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ちあきなおみ 歌姫伝説

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ちあきなおみ~歌姫伝説~をまとめました。
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#郷鍈治

ちあきなおみ~歌姫伝説~39 恋しぐれ

ちあきなおみ~歌姫伝説~39 恋しぐれ

「おい、はじまるぞ」
 空席を隔てて横にいたゴッド(友人)が、私を促すように声を掛けてきた。
 日本ガイシホールに集う観客は、皆一様に、それぞれの世界をあいみょんと構築しているように見受けられた。その歌には、聴き手が埋めるべく空白が十分に残されている。この歌手も、自らが自らに与えた歌詞やメロディには収まらない呪術師であろう。

 「裸の心」のピアノイントロが流れていた。
 馴染みの喫茶店でこの歌を

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ちあきなおみ~歌姫伝説~35 復帰なき理由・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~35 復帰なき理由・後篇

 前回からのつづき

 そしてもうひとつ、ちあきなおみ「復帰なき理由」として私が思い浮かぶのは、歌謡界の時流というものである。
 当時(九〇年代)日本は、〝混沌と狂乱の時代〟と呼ばれた八〇年代から、バブル経済が衰退の一途を辿り、〝ジャパン・アズ・ナンバーワン〟という言葉に象徴された未曾有の好景気からデフレ時代へと突入していた。
 そんな時代模様の中、歌謡界では小室哲哉サウンドを筆頭として、音楽はア

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ちあきなおみ~歌姫伝説~34 復帰なき理由・中篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~34 復帰なき理由・中篇

 おそらく、ちあきなおみの「復帰なき理由」のひとつに、文豪・芥川龍之介の自死を重ね合わせて見ているのは私だけであろう。
 だが、ちあきなおみが断歌を決意する局面において、〝ぼんやりとした不安〟がなかったとは言い切れまい、と思うのである。
 芥川龍之介氏は明治・大正・昭和を生きた小説家であり、その自死の原因には諸説あるが、私なりの見解としては、文学に対する真摯な姿勢というものである。詳しくは本執筆の

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ちあきなおみ~歌姫伝説~33 復帰なき理由・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~33 復帰なき理由・前篇

「ちあきなおみという歌手が、もし歌いつづけていたら、今どのようになっていただろうな・・・・」

 ぼんやりと思いを巡らせる私を現実世界に引きもどそうと、ゴッド(友人)が敢えて声に出して変化球を投げ込んできた。

「もし、などということには答えられないな。ただ・・・・、今の歌謡界が変わることはなかったにしても、なにか別の、ちあきなおみという新しい潮流を示しただろうと思う。そして、その潮流に寄り添って

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ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

ちあきなおみ~歌姫伝説~30 ただ歌のために

 一九八一(昭和五六)年、ちあきなおみはレコード会社をビクターインビテーションに移し、これまでとははっきりと方向性を変え、伝説を積み上げてゆく。
 真摯にじっくりと好きな歌に取り組み、アルバム歌手として、アーティストとしての趣を見せながら、ちあきなおみ路線を劇的に繋いでゆくのである。そして一九八八(昭和六一)年、レコード会社をテイチクに移籍させるまで、ビクターから四枚のアルバムを発表している。
 

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ちあきなおみ~歌姫伝説~28 ちあきなおみ復帰画策事件

ちあきなおみ~歌姫伝説~28 ちあきなおみ復帰画策事件

 一九七七(昭和五ニ)年、「夜へ急ぐ人」(九月一日発売)を巡り、如実にあらわれた歌への制作スタンスの根本的相違から、七月、ちあきなおみは当時の所属レコード会社・日本コロムビアに対して、今後契約更新の意思がないことを表明する。日本コロムビア側は、スターである歌手に辞められてはドル箱を失うことになり、ちあきなおみがどう動くかということは、今後マーケットに大きな影響を及ぼす重要な問題だった。しかし、双方

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ちあきなおみ~歌姫伝説~27 閉ざされた扉の向こうで

ちあきなおみ~歌姫伝説~27 閉ざされた扉の向こうで

 一九七八(昭和五三)年、ちあきなおみは郷鍈治との結婚を機に、少しのあいだ芸能界とは距離を置き休業状態に入るのである。
 振り返れば、これまで休むことなく歌いつづけてきたちあきなおみにとって、この期間はもっとも人間らしい時間を過ごすことができた、至福の時であったと言えよう。
「郷さんはもう少しひとりでいたかったんだけど、私が強引に結婚してもらったの」というのは、ちあきなおみ自身が述懐していたところ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~26 契約解除処分

