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第六章 精神 4 身分規定規範

 一般の規範は、[ある状況を条件とし、ある行為を帰結とする〈行動規範〉]であるが、〈精神〉という規範体系においては、この一般的な〈行動規範〉のほかに、〈身分規定規範〉がある。〈身分規定規範〉とは、[ある状況を条件として、ある人格主体の〈身分〉を規定するもの]であり、そのようにして規定されたその人格主体の〈身分〉は、他の規範の条件となる。

 〈身分規定規範〉は、[その人格主体の〈身分〉を規定するもの]、[規範的水準において、ある人格主体をある〈身分〉であるということにするもの]である。つまり、それは、[ある条件ならば、その人格主体はその〈身分〉になってもよい/ならないといけない]という協証様相規範である。〈身分〉とは、規範的水準における位置であり、自己や他者の〈限定持続的規範〉の条件となる。ただし、この規範そのものは、ある特殊個別的な人格主体をある一般類型的な〈身分〉であるとすることであって、それは、なにかする行動規範ではなく、ある〈身分〉として規定されることになるという意味で、受動的なものでもある。

 ただし、その〈身分規定規範〉の様相が許可または免除である場合には、つまり、義務や禁止ではない場合には、当該の人格主体は、その〈身分〉になることを希望する/しないを選択することができる。けれども、その選択は、一般には、個別の物事ごとのものではなく、持続的なものであり、いったん選択した以上、すべての物事について一貫して、その〈身分〉が適用されることになる。

 また、[他者がある人格主体をある〈身分〉であるとする]ということは、たんにその〈身分〉として任命したりすることではなく、もっと一般的に、さまざまな物事において[その〈身分〉にふさわしく処遇する]ということである。つまり、ある人格主体をある〈身分〉とする〈身分規定規範〉は、他者にも、その人格主体に関してその〈身分〉についての一連の〈行動規範〉などを有意味にする。

 その〈身分〉である主体自身も、〈身分規定規範〉よってその主体にある〈身分〉が規定されると同時に、[その〈身分〉が条件となる直接的諸規範]や、[その〈身分〉が条件となる〈精神〉の間接的諸規範]を負課されることになる。その〈身分〉が条件となる直接的諸規範を〈直接身分規範〉と、その〈身分〉が条件となる〈精神〉を〈身分精神〉と、〈身分精神〉に含まれる間接的諸規範を〈身分精神規範〉と言う。〈直接身分規範〉にしても、〈身分精神規範〉にしても、そのものは、〈身分規定規範〉ではなく、一般的な〈行動規範〉が中心である。ただし、さらに、〈身分精神〉にさらに、後述するような〈所有所属規範〉という〈身分規定規範〉が含まれていることは少なくない。

 たとえば、係長という〈身分〉が規定された場合、規範的に係長という〈身分精神〉を従則することが負課されるが、その〈身分精神〉という規範体系には、さまざまな具体的な行動規範とともに、さらに部下の所有者という身分規範があり、そのさらなる身分規範において、部下に規範を定義することになる。このように、部下は、直接に係長に所有されるのではなく、係長という〈身分精神〉の中のさらなる身分規定規範が部下を所有している。逆に言えば、部下にしてもまた、配属された係の身分精神が、係長に所属するというさらなる身分規定規範を含んでいるにすぎない。

 〈直接身分規範〉は、その〈身分〉である以上、いやおうなく負課されるものであるが、しかし、〈身分精神〉は、その〈身分〉において可能であるものであり、一つの〈身分〉に複数の〈身分精神〉が可能であることもあり、その場合、人格主体は自由にそのいずれかを選択することができることもある。つまり、いずれか一セットのその身分の規範体系を選択するということである。ただし、その選択した〈身分精神〉に含まれる〈身分精神規範〉は、そのすべてが、いやおうなく負課されることになる。

 〈直接身分規範〉やその〈身分〉の〈身分精神〉を拒絶することは、その〈身分〉そのものを、その〈身分〉としての〈身分規定規範〉そのものを拒絶することであり、あくまでその〈身分規定規範〉をその人格主体に適用しようとする他の人格主体と衝突することになる。けれども、規定された〈身分〉を拒絶することは、よほどその拒絶を明確にしないかぎり、その〈身分規定規範〉そのものの反則とすることが困難であり、実際は、その〈身分〉の個々の〈直接身分規範〉に反則するものとして、罰則が適用されることになる。

