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ちあきなおみ~歌姫伝説~27 閉ざされた扉の向こうで

 一九七八(昭和五三)年、ちあきなおみ郷鍈治との結婚を機に、少しのあいだ芸能界とは距離を置き休業状態に入るのである。
 振り返れば、これまで休むことなく歌いつづけてきたちあきなおみにとって、この期間はもっとも人間らしい時間を過ごすことができた、至福の時であったと言えよう。
「郷さんはもう少しひとりでいたかったんだけど、私が強引に結婚してもらったの」というのは、ちあきなおみ自身が述懐していたところであるが、私はこの結婚式の写真を見せてもらったことがあり、タキシードとウェディングドレスに身を包み、粛々と神前にて結ばれるふたりに、当時の騒擾にみちた背景など微塵も感じられず、私から見れば、これ以上にお互いに見合う伴侶はいない、という趣をふたりの風貌から感じたものである。それは、夫婦であるということよりもなにかもっと濃密な、七難八苦を踏みつけ乗り越えて、ともに唯一の天空を抱かんとする、同志としての絆を秘めていたからに他ならないだろう。

 そして、この結婚は事後報告という形でマスコミに公となったが、周囲の目は意外に冷たいものであったという。ここにはやはり、制作スタンスの根本的相違によって、ちあきなおみと対立関係となっていた、当時業界において絶対的権力を持つレコード会社への忖度が働いていたものと思われる。喬木は風に折らるといったところであろうが、この直後なされた、当時の日本コロムビアによるレコード業界からの永久追放に等しい契約解約処分にちあきなおみ伝説を重ねてみれば、私はこの事案にただ悲観的な感情を持つことはない。たしかに、歌手として活動の場をひとつ奪われたことは死活的に重要な問題ではあるが、それよりも、やっとちあきなおみが商業主義的な束縛から解放され、じっくりと歌に取り組める時間と環境を手に入れることができたという、むしろ、してやったりといった感情を持ってしまうのである。 
 しかし、ちあきなおみが悪者に仕立て上げられたこの理不尽な追放処分によって、当人が業界に対して不信感を抱き、愛想が尽きたのは明らかである。
 このことは、ちあきなおみの歌への貧欲さとは別の、体制側への反逆魂をその心に宿らせたことと思われる。ここで言う反逆魂とは、自らの歌に対するスタンスの絶対的確信であり、その実力に裏打ちされた絶対的自信である。この歌手としてのプライドが、歌手生命の危機に及ぼうとも、長いものには巻かれない的な、ある意味、はみ出しものの正義感とならざるを得ないところに、現代社会にも通底する問題がはらまれているように思われるのである。正義と悪は常に相対的な立ち位置にあり、そのときの状況によって、同じ行動が正義として絶賛されたり、悪として槍玉に挙げられたりする矛盾にみちたものである。当時ちあきなおみが悪者とされたのは、現在のちあきなおみ人気から鑑みれば、やはりその行動を取り囲んでいた当時の状況、いわゆる、ただのレコード会社の政治の問題にすぎなかったのは明らかである。
 しかしこのことで、ちあきなおみは当時、独自路線を突き進もうとする過度期にありながら、ノルウェーの劇作家、イプセン「人形の家」の主人公であるノラの如く、芸能界から突然家出をするのである。
 歌とは、人間の魂の投影であり、歌手とは、その限界のない世界を表現する仕事である。
歌を、歌手を、まさに人形として政治に利用されるのであれば、あくまでまず、ひとりの人間として生きようと願ったのである。そういう意味では、ちあきなおみは歌の誇り高きアーティストだった。

 一九八九年「広告批評」の一月号で、ちあきなおみはこの当時の状況をこう語っている。

「ハデな世界が、急になんだか恥ずかしくなってしまったんですね。どうしてあんなところで自分はやっていたんだろうと思うくらい」

 真のちあきなおみの人間性が垣間見える言葉であるが、私はもうひとつ、このように言い切れる、ちあきなおみという歌手のパワーを感じてしまう。この精神力こそ、伝説の存在たるひとつの重要な鍵を握っているのである。それは体制側、権力の要望に対してはっきりとNOともの申せる度胸であり、あらかじめ作られた世界をはみ出してゆく気概である。こういったところが今、若い世代にも憧憬の念を抱かせる理由のひとつではないだろうか。
 そして現代の芸能界において、はみ出しものは即抹殺されてしまう現状を見れば、エンターテインメントの各分野から、今後伝説は生まれ得ないと言うこともできるのである。さらに言えば、非日常という非常識を表現するアーティストから、世間一般の常識という日常をはみ出してゆくパワーをもぎ取ってしまう世界からは、紋切り型のスターしか生まれてこないのである。
 その意味において皮肉にも伝説が生まれ、現在多くの業界関係者やちあきなおみファンによる復帰待望論が止まぬ状況から見返れば、当時の日本コロムビアの功罪は大きいと言えるだろう。
 そして今となってみれば、昨今のちあきなおみ伝説人気は、体制側の驕った錯誤たる判断によって生じた必然の帰結である、と書かざるを得ないのである。
 
 さて、ちあきなおみの歌手人生に影を落とすはずであった当時の日本コロムビアの契約解約処分は、逆に光ある幸福の時と、歌手としての実りある季節をもたらした。結婚後ちあきなおみは一旦、個として瀬川三恵子にもどり、専業主婦としての時間を過ごす。生活の基盤として東京・広尾にコーヒーショップ、COREDO(レコードの英字スペルを捩ったもので、ちあきなおみ命名・古賀註)を夫婦で開業し、個人事務所であるセガワ事務所を設立する。郷鍈治もひっそりと俳優としては一線を退き、店のマスターとして、そして事務所の社長として、ちあきなおみを新しい潮流へと導いてゆくのである。
 店には二谷英明岡田真澄など、往年の日活アクション時代の盟友が多く来店し、時にはちあきなおみがコーヒーを運んだりと、夫婦の仲睦まじい姿が見られた。郷鍈治は毎日、愛妻手製の弁当を持参し、繁盛する店を切り盛りしていた。

店内に展示されていたJAZZ名盤(ちあきセレクト)


 この時期のことで、私がちあきなおみから聞かせてもらった話で大変感慨深いのは、時々、郷鍈治は一人旅に出たという話だ。ほとんどの時間を共有していたと思っていた私は意外の感を抱いたのだ。
「それは、郷さんだってひとりになりたいことがあるでしょう」
 私はちあきなおみのこの言葉に、どこか夫婦でありながら男同士の相棒感覚のようなものを感じ、本当に素敵な夫婦だと感慨もひとしおだった。

 そして、このような期間を経て一九八〇年代へと差し掛かる頃、ちあきなおみ復帰の噂が業界を駆け巡りはじめるのである。
               つづく


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