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熊の飼い方 42

影 22

 何日間か雨が降り続き、久しぶりに太陽が雲の隙間から顔を出すようになっていた。これはいいことが起こっていく兆候なのか、と考えることができるぐらいの余裕が生まれてきた。しかし、これといって何か楽しいことがあるという訳でもない。
 何か楽しいことがあればこの状況も耐えることができるかもしれないと想像したが、現実的ではないのでやめた。気力と根性で耐えているような僕に、いつがたが来てもおかしくないと感じる。
 太陽は天体の視点から見る限り、赤い物体なのに、いま見えているものは赤というより、白く光り、僕たちが直接眼球で見ることを遮る。これはどういうことなのだろうという疑問が湧き上がった。
 このような疑問は、小学校のうちに考えたことがあるような気がした。しかし、小学校の時、質問することができなかった。授業中は集中して先生の話を聞くもので、僕の筆問など聞いてくれるはずがない、また、聞いたところで答えてくれないだろう。そんなことを思い、心の中にしまい、忘れてしまっていったことを覚えている。
「にっしーさんは生きづらいと感じたことはないですか?」
「常に感じてます」
「僕も同じです。どんな時に感じますか?」
「しいて言うなら、自分の疑問を外に出して消化できない時ですかね」
「ほお、そんな時あるんですね」
「なんで生きているのに死んだように生きていかないといけないのか、とか、こんな性格なのに人間というのは理解してくれようとしないのか、とかですかね」
 疑問を心の中に持っていることは罪なのだろうか、それともいいことなのだろうか。しかし、どんな発明者や学者でも小さな疑問からひらめきは起こるのではないだろうか。その疑問を押さえつけ、支配者の言いなりになる社会というのは果たして健全と言えるのだろうか。疑問が堂々巡りしてしまい、頭がパンクしそうなので考えることをやめた。僕のようなただの人間が考えたところでなんの利益もない。ましてや時間の無駄だ。そんな気さえした。
「すごく考えてらっしゃるんですね。僕の生きづらさは、なぜ僕は動物のように生きれないのかですね。もっと動物みたいにただ食料を求めるために生きれたらこんな幸せなことはないのにと思うことです」ごっさんは何か考えるように言った。
「僕も同じようなこと考えたことあります」
 ごっさんの考えには共感した。僕たちは人間という動物なのに、動物らしくないことばかりしている。人間の立ち位置はどこなのだろうか。地球が出来てから解明されることが無かった疑問に立ち向かう。これからも解明されないだろう疑問でもある。

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