 〈身分規定規範〉の特殊なものとして、その中には、複数の人格主体の〈身分〉を同時に規定する〈関係身分規定規範〉がある。その〈身分精神〉の規範は、とくに、その〈関係身分規定規範〉で同時に規定された他の人格主体のさまざまな状況を条件とすることが多い。つまり、その〈関係身分規定規範〉は、その〈身分精神〉を負課しているとともに、その〈身分精神〉の諸規範の条件とするものもまた、特殊個別的に定義する機能を持っている。

 たとえば、結婚は、二人をそれぞれ夫と妻という身分で同時に規定する。ここにおいて、夫一般、妻一般に負課される直接身分規範というものもあるが、臨機応変の身分精神規範では、その結婚によって同時規定された夫または妻の状況が条件となるものが少なくない。逆に言えば、その結婚によって同時規定された以外の夫または妻の状況は、その身分精神規範の条件とはならない。

 〈関係身分規定規範〉の中でも、〈所有所属規範〉は、規範体系において重要な機能を担っている。それは、規範定義者と規範従則者の身分を、〈所有者〉と〈所属者〉として規定するものである。これもまた、〈身分規定規範〉であるから、それぞれ、〈所有者〉としての〈身分精神〉、〈所属者〉としての〈身分精神〉が負課されることになる。そして、〈所有者〉の〈身分精神規範〉においては、同じ〈所有所属規範〉で同時規定された〈所属者〉に規範を定義すること、その仕方などが中心となり、また逆に、〈所属者〉の〈身分精神規範〉においては、同じ〈所有所属規範〉で同時規定された〈所有者〉の定義した規範を従則すること、その仕方などが中心となる。

 〈所有〉とは、先述のように、自分の〈生活世界〉の一部に組み込むことであり、協証規範による〈規範的所有〉と、意図的な〈主体行動〉によって〈生活意志〉として統一整合性を実現する〈実質的所有〉とがある。この〈関係身分規定規範〉によって規定されるのは、〈規範的所有〉であるが、その規定された身分の〈身分精神規範〉が、〈所属者〉に、〈所有者〉が定義した規範を従則することを負課するので、〈実質的所有〉も容易になる。というのは、〈所有〉には、一般には、その〈生活意志〉を意図(規範定義)的な〈主体行動〉によって強制的にその所有する物事に及ぼさなければならないが、〈所有所属規範〉による場合には、その〈主体行動〉とは、純粋に規範を定義するだけでよく、それも、たとえば、所属者の貢献を放任しているだけでも、黙認という実質的な意図(規範定義)になりうる。したがって、ときには、〈所有者〉自身の〈生活意志〉としての統一整合性や、意図的〈主体行動〉がきわめて微弱であっても、〈所属者〉があれこれと思い計ることによって、そこに〈生活意志〉としての統一整合性が実現し、さらには、〈所属者〉がその〈所有者〉の定義した規範に従則した行動として、その〈所有者〉に代わって他の〈所属者〉に規範を定義することすらもある。〈所有〉は、物事一般について成り立つものであるが、このような〈所属者〉による〈所有者〉の〈生活意志〉ないし〈意図〉の増幅は、人格主体の場合にのみ起こりうるものである。しかし、そのような〈所属者〉による〈所有者〉の〈生活意志〉ないし〈意図〉の増幅は、ときに変調を含み、〈所属者〉の反則として問題となる。

 [所有する]ということは、一般に、[意図として、その所有する物事に規範を定義してよい]ということであり、それは、つねに[規範を定義しなくてもよい]ということを含んでいる。また、〈所有者〉は、〈所属者〉にどんな規範でも定義できるわけではなく、その〈所有者〉としての〈身分精神〉としてさまざまな制約的な禁止規範がある。しかし、〈所属者〉としての〈身分精神〉には、その禁止規範に対応して、〈所有者〉が定義しても従則しなくてもよい免除規範が準備されているとはかぎらない。それは、〈所有者〉が規範定義についてのある禁止規範を従則することが基本となっているからである。したがって、もし〈所有者〉が規範定義についてのある禁止規範を反則した場合、〈所属者〉は、それについての免除規範がないために、他の規範と同様に、反則的に定義されたその規範にも従則しないといけないことになってしまう。しかし、そもそも定義が禁止されているような規範は、通常は、それを従則する行動そのものについてすでに禁止規範があり、そのために、〈所属者〉は、〈所属者〉としての〈身分精神規範〉を従則して行動規範に反則するか、行動規範を従則して〈所属者〉としての〈身分精神規範〉を反則するかのディレンマに陥ることになる。とはいえ、ときには、そのいずれかの反則が免責される規範が一般的に準備されていることもある。

 たとえば、儒教文化圏では、一般に、親の犯罪については、子が黙秘しても免責される。

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