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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第四期生

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数々のクリエイターの出身母体となった"小池一夫劇画村塾"。その第4期生である筆者の業界回想録です。
運営しているクリエイター

#漫画

"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈1〉

"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈1〉

<小池一夫先生率いるスタジオ・シップの夏合宿〜編集者さん達も参加しての漫画創作セミナー>

 今から考えると、

(ホンマにあの頃は俺もまだ初心(うぶ)やったなあ……)

 としか思えないのだが、『危(ヤバ)めのヴィーナ』の第一回目が、めでたく『コミック劇画村塾』に掲載されても、相変わらず、不安感と緊張感のほうが先に立っていた。

 デビューしたての新人作家にとっては、たとえ一か月に一度の締め切

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈2〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈2〉

<麻雀ができもしないのに麻雀劇画の連載を引き受ける〜小池一夫先生と石ノ森章太郎先生の言葉、そして狩撫麻礼先輩のラスタな説教>

 相変わらず都立大学の安アパートで悪戦苦闘を続けていたが、ある日突然、
「『コミック劇画村塾』、残念ながら休刊!」
 という話が飛び込んできた。
「え! マジ? なんてこった……」
 大好きな作品も掲載されていたし、何よりも自分がデビューした雑誌だけに、ひじょうに残念だ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈3〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈3〉

<"都立大学漫画血風録"の始まり〜いつの間にか編集者さん達や漫画家さん達とのコネクションが加速度的に増えてゆく>

 狩撫麻礼先輩&たなか亜希夫先輩コンビの『ルーズボイルド』は、残念ながら、何回か話を重ねたところで終わってしまった。(未だ単行本化もされていないはずで、なんとも勿体ない)
 『ルーズボイルド』の担当編集者はHさんという人で、やはり我々と同じく都立大学の住人だった。 根っからの漫画編

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈4〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈4〉

<土山しげる先生との出会いと想い出〜”職業物”"グルメ"漫画への原点>

 都立大学時代、決して忘れることのできない出会いのまず一つ目は、土山しげる先生とのそれである。

 最初のきっかけがどうだったか、不覚にもまったく記憶にない。
 どこかの出版社のパーティで知り合ったか、編集者のどなたかが紹介してくださったか、そのどちらかではなかったかと思う。
 ただ、土山先生の御名前自体は、雁屋哲先生と組

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"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈5〉

"キャラクターを起てろ!" 劇画村塾第4期生 第3章〈5〉

〈"アクション漫画のスーパーエース"猿渡哲也先生との出会いが、さらなるステップアップに〉

漫画原作の仕事でなンとかかンとか食えるようになってからも、スタジオ・シップ本社へは、ちょくちょく顔を出し続けていた。
 小池先生のマネージャーさん達や前出の社員のOさん、アシスタントさん達の交流が楽しかったし、たまにピンチヒッター的に短編読み切り原作の仕事なども依頼されたからだ。
 何よりもたまに小池

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈6〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第3章〈6〉

<”ツーカー”岡村賢二先生との出会い〜"文字"で漫画を"書く"原作者という存在の特殊性と"ブランド力">

 岡村賢二先生との出会いに際して、どうしても書いておかなければならないのが、先述した原作者のタイプに関するエピソードである。

 小説家の酒見賢一先生が、某雑誌のインタビューで、
「漫画原作者は育てたりするのではなく、どこかにいるのを見つけてくることしかできない」
 というニュアンスのこ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈1〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈1〉

<劇画村塾をこっそり聴講する〜小池一夫先生の作劇法の一端と新しい才能の萌芽>

 漫画業界の凄まじい"バブル期"の話に行く前に、また少し過去に戻って……。

 先述したスタジオ•シップ販売部のOさんとの打ち合わせや、たまに小池一夫先生のマネージャーのOさんからも読み切り原作の依頼をもらったりして、劇画村塾卒塾後も、スタジオ・シップへの出入りは続いた。
(この時、マネージャーのOさんから紹介された

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈2〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈2〉

<「ファックじゃなくて、ファクシミリとやら」〜狩撫麻礼先輩からの電話>

 前述もしたが、社会現象とも言える大ブームを巻き起こしていた新世代のプロレスUWFやシュートボクシングなどの試合を、後楽園ホールを始めとして、様々な会場へ観に行っていた。
 たなか亜希夫先輩や、前出の小池一夫先生のマネージャーのOさんも、大のプロレス好き格闘技好きであったので、皆、観戦仲間だった。
 共に観戦し終わった後に

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈3〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈3〉


<プロ作家の経験の重み〜小池先生と狩撫先輩の”雑談”エピソードに救われる>

 幸運にも、漫画原作者としての仕事のほうはすこぶる順調に軌道に乗って行った。
 狩撫先輩とたなか先輩の新連載『迷走王ボーダー』も、最初の頃は色々と大変なこともあったようだが、回を重ねる毎に『週刊漫画アクション』の看板作品としての呼び声も高くなりつつあった。
 そんな渦中にあっても、たまに、狩撫先輩の車に乗せてもらっ

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈1〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈1〉

<各出版社の豪華大パーティ〜黙っていても原稿料がハネ上がり、次々と単行本が発売になる"バブル期"、そして小池一夫先生との創作秘話〉

 都立大学と学芸大学を根城にする生活は、漫画原作者としての仕事がそこそこ軌道に乗ってからも、ずっと続いていた。

  その頃、漫画業界は、最初で最後のバブル期に向かって(誰もが最後だと思っていなかったが)、華々しく上昇して行く過程にあった。
 
 自分も曲がりなり

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈2〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈2〉

〈集英社の雑誌で同時に3本連載しつつ、他社の雑誌でも複数の連載を持ち、1日に1本の締切、365日休み無し〉

 劇画村塾に入塾し、小池一夫先生と出会い、さらに優秀な漫画家さんや編集者さんと巡り合い、はからずも漫画原作者として恐ろしいほど多忙になってしまった。

 最も連載が多かった時期は、集英社の雑誌で3本同時連載しつつ、他社の雑誌でも複数の連載を持っていた。
 小池先生ほどではなかったが、それで

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈3〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈3〉


<カリスマ性を持った現役の一流作家が率いてこそ〜劇画村塾の存在意義>

 ここで、少し閑話休題的に、小池一夫劇画村塾の存在意義について、あくまでも自分なりの意見を記しておきたい。
(劇画村塾に通った皆さん各々で印象も意見も違うはずだからだ)

 創作は、本当は、塾やスクールなどでは教えられないという意見もある。
 それも一面の真理だとは思う。
 が、事実として、劇画村塾からは大勢のプロの作家

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈4〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈4〉

<”キャラクターを起てる”ことの幅広さ〜すべてのメディアで応用が可能>

 小池一夫劇画村塾のさらなる存在意義として、漫画家や漫画原作者だけでなく、それ以外の分野のクリエイター諸氏を、世の中に送り出したことが挙げられるだろう。
(『ドラゴンクエスト』の堀井雄二先輩、『桃太郎電鉄』のさくまあきら先輩をはじめとして、ゲームクリエイター、小説家、プロデューサー、編集者など、卒塾生のクリエイターは数多い)

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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈5〉

"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第5章〈5〉

<劇画村塾で学んだ作劇上のテクニック〜キャラクターを起てるための技の数々>

 これまで述べてきたように、小池先生が提唱された、

「キャラクターを起てる」

 ということは、ひとつの主義であり、論理であり、概念である。

 劇画村塾では、その具体的な方法や練習の仕方なども、小池先生から教えていただくことができた。
 それらの技は、今でも、作劇において十分に通用し、また応用も可能である。
 (実際

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