#エッセイ
主観を、自分一人の力で手に入れたものだと思うなよ
信頼している先輩に、お店や事業の行く末について相談していた時のこと。
この進め方ではお店のメンバーに自分の主観を押し付けることになるんじゃないか、という不安があるという話をしたら、「自分自身が持っている主観は、色々な人との関わり合いの中で育まれたものなのだから、自分一人の力で手に入れたものではない」というようなことを言われて、とてもハッとした。
小さいチームながら、お店の代表という立場でいると
ネットの石ころに救われてきた
本もそうだけどネットの文章にもずいぶん助けられてきたなぁと思う。救われたというか。
インターネット老人会なので、どうしてもブログより昔のテキストサイトの匂いがするものに郷愁を覚える。まあ、いくつか管理人やってた初期のmixiも懐かしいんですけど。
といっても侍魂さんみたいな超メジャーなテキストサイトにはあまり寄り付かず、ひっそりと誰が誰に言葉を吐いてるのかわからないようなサイトをふらふら歩いて
自分のイメージはつくれるけどつくらない
あえて、つくらなくていいや。と思ってしまう。
ライティングを通してブランディング(なんか手垢でべとべとするけど)とかグロースハック周辺に関わってたりもするのに、いいのか。
ダメだろう。イメージ大事。わかってます。だけどなぁ(心の声)。
なにを言うかよりも、だれが言うか。なにを書くかよりも、だれが書くかで世の中動いてるのは本当のことだし、だからなおさら「イメージ」をちゃんとつくれてないと、だれ
一般化を避けて書くということ。
真実は一般化できない。
人に会うと、ときどきこう言われます。
「末吉さんって自由ですよね。わたしもそんな風に生きたいです」
そうなんですよ〜と、まったく否定しません。しかし、たぶんきっと、その人が思っている自由とは違うもののはずです。もしくは重なりはあるけれど、やっぱりちょっと違うというか、云々かんぬん…。
その人は、僕が毎日のように書いている日常を切り取った文章を読んで、「あ、末吉さんは
不安やら恐れから手を離してみる。
今朝、ひとつの仕事を手放した。
なかなか大きな仕事で、しばらくのあいだ迷っていた。もしかしたら。ほんとうにもしかしたらではあるが、ここ最近の体や心の重たさの一要因はそこにあったかもしれない、なんて思ったりする。
決断を下したあと、その仕事のために確保していた未来のスケジュールをGoogleカレンダーから削除していく。バサッ、バサッ、バサッ。ひとつ削除するたびに、心なのか体なのかが軽くなる。その
手が止まるまで、飽きるまで
久しぶりに勉強している。
B5のノートを開いて、本を開いて、スマホを手元に置く。
では、気が済むまでどうぞ、レディー、ゴー!
本の内容の中で気になったところを書き写し、解らない単語をスマホで調べる。全く知らない知識が、自分の知っている知識につながるまでひたすら追いかけた。例えば英語は語源を追いかけるのが好きだ。どんなに未知の単語でも、絶対に自分の知っているものにたどり着く。こんな風に、手に当