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【雑記集】※いたって個人の感想です。

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雑記・随筆も、書くのが楽しいですね。いや、雑記や随筆こそ、書くのが一番楽しいかもしれません。 そしてこの誰に宛てているわけでもない文章が、漂流して、まったく見知らぬ(かもしれない…
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#自分にとって大切なこと

「無意味なもの」に存在する「意味」

「無意味なもの」に存在する「意味」

たとえば。
何故、 ガラスでなくてはだめなのか。

別に、同じように無色透明な、たとえばアクリル素材とかプラスチック素材とかでもいいじゃない。
それなら壊れたりしないのに。

プラスチックにはなくて、ガラスにあるもの。
――質感の違い?

ガラスの質感って、一言で言うと 「壊れやすそう」。

そういう事か。

そこをつきつめると、「花は散るからこそ美しいし、生は限りがあるからこそ尊い。」なんて、

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悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

悪魔とは契約しないで済みそうです。(笑)

「そんなにそれが欲しいなら、 お前が今持っているものの中で命以外の一番大切なものと引き換えでなら、くれてやってもいいぜ。」
と、提案されたら。
……まあまず断ろうと思うので、 私の人生、 そこそこ精神的には事足りているようではあります。(笑)

以下は、少々長い余談だけど。

先日、軽度だが認知症を患っている方とやりとりすることがあり。
「記憶内容」は勿論、「自分で自分を」「現在という時間を」

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「痛い」と感じられるのはまず自分自身なのだから

「痛い」と感じられるのはまず自分自身なのだから

痛いと感じるべき時に痛いと感じられるのは、 心身ともに健康な証拠。

痛いはずなのに、それを感じられなくなったら、 もう相当ヤバいと思う。

――だから、痛いと感じられるうちに、ちゃんと「対処」すべきなのだ。

自分の感じるべき痛みは、誰かが替わりに感じてくれることはない。
共感とか同情はあっても、 「リアルに」痛いのは自分自身。
痛いときに、痛いと感じる、それを認める――「誰より自分で真っ先に

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「焦る」「慌てる」は凶兆-「悪い球は見逃す」みたいなことを-

「焦る」「慌てる」は凶兆-「悪い球は見逃す」みたいなことを-

「悪い球は見逃す」みたいなことが、もしかするとどうも今まで生きてきて、うまくできていなかったような気もする。
「打てる球はとにかく打て」 みたいなところがあった。
もちろん「見逃す」をした結果それで 「その打席は三振で終わった」 ってことになる可能性もあるんだけど。

でも、よくよく考えてみれば、「人生は9回で終わるゲーム」ではないのだ。

もちろん運悪く「実はそれが最終打席でした」ってことに

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生物がいない世界を想像する

生物がいない世界を想像する

「誰もいない世界」を、想像してみればいいのか。

そうすれば、 人というものは、 (見知らぬ人ですらも、) そこにいてくれるだけで、 ありがたい存在ということになるのか。

「何もない世界」――もしも「何も」存在しなければ、この世はただの暗闇の空間でしかないのだ。

その中で、たとえば生物(動物も植物も)――その中でも人ならば殊更、そこにいるだけで、「暗闇の中に灯る一つの明かりのようなもの」にだっ

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「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

「自分でこそ」自分を変えることは多分できる

変われると思えば、たぶん人は変われると思う。

実際、「変われることができた人」はいるのだから。
――その人はきっと 「変われるわけない」とは思わなかったのではないか。

「まず、変われると自分で思わなければ、変われるはずがない」とするなら。
逆にそれならきっと、「変われると思えば、たぶん人は変われる」と、私は感じている、というこれは話である。

そして、自分が変われば、自分を取り巻く日々も、きっ

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現世の「物見遊山」だと思って

現世の「物見遊山」だと思って

世の中は刻々と変化し続けているのに、自分の「先入観」「偏見」は、その変化の速さには追いつけず、いつまでもそこに残ってしまいがちで、邪魔になる。
――折角この世に生まれてきて、つぶさにリアルタイムに感じ取れたはずの数々の事を、それらのせいでみすみす逃して生きていくのは、もったいない気もする。

ついつい気づかぬうちに色眼鏡をかけて自分も物事を見てしまいがちになるが。
「そのまま」を見る様に日ごろから

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「善人」でなくて別にいいと思った

「善人」でなくて別にいいと思った

「悪い人」って、「誰にとっても悪い人」では必ずしもなく、 「局地的に悪い人」だったりもするんですよね。(笑)(でも、どっちかっていうと、そっちのパターンのほうが多いのか?)