ちあきなおみ~歌姫伝説~26 契約解除処分

 一九七七(昭和五ニ)年、商業ベースに乗って与えられた曲を歌う道筋から、自らが歌を選んで取り組む独自の路線を歩きはじめたちあきなおみは、翌年の一九七八(昭和五三)年一月、アルバム「あまぐも」を発表する。
 このアルバムは、河島英五が六曲、友川かずき(現・カズキ)が五曲、全楽曲書き下ろしによる作品で構成されている。収録されている「夜へ急ぐ人」(作詞・作曲・友川かずき)は、宮川泰アレンジによるシングル

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ちあきなおみ~歌姫伝説~25 「第28回紅白歌合戦」での出来事

ちあきなおみ~歌姫伝説~25 「第28回紅白歌合戦」での出来事

 一九七七(昭和五ニ)年十二月三一日、ブラウン管に映し出されたある衝撃的な光景が、その後私の心の中に強烈な残像を刻みつけた。
 そのテレビ番組は、年末の締めくくりと言われる、「NHK紅白歌合戦」である。
 ちなみに二八回目を迎えたこの年のテレビ視聴率は、関東で77%(ビデオリサーチ調べ)を記録している。
 テレビ画面には、これまでに聴いたことがない、歌謡曲でもなければ、フォークソングでもロックでも

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ちあきなおみ~歌姫伝説~24 中島みゆきとの邂逅

ちあきなおみ~歌姫伝説~24 中島みゆきとの邂逅

「夜へ急ぐ人」のシングル発売に向けて、ちあきなおみの意志を汲んで動いたのは郷鍈治だった。

 一九七三(昭和四八)年末、兄、宍戸錠の紹介で運命的に出逢ったふたりは、お互いに魂を投げ出し合うかのように、二人三脚でステップを踏みはじめる。
 この頃、ちあきなおみは歌手として、自らを分岐点に立たせ試行錯誤を繰り返していた。

「毎日マネージャーが迎えにきて、現場から現場へ移動して歌って、帰ってきて寝て、

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ちあきなおみ~歌姫伝説~21 最後の一年・前篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~21 最後の一年・前篇

 一九八〇(昭和五五)年、戦後からつづいた経済成長も一区切り、時流に乗りに乗った日本人の心の向きも、七〇年代の考え方やものの見方から新しい感覚、感性へとバランスを移行しはじめる。「さて、百恵ちゃんも結婚したことだし」といった台詞を、私は何度も大人の口から聞いた記憶があり、山口百恵の引退は大衆文化の中で、明らかに時代のエポックメーキングとなったのは間違いないであろう。
 この年は、山口百恵と入れ替わ

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ちあきなおみ~歌姫伝説~16 郷鍈治の途・後篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~16 郷鍈治の途・後篇

 一九五八(昭和三三)年十月二九日公開の「俺らは流しの人気者」(野口博志監督)で、郷鍈治(以下・鍈治)は兄の宍戸錠(以下・錠)の推薦を受け、「街の流しⅮ」という役どころで出演(宍戸鍈治名義)した。
 しかし、鍈治はこれ一回で、とてもじゃないが自分には向いていないと、もう映画出演には嫌気が差していた。だが、運命は再び鍈治を映画界へと誘う。大学卒業を間近に控えた頃、またしても錠から声が掛かったのだ。

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ちあきなおみ~歌姫伝説~15 郷鍈治の途・中篇

ちあきなおみ~歌姫伝説~15 郷鍈治の途・中篇

 一九四七(昭和二二)年、戦後混乱期、野望崩れ去り、宍戸家は全財産を失い一転して奈落の底に突き落とされる。
さて、これからどうしたものだろか・・・・。 
 おそらく、幼かった郷鍈治(以下・鍈治)はこの重大な局面において、両親や親戚、また兄たちや姉の苦悩を肌で感じつつも、判然としないままその状況に身を置いていたものと思われる。ただ、目まぐるしく変化してゆく時代状況と自らを包囲する環境の中で、ものの善

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ちあきなおみ~歌姫伝説~14 郷鍈治の途・前篇 

ちあきなおみ~歌姫伝説~14 郷鍈治の途・前篇 

 さて前回まで、ちあきなおみが歩いた途を私なりに彷徨い、「喝采」でレコード大賞を受賞
するまでの足跡、その後の歌手としての葛藤と逡巡まで辿り着くことができた。
 この当時、メディアはテレビ全盛時代にあり、一九七二(昭和四七)年、ちあきなおみが「喝采」で出場した「第23回紅白歌合戦」の視聴率は、八〇・六%(ビデオリサーチ調べ)である。
 大晦日はレコード大賞から紅白歌合戦をつづきで見る、というのが一

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