的な当事性と一般類型的な同一性とを媒介している。つまり、〈私我〉は、さらに、その連続性の自然主体である〈自己〉と、その同一性の自然主体である〈精神〉との二つの要因を考えることができるが、しかし、両者は複合的であり、独立しては存在しえない現象である。
まず、〈自己〉は、本質的には当事性そのものであり、[ある事に当たっている物]として反射的に〈自己〉の連続性を形成する。すなわ