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第五章 自己 5 問題様相

 けれども、〈主体〉は当事する/しないを、すなわち、〈事〉の「このとき」/「あるとき」の時制を、まったく任意に付与できるわけではない。先述のように、時制は、まともには、[〈現実〉との並行関係において成り立つべきであるもの]である。したがって、[〈主体〉に〈現実〉を合わせることができるかどうか]によって、逆に言えば、[〈現実〉に〈主体〉を合わせないといけないかどうか]によって、時制付与の任意の程度も異なっている。すなわち、[「このとき」という〈現在性〉を付与できるかどうか]は、[当事することができる/できない]により、また、「あるとき」という〈想像性〉を付与できるかどうかは、[当事しないことができる/できない]による。もっとも、[〈主体〉に〈現実〉を合わせる]ということは、単純に[〈主体〉が自分に〈現実〉を合わせる]ということではなく、[実在的水準における〈生活主体〉が、〈主体行動〉によって、規範的水準における〈私我〉に従う〈生活意志〉としての統一整合性を〈現実〉にもたらす]ということであり、したがって、ここでは、[〈現実〉に対する〈生活主体〉の実在的水準の全般的行動能力]、および、[主体行動や〈生活世界〉に関する〈生活意志〉の規範的水準の全般的統整能力]が問題となる。つまり、[〈私我〉の〈自己〉としての当事性の意図能力は、〈現実〉の硬直性とともに、〈生活主体〉としての行動能力や〈生活意志〉としての統整能力にも制約される]ということである。

 さて、〈現実〉の硬直性/柔軟性および〈主体〉の行動能力や統整能力によって、〈私我〉の〈自己〉としての当事性は、次のいずれかの《問題様相》となる。それは、実際は、〈主体〉の側の、つまり、〈私我〉の〈自己〉としての問題であるが、しかし、その〈私我〉には、むしろ逆に、事が持つ様相として現象することになる。

  ①直面的問題様相:当事しないことができない
  ②喪失的問題様相:当事する ことができない
  ③選択的問題様相:当事する ことができる
  ④回避的問題様相:当事しないことができる

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