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"キャラクターを起てろ!"劇画村塾第4期生 第4章〈3〉

 
<プロ作家の経験の重み〜小池先生と狩撫先輩の”雑談”エピソードに救われる>
 
 幸運にも、漫画原作者としての仕事のほうはすこぶる順調に軌道に乗って行った。
 狩撫先輩とたなか先輩の新連載『迷走王ボーダー』も、最初の頃は色々と大変なこともあったようだが、回を重ねる毎に『週刊漫画アクション』の看板作品としての呼び声も高くなりつつあった。
 そんな渦中にあっても、たまに、狩撫先輩の車に乗せてもらって食事に付き合わせてもらったりしていたし(そしてまた延々と説教されるという〜笑)、たなか先輩とそのアシスタント軍団との交流も、それまで通り続いていた。
 スタジオ・シップの社員の方々との繋がりも切れてはいなかったので、機会があれば、小池先生の授業を聴講させてもらっていた。
 自分が直接学んでいた時とその後の聴講も含めて、小池先生のお話の中で、”雑談”にも思わぬ局面で救われることになった。
 プロの作家の端くれになってみて、斯界の大先達である小池先生の体験談は、実践的に役に立ったのだ。
 例えば……。

「締め切りが迫ってきているのに、どうしても原稿が前に進まなくなってしまった時にはどうするか?」

 小池先生にも、そういう事態が度々あったという。(当時は物凄い仕事量をこなされていたので、まず、それを聞いて驚いたのだが)
 中でも、毎週、短い頁数での読み切り連作連載の名作『首斬り朝』の原作を書かれていた時には、七転八倒の苦しみで、緊張のあまり嘔吐したこともあったそうだ。
 では、そんな地獄のような状態から、いかなる方法を使って、締め切りまでに無事原稿を仕上げることができたのかというと……。

 もう、明日の昼には、絶対に編集者に原稿を渡さないとまずいという状況にまで追い詰められた。
 編集者から電話がかかってきて、明日の朝一番で、東京から、小池先生が仕事をしている軽井沢のホテルまで原稿を取りに来ると言う。
 ところが、夜通し延々考え続けても、ただの一行も書けない。
 そのうち、白々と夏の朝が空けてくる。
 小池先生は、どうしようもなくなって、部屋から外へ出た。
 そして、昇る朝陽に向かって、

(神様、どうか助けて下さい!)

 と、柏手を打った。
 まさにその瞬間である。
 頭にパッと閃いたものがあった。
 柏手を打った自分の手を見て、

(そうだ、柏手には意味がある。もし、間違えた数を打ってしまったなら……)

 そこから一気に構想がまとまり、慌てて部屋に戻ると、すぐにキャラクターを起てて書き始めた。
 編集者がホテルに到着する寸前に、なんとか仕上げることができた。
 当の編集者が、

「先生、原稿のほうはどうですか?」

 と、やって来た時、もうとっくの昔に出来上がっていたような顔をして、ロビーへ降りて行き、悠々と原稿を手渡したという。
 このエピソードが、自分にとってどのように役立ったかというと、何よりも、

(小池一夫先生ほどの天才作家でも、原稿が書けなくて、神頼みすることがあるんだ……!)

 その事実が衝撃的だった。
 そうであるならば、

(俺如き凡才が、たまに書けなくなるのは当たり前、ほんの少しだけ頑張れば、必ず何とかなるはずだ)

 と、大いに勇気を与えられた。
 この勇気こそが、下手な才能よりも重要で、締め切りのプレッシャーに負けない力となってくれるのだ。
 事実、何度となく書けなくなりそうになる局面を、小池先生の”神頼み”エピソードを思い出すことで、どうにか乗り越えることができた。
 さらにもう一つ、小池先生からお聞きした”雑談” が……。

 またしても『首斬り朝』を書かれている時の事だった。
 二度目の大ピンチ、前回と同じく一行も書くことができない。
  味をしめていたので、さっそく外に出ると、再び朝陽に向かって拍手を打ち、神様にお祈りした。
 ところが、今回は何も閃かない。

(ああ、今回は無理だな……)

 そう思って諦めかけていると、ふと、どこかから太鼓を打つ音が聴こえてきた。
 どこかで夏祭りの練習が始まったらしい。
 その太鼓の音をぼんやり聴いているうちに、突如として閃いた。

(牢屋に閉じ込められた囚人達が、夏の暑さのあまり、太鼓を打ち鳴らすように、格子や壁を一斉に叩き始めたとしたら……)

 たちまち発想が発想を呼び、部屋に戻って一気に書き上げたという。
 このエピソードも、ちょっとスランプ気味で書けなくなった時に、大いなるヒントを与えてくれた。

(何も閃かない時は、心を落ち着けて、周囲の環境に耳をすませてみることだ。そうすると、思わぬアイディアが得られることがある)

 実際、何度も窮地を救われることとなった。
 小池先生の数々のエピソードには、そのような実効があったのだ。

 “雑談”に関しては、狩撫先輩からも、勇気をもらったことがある。
 いつものように下北沢のスナックで説教を食らい、もう一軒行こうとなって、タクシーに同乗した時のことだ。
 不意に狩撫先輩が、

「締め切りは、面倒くさいし、辛いよな」

 そう話し始めた。

「たまに嫌で嫌で、しようがない時がある」
「そんな時はどうするんですか?」
「逃げ出すわけにはいかないからさ、まず下書きを書くんだ。原稿用紙にすごく小さな字で、ちょっとずつ。酒を呑みながら、やる時もある」
「狩撫さんでも下書きするんですね」
「ああ、するよ。それでとにかく最後まで書いてしまってから、素面に戻って、ちゃんと清書するんだ」
「真面目ですね」
「馬鹿野郎、俺はど真面目なA型だぞ」

 そこからまた説教が始まったのだが、これもやはり大いに勇気づけられる話だった。
 自分も下書きはするほうだったのだが、いざ清書し始めると、まったく違う方向に話が転がっていってしまう。
 それでやめてしまったのだが、どうしても書けない時、

(あの狩撫さんでも下書きをやってるんだから……)

 と、リラックスして下書きをやってみることで、何度か危地を脱出できた。
 小池先生や狩撫先輩の”雑談”は、自分にとってはピンチの時の特効薬のような役割を果たしてくれたのだ。
 そんなこんなで……。

 この時期は、『迷走王ボーダー』ではないが、アマチュアとプロの境界線上を、キワキワで歩いているような感じだった。
 小池先生、狩撫先輩、たなか先輩、劇画村塾の仲間達、スタジオ・シップの諸氏、コンビを組んだ漫画家諸氏、編集者諸氏と、みんなの力を借りて、どうにかこうにかプロの側へ降り立つことができつつあった。
 しかし、それは、劇画村塾が与えてくれた"第二の青春"が、いよいよ終わりに近づいている時でもあった。
 自分自身も、漫画業界も、今から思えば信じられないような"バブル期"へと突入しつつ……。

〈続く〉 
 
 

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