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【長編小説】熊の飼い方

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新社会人になり、不安と期待を寄せる青年。 一方で平凡な毎日に飽き飽きした青年。 そんな二人の青年の苦悩と不安を描いた小説。 ※フィクションです。登場人物や団体は架空のものです。
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2021年6月の記事一覧

熊の飼い方 45

熊の飼い方 45

光 23

 朝、起きると体が倦怠感に襲われた。どうしようもないぐらい動きたくない。だが、会社にはいかなくてもいいので無駄に動かなくても良い。そのため、また寝ようとした。しかし、体のダルさが睡眠の邪魔をした。
 ここにきてもう何日経ったのだろう、と考えながら天井を眺めていた。天井が音も立てず落ちてくるのではないか、という幻想を引き起こした。この体勢のまま何分経ったのか分からなかったが、眠ることがで

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熊の飼い方 44

熊の飼い方 44

 影 23

 ごっさんは何日か作業を休んだ。どうしてか分からないが、最近、元気がなさそうであると感じていた。ただ体調が悪いだけなのか、精神的な何かがあるのかは分からなかった。しかし、あれだけ元気だった人間が急に元気がなくなると心配になるものだ。
 数日後、ごっさんは何事も無かったように作業場に戻ってきた。休憩中、ごっさんは僕が座っている隣に座ってきた。僕は、何があったかを聞くことはできなかったの

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熊の飼い方 43

熊の飼い方 43

光 22

 一人でいると急に吐き気が訪れる。思い出してしまうからだ。あの感触、あの心臓の鼓動、あの叫び声。僕には元から、あのような小さな子に興奮するような要素はあったのだろうか。そのような不安も押し寄せてくるようだった。
 後悔しても戻らない時間なのだが、その時間が自分の中で止まり、今に流れ出てくる。なのに、この部屋のものは何も変わらない。
 ここは地下であるため、外の状況がわからない。晴なのか

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熊の飼い方 42

熊の飼い方 42

影 22

 何日間か雨が降り続き、久しぶりに太陽が雲の隙間から顔を出すようになっていた。これはいいことが起こっていく兆候なのか、と考えることができるぐらいの余裕が生まれてきた。しかし、これといって何か楽しいことがあるという訳でもない。
 何か楽しいことがあればこの状況も耐えることができるかもしれないと想像したが、現実的ではないのでやめた。気力と根性で耐えているような僕に、いつがたが来てもおかしく

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熊の飼い方 41

熊の飼い方 41

光 21

 ドアをノックする音が聞こえて僕は体を起こした。ヨロヨロする体を持ち上げながらドアのほうへ向かい、開ける。そこには島崎がいた。
「ご飯一緒にどう?」島崎は言った。
「あ、はい」
 昼ごはんはどうすべきなのだろうと考えていたので、助かった。島崎が向かう先について行くと、部屋の並ぶ一番奥の一角に広いスペースがあった。あまり広いとは言えないが、八畳ほどの空間には、大きな冷蔵庫、新しくは無いよ

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熊の飼い方 40

熊の飼い方 40

影 21

 天気の悪い朝だった。外では横殴りの雨が降り、雨粒が壁に不規則なリズムで打ち付けている音が聞こえる。台風がきているのではないか、と推測した。最近、それほど外の天気というものを気にしてこなかったため、不思議に思った。また、いつもよりも湿気を感じた。何か不吉な予感さえした。ただの予感であると言い聞かせ作業着に着替え、作業場に向かった。
 いつものように作業をしようとしているとごっさんの姿が

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熊の飼い方 39

熊の飼い方 39

光 20

 徐々に記憶が蘇ってくる。僕はあの子を殺したのか。いやそんなはずがない。しかし、あの首の感触が手から思い出せてきた。生暖かく、細く、微かに宿していた生命の感触が。
 逃げよう。逃げるしか道はない。だがどこに。
 僕のいるべき場所はあそこしかなかった。そう、『影栄会』だ。しかし、こんなことをした僕を救ってくれるのだろうか。人を殺した人間をかくまった罪で迷惑をかけるのではないか。そう感じた