殺人者だけど、人柄は「善人」を絵にかいたようだった、とか。
パワハラ上司だけど、家族は大切にする人だった、とか。
そういう「一聴して至極わかりやすい例」だって、いくらでもある。
(ま、これらは「極端な例」ですけど。)
(つま

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「純然たる楽しみ」を取り戻せるなら

「純然たる楽しみ」を取り戻せるなら

欲を満たす行為は、概して(大雑把に表すと)楽しいものである。

が、必ずしもそれがなくとも、つまり、欲を満たすことを介さずとも、「楽しい」は、生じ得るはずでもまたある。

そろそろ、食欲だの色欲だの物欲だの金銭欲だの自己顕示欲だのと無縁なところにある、そんな「楽しい」を、取り戻したい気が、(ごくごく個人的に)最近している。
(私は人として相当不器用なほうなので、結局は欲が絡んでくると、精神的にそれ

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永遠にオートリバース(笑)

永遠にオートリバース(笑)

懐かしくて、「ラジカセ」が欲しいような気持ちがある。(笑)

大人になり、自分の生活費は自分で稼ぐようになり、なので自分の裁量で自分の好きなものも買えるようになり、本も漫画もCDも電化製品も身に着けるものも、(もちろんその都度財布の中身と相談ではあるが)好きなように買っているわけだ。

でも、子供の頃、欲しくて欲しくて、でもすぐに手に入れられなくて、少しずつ少しずつ親からの小遣い貯めてや~っと手に

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「小賢しい」のが一番ダメな気がする

「小賢しい」のが一番ダメな気がする

他人の脳みそを使うと、 他人になってしまうからダメなのです。(笑)
――最後には必ず「(せめて一度は)自分で考える」を挟まないとな。

それならいっそのこと、自分の脳みそ、あと5つくらい欲しい!
……と、思ったけど、でも、実際やったらうまく役割分担できなくて、5倍の処理能力なんて発揮してくれないんだろうな。(笑)

「私の脳が元々ダメだった」というより、「私自身がこれまで私の脳をダメにしてきた」と

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不器用さの中にその人自身がいるのかも?

不器用さの中にその人自身がいるのかも?

器用な事は、いい事だとは思うんですが。
――ま、たとえば、 ものの考え方とか、 外での立ち回り方とか、 不器用よりか器用にできた方が、 一言で言えば、ラクですわ。ホントに。

が、しかし。

器用に器用に、と、自分を変えていく事によって、 自分が「無いこと」にしちゃったものにこそ、 そうそう簡単には、下手すりゃ二度とは、「取り戻せないもの」があったりした気もするんだよなー。
(とか、 今更振り返

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モノより何より「人」

モノより何より「人」

店自体がなくなるわけでも、商品が変わってしまうわけでもない。
……のだが、いつもいた人がそこにはいなくなる、というだけで、 なんだかしんみりしますよねー。

いや、お店に限らず、 何においても。

やはり 「人」の存在は大きいんだとつくづく思う。
モノより何より、 「人」は大事だよ。
(当たり前の事を、でも、改めてメモ書き。)

「最後の最後は自分で何とかするしかない」のは素晴らしいことだ

「最後の最後は自分で何とかするしかない」のは素晴らしいことだ

「やさしさ」について考える。

「あまりにも深く情をかけ過ぎて、共倒れになる」というのは、端的に言ってしまえば「よくないこと」だと私は思う。(その相手が親兄弟だろうと、伴侶だろうと、お世話になった人だろうと、親友だろうと。)

そういった意味でも、「今現在の自分の幸福感は、常時自分自身でしっかり見守る」必要がある。(他者からは、それはクリアには見えないものだから。)
つまりそれは、「情」や「やさし

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