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熊の飼い方 33

 光 17

 扉を開けるとそこには大きな薄暗い空間が広がっていた。都会のビル街の地下にこのような大きな場所があるとは思ってもみなかった。この空間の中には、壁に等間隔に蝋燭の火が灯っている。歩くごとに線香のような香りが身体全体に染み渡る感覚に陥る。歩いていくと正面らしいところにステージがあった。そこは暗く、何かの始まる予感を漂わせている。歩いて中にはいると、椅子や机は無く何人かが地面に座っていることに気付いた。何かの宗教団体に勧誘されているのかと思い、急に恐怖が芽生えていきた。
 全く何もわからないため、島崎についていくしかなかった。島崎は座りだしたので、横に腰掛けた。時間が経つと、だいぶん周りの人が見えるようになってきた。多様な人々がいることに初めて気が付いた。中年の女性、定年を超えているように見える男性、高校卒業したての男性、自分と同じぐらいの男性、いかにも苦労をしてないように見える女性。年齢も性別もバラバラであることが分かった。しかし、薄暗いために表情などは見ることができなかった。
 この空気の新鮮さと異様な雰囲気に落ち着くことができず、ソワソワしていた。すぐにでも帰りたいと思った。しかし、この空間にある落ち着く匂いが、僕を帰らすことを拒んでいるように思った。横にいる島崎は、目を閉じ、下を向き、瞑想のようなことをしていた。喋り掛けるなというオーラを全面にまとっているようにみえた。
 僕もぼっーとすることにした。ハッとなり、気づいた頃には人数が増えてきて、地面いっぱいに人間が溢れていた。異様な雰囲気に飲み込まれそうになったが、これだけの人数を集める何かが始まると思うと、安心感が生まれた。
 正面のステージが一瞬暗くなり、何かが始まることを告げた。一瞬暗くなったかと思うと、ステージに人影がみえた。目をこすって見たが、顔の輪郭が見えることはなかった。じっくり見てみると、白い幕が張られ、その後ろに人物が座り、背後からライトで照らされているようだった。その影が幕に写っていた。拍手が起こる。それに合わせて自分も拍手をした。島崎はいつの間にか起きていて拍手をしていた。
「みなさん、おはようございます。よい休日が過ごせていますか?」影が喋りだしたようだ。マイクがついているのか、影が発した声が会場中に響き渡った。それとともに今日が休日であるということを認識した。
「私は今日の朝、小学生の息子に、『パパ、今日もパチンコに行くの?』と聞かれました。パチンコはそこまで行ったことがないのですが、パチンコに行く親父と決めつけられました。どこで覚えてきたのかわからないのですが、私が悪い印象であるならショックです。しかし、『頑張ってね』と息子は言ってくれました。確かに、この公演も僕にとっては賭けかも知れません。いつも、どれくらいの人数がきてくださるのかドキドキしています」
 会場は笑いに包まれた。会場に響いている声は、生まれたての卵を包み込むような優しい声であった。
「さてみなさん。こんなクソ暑い中、お集まりいただき、誠にありがとうございます。つまらない話ですがどうぞお付き合いください。では、今日は、なぜ植物は元気に育つのかということについてお話ししたいと思います。興味ないと思われる方もいらっしゃると思いますが、少しの時間お付き合いください。植物は太陽の光を浴び、葉や花を成長させます。それは、一般的に光合成というものです。これはみなさんもご存知だと思います。しかし、植物が成長する要因は光合成だけなのでしょうか。他にもいくつかの要因があって、植物は成長するはずです。その他の要因は、二つだと私は考えます。まず一つは『呼吸』、二つ目は『根』です。植物は、日中の光合成だけでなく、夜に行われる『呼吸』を通して成長します。これも大切な一つの要素です。もう一つは『根』です。植物は、土の下に根をはり、立っています。地上での栄養分だけでなく、土の中からも栄養分を多く蓄えています。それがないと、立派に地上に立ち、成長することはできません。では、この二つで共通していることは何か分かりますか?表向きには見えないということです。夜の花をわざわざ見に行こうとしますか?綺麗な花を引き抜いて、根っこをわざわざ見ようと思いますか?しかし、見えないところで大きな仕事をしていることが良く分かりますね。つまり、大切なものは『影』なのです。人に見えない物、人には見えない部分それが生きて行く上では重要な役割をしています。ここにこられている皆さんは、光なろうと、輝かないといけないと頑張ってこられた方が多いと思います。ですが、そんなに頑張らなくても大丈夫です。『影』の存在でも、『光』と同じような力を持っているのですから。『影のないところに光はない』。大丈夫です。みなさんのおかげで地球は回っているのです。自信を持ってください」
 淡々とその『影』の主は話す。だが、僕は一つ一つの言葉に引き込まれているという実感が湧いた。考えてもみなかったことが体の中に浸透していく。その液体のような言葉は、僕の中に詰まっていたものがどんどんと流れ出て行くようだった。

―――影でいい。そうかもしれない。僕は光り、誰かを照らすことを、誰かに照らされることを望んでいたかも知れない。前に写る『影』に自然に同化していくような感じがした。

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