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熊の飼い方 38

熊の飼い方 38

 影 20

 ここの人達は誰か待ってくれている人がいるのだろうか。ただ単純作業を毎日のように行い、機械のように動いている。時に休憩時間に話し、スポーツをするだけである。
 なにも変わらない、なにも変化のないこの日常に、変化を与え、折れそうな木を支えてくれる人はいるのだろうか。少なくとも、僕にはいない。恋人という人はこれまでにできなかったように思う。できていたとしても、覚えていない時点でいないのと

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熊の飼い方 37

熊の飼い方 37

光 19

 それから僕は外に出なかった。いや、出ることができなかったのが正しいだろう。誰かに見られているのではないだろうか。家を特定されるのではないだろうか。そんな思いが永遠に続いた。吐き気が三十分に一度程度起こる。
「田嶋君元気?佐々木君から田嶋君が会社を長く休んでいると聞きました。色々大変なこと多いと思うけど、あまり無理せずに。前の講演よかったと言ってたので、昨日の録音送りますね。ちゃんと許

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熊の飼い方 36

熊の飼い方 36

影 19

 作業場のトイレに行くとごっさんが用を足していた。挨拶をしようか迷っていたが、ごっさんは用を足しながら泣いていた。ごっさんは僕の存在に気付き、涙を含んだ笑顔で僕に軽く会釈し、また前を向き直った。
「何かありましたか?」
「時々、自然に涙が出てくるんです。本当に急に。何かわからないんですよね。おかしいですよね」笑顔を見せながら、ごっさんは言った。
「いえ」
「すみません」
ごっさんはそう

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熊の飼い方 35

熊の飼い方 35

光 18

 家に帰っても、あの『影』の主の声が鮮明に聞こえるように、頭の中を反芻した。僕は光ろうとしていたから辛い思いをしたのだろうか。いや、光ることを避け、人からも距離を取り生きてきた。しかし、その心の奥では、将来周りの人間を見返すため、誰よりも光るために生きてきたのかもしれない。
 光らなくてもいいと言っていた。確かにそうかもしれない。蛍光灯が光るのには多くの電力と熱量が必要である。しかし、

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熊の飼い方 34

熊の飼い方 34

 影 18
 
 ごっさんの描く絵は僕には理解できなかった。
黒く塗られた背景の中心に、白い布のようなものが螺旋状に渦巻いている。その白い物体は何かから抜け出すようにも見える一方、もがきながら動いているという印象も受ける。鉛筆で描かれたその絵は、白と黒しかないはずだが躍動感がありありと表されていた。「あまり何も考えずに思うがままに描きました」とごっさんは言っていたが、僕にはそうは思わず、何か内なる

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熊の飼い方 33

熊の飼い方 33

 光 17

 扉を開けるとそこには大きな薄暗い空間が広がっていた。都会のビル街の地下にこのような大きな場所があるとは思ってもみなかった。この空間の中には、壁に等間隔に蝋燭の火が灯っている。歩くごとに線香のような香りが身体全体に染み渡る感覚に陥る。歩いていくと正面らしいところにステージがあった。そこは暗く、何かの始まる予感を漂わせている。歩いて中にはいると、椅子や机は無く何人かが地面に座っているこ

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熊の飼い方 32

熊の飼い方 32

 影 17

 一筋縄ではいかないと言う言葉を考えた人は並外れた発想力をしているのではないかと考えることがよくある。人生、一筋縄で行く人がいるのだろうか。誰も知らない無人島で一生を終える人は一筋縄でことが済むのかもしれない。いや、無人島でもそれなりの苦労があるだろう。
 この世に生を受けた時点で、誰かの死や生を目の当たりにする。その時点で、一筋縄では行っていないのかも知れない。作業着に着替える鬱陶

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