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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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#歌謡曲

ちあきなおみ~歌姫伝説~21 最後の一年・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~21 最後の一年・前篇

 一九八〇(昭和五五)年、戦後からつづいた経済成長も一区切り、時流に乗りに乗った日本人の心の向きも、七〇年代の考え方やものの見方から新しい感覚、感性へとバランスを移行しはじめる。「さて、百恵ちゃんも結婚したことだし」といった台詞を、私は何度も大人の口から聞いた記憶があり、山口百恵の引退は大衆文化の中で、明らかに時代のエポックメーキングとなったのは間違いないであろう。
 この年は、山口百恵と入れ替わ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~20 山口百恵という儚さ・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~20 山口百恵という儚さ・後篇

「赤い疑惑」は、一九七五(昭和五十)年十月から翌年四月まで、宇津井健主演で全二九話放送され、最高視聴率三〇・九%(ビデオリサーチ調べ)を記録した人気ドラマだった。
 実質上の主役は山口百恵で、主題歌には前記した「ささやかな欲望」(作詞・千家和也 作曲・都倉俊一)のB面に収録された「ありがとう あなた」(同)が起用され、「枯葉がひとつずつこぼれるたびに 悲しいお別れ近づいてます」と歌われる歌詞とドラ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~19 山口百恵という儚さ・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~19 山口百恵という儚さ・前篇

 子供心にも、私に現実と虚構を錯覚させる心情的影響を及ぼしたのは、山口百恵という存在だった。
 ちあきなおみの「喝采」で幕を閉じた翌年の一九七三(昭和四八)年、山口百恵は歌謡界にデビューした。
 オーディション番組「スター誕生!」からデビューした、同い年の森昌子、桜田淳子とともに、三人は"花の中三トリオ"と呼ばれ、歌謡界の新しい時代の幕を開けたのだった。
 この花の中三トリオは、一年ごとに、花の高

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ちあきなおみ~歌姫伝説~14 郷鍈治の途・前篇 

ちあきなおみ~歌姫伝説~14 郷鍈治の途・前篇 

 さて前回まで、ちあきなおみが歩いた途を私なりに彷徨い、「喝采」でレコード大賞を受賞
するまでの足跡、その後の歌手としての葛藤と逡巡まで辿り着くことができた。
 この当時、メディアはテレビ全盛時代にあり、一九七二(昭和四七)年、ちあきなおみが「喝采」で出場した「第23回紅白歌合戦」の視聴率は、八〇・六%(ビデオリサーチ調べ)である。
 大晦日はレコード大賞から紅白歌合戦をつづきで見る、というのが一

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ちあきなおみ~歌姫伝説~13 ちあきなおみの途・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~13 ちあきなおみの途・後篇

 ちあきなおみ(以下・三恵子)のデビューのきっかけとなったのは、レコード会社日本コロムビアのオーディションだった。
 類まれな歌唱力を有する三恵子ゆえに、さらなる完成型のプロ歌手としてのデビューを目指し、一年半近くにも及ぶレッスンの日々がはじまる。
 二十歳の三恵子が、本格的にちあきなおみとして歩み出す序開であった。
 レッスンでは、主に西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」(作詞・水木かおる 作

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ちあきなおみ~歌姫伝説~11 ちあきなおみの途・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~11 ちあきなおみの途・前篇

 ちあきなおみ、本名・瀬川三恵子(以下・三恵子)は、一九四七(昭和二二)年九月十七日、東京は板橋区に三人姉妹の三女として生を受ける。
 ちなみに昭和二二年は、日本において第一次ベビーブームがはじまった年である。第二次世界大戦終結後、平和の旗の下に世界各国でも同種の現象が起こったが、日本では昭和二四年までの三年間で、約八百万人の出生数が記録されている。少子化の一途を辿る現在の日本の出生数からしてみれ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

ちあきなおみ~歌姫伝説~9 「喝采」とその時代

 「喝采」がリリースされた一九七二(昭和四七)年の日本は、まさに"激動の時代"と謳われた季節の終焉を迎えようとしていた。
 一九六〇年代後半、一九七〇(昭和四五)年の日米安全保障条約の書き直しを阻止せんと、
学園紛争(全共闘運動)の嵐が吹き荒れ、ベトナム反戦デモが激しさを増してゆく中で、その勢いはミニコミ、小劇場運動、ロック、フォークといった分野にも飛び火し、既成の価値体系に反逆する熱い風はやがて

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ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

ちあきなおみ~歌姫伝説~8 喝采の陰で

いつものように幕が開き 恋の歌うたうわたしに 届いた報せは 黒いふちどりがありました あれは三年前 止めるアナタ駅に残し 動き始めた汽車に ひとり飛び乗った ひなびた町の昼下がり 教会の前にたたずみ 喪服のわたしは 祈る言葉さえ失くしてた

つたがからまる白い壁 細いかげ長く落として ひとりのわたしは こぼす涙さえ忘れてた  暗い待合室 話すひともないわたしの 耳に私のうたが 通りすぎてゆく 

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ちあきなおみ~歌姫伝説~6 反逆の狼煙

ちあきなおみ~歌姫伝説~6 反逆の狼煙

 歌手・ちあきなおみの一九七六(昭和五一)年までの活動を、「夜へ急ぐ人」までの前史とする観点から照らしてみると、まず、一九七二(昭和四七)年、「喝采」(作詞・吉田旺 作曲・中村泰士)で第十四回日本レコード大賞を受賞し、一九六九(昭和四四)年、「雨に濡れた慕情」(作詞・吉田央※吉田旺旧名 作曲・鈴木淳)でのデビューから三年目にして歌謡界の頂点へと駆け上がったあたりから、伝説の歴史がゆっくりと幕を開け

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ちあきなおみ~歌姫伝説~2 1977・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~2 1977・後篇

 一九七七(昭和五二)年の時事を紐解いてみると、年始早々、「青酸コーラ無差別殺人事件」が発生する。
 一月四日付夕刊の「朝日新聞」に、
【毒入りコーラ殺人 拾って飲み高校生急死】
と報道され社会を震撼させる。
 仕事を終えた男女六人が、港区高輪の公衆電話ボックスの前で栓をしたコーラの普通サイズ瓶を拾う(当時は一九〇ミリリットル瓶容器全盛)。寮に帰り、六人の中で一番若かった十六歳の少年が一口飲んだと

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ちあきなおみ~歌姫伝説~1 1977・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~1 1977・前篇

 二〇二〇(令和二)年十月九日夕刻、JR名古屋駅前を急ぎ足で歩く私は、なにものかに追われているかのような不安を掻き立てられていた。
 それは二一時からBS―TBSで、「魂の歌!ちあきなおみ秘蔵映像と不滅の輝き」という特別番組が放映されるからだ。
 新型コロナウイルスの感染拡大が深刻化する状況下、ビジネスモデルの作り替えが徐々に加速し、テレワークが普及したこともあり、平常時に比べれば人の流れはやや少

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