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育児で病気になった私 自己紹介 & サイトマップ

自分を一言で表現するなら、
「育児で病気になった人」

このワードから想像される人物像はたくさんあると思います。

メンタル弱め、マルチタスク苦手、人に悩みを相談することが苦手、人付き合いが狭い、真面目、几帳面、完璧主義、などなど。

このすべてに当てはまる私。

自分を知ってもらう上でこれ以上の紹介文は無いと思い、これまでクリエイターページの固定記事にこちらの記事を選んでいました。



noteを始めて4ヵ月がたち、少しずつ記事も増えてきました。
記事を整理しながら、あらためて自己紹介をさせて頂きたいと思います。

これまで週に1本のペースで記事を書いてきましたが、数えてみると4ヵ月で35本もの記事を書くことが出来ました。
思っていたより記事が多いことに驚いています。

ここまで書けるなんて想像もしていませんでした。
自分の人生の足跡を残せたような気がして、とても嬉しいです。


スキを送って下さったり、フォローして下さった皆さんのおかげです。ありがとうございます。

喜んでくれる人がいることが嬉しくて、書くことがどんどん楽しくなり、記事にしたいと思うアイデアが次々と浮かんできました。

頂くコメントも励みになりました。

名前の通り手紙が大好きな私は、コメントが届くと本当に嬉しいです。
コメント欄はポストだと思い、みなさんとのやり取りを楽しませてもらっています。


何も分からない中で始めたnoteですが、注目して頂いた記事がいくつかあります。
たくさんの方にスキを送って頂きました。
感謝です。

私の人気記事はこちらの5本です。



ではまず、「手紙日和」という名前についてお話します。


手紙が好きなことと、村上春樹さんが好きなことが伝わる名前を考えました。
春樹さんが好きな人と繋がれたらいいなぁと思って。ファン歴30年です。

村上春樹さんが好きな方はすぐにピンとくると思いますが、彼の書いた小説の中に出てくる「カンガルー日和」という言葉にかけています。
「日和」という言葉を、こんな風に使う春樹さんのチャーミングでユーモアのあるところが好きです。
クリエイター名を見て、「あ!」と思ってくれた方がいたら嬉しいです。

そして、文字が入力しやすいこと、簡単に覚えられることを意識しました。
日本が好きなので、和の響きにもこだわり漢字表記にしています。

真面目な記事ばかり書いているので勘違いされそうですが、私はかなりのおっちょこちょいです。
そして、笑いやユーモアのある暮らしが大好きです。
失敗の度につっこまれ家族みんなで笑ってくれるので、うちでは笑いが絶えません。
おっちょこちょいも悪くないなと最近思うようになりました。

ある冬のことです。
おでんを作ったのでお玉でよそおうとしたら、
カツンという金属音が響きました。
「ん!?」と思ったら、卵の殻でした。
ゆで卵の殻をむかないまま煮込んでいました。
全く味の染みていない卵が出来上がりました(笑)

他にも似たような失敗を何度かしています。
自分が今何をしているのか、きちんと考えることが大事だなぁと思います。
同じ作業を繰り返しているといつの間にか体が勝手に動くようになり、思わぬ間違いをしでかすことになります。

そんな笑える失敗を書いた記事がこちらです。


おっちょこちょいですが、手先は器用です。
米粒に字を書くことも出来ます。
昔、白ごまに文字を書いて、一粒一粒紙に並べて貼り、白ごまのお手紙を書いたことがあります。
それくらい器用です。

大きなものは苦手ですが、小さなものをちまちま作ることが好きです。

好奇心旺盛で何でも作ってみたくなり、はまってはブームが去るというのを繰り返しました。
ビーズや、あみぐるみ、パッチワーク、ミシンを使った布小物、刺繍など。

ちなみに、プロフィール画像にあみぐるみのクマの写真を使っていますが、私が作ったものではありません。
手作り作家のchocoporin.57さんの作品です。
可愛くて一目惚れし購入しました。
作家さんに許可をいただき使用しています。

インスタグラムに可愛い作品がたくさん紹介されていますので、ぜひ興味のある方は覗いてみて下さい。

話は少しそれましたが、折り紙も得意です。
娘が幼稚園に入ったことがきっかけで、一時期折り紙に夢中になりました。
動物を作ったり、日常で使える小物など様々な折り紙を楽しみましたが、キャラクター折り紙が一番楽しかったです。



3年前から娘と一緒に習字教室に通っています。
小さい頃に少し習っていたことと、美術でデッサンを学んだのが良かったようで、順調に昇段しています。

夫が自衛隊を退職する5年後には習字教室を開けるよう、師範を目指して真剣に書道を学んでいるところです。


北海道生まれ、北海道育ちです。
北海道での中でも都会の町で暮らしていますが、少しドライブすれば一面に畑や田んぼが広がり、広い大地に心癒されます。
高い建物のない大きく広がる青空が好きです。

窓が大きく景色が広く見える部屋でないと息が苦しくなります。
レースカーテンはすぐに開けたくなります。

そして、小さい頃から絵が好きでした。
描くことも見ることも。



本も好きなので、絵本は特に惹かれます。
イラストの美しい絵本は、見あきることがありません。
大人になってから、気に入った絵本を集めるようになりました。


絵本が好きなので、noteを始めたころは絵本の話をメインに書いていく予定でした。
ところが、書いていくと、どんどん違う方向へ流れていきました。
書きたい思いが一段落したら、ゆっくり絵本の話をしたいと思っています。


今紹介できるのはこの3つだけですが、もし絵本がお好きでしたら、フォローして頂けると嬉しいです。
自分が納得できる紹介がしたいので、投稿まで時間がかかるかもしれませんが、ゆっくりでも記事数を増やしていきたいと思っています。


私は絵本が大好きですが、残念ながら、親から絵本を読み聞かせしてもらった記憶はありません。

父は本が好きで家には本がたくさんありましたが、母は全く本を読まない人でした。
中学生の頃に、友達の家に絵本がたくさんあるのを見て驚いたことを今でも鮮明に覚えています。

家に絵本があるっていいなぁと思いました。
絵本の読み聞かせにとても憧れました。

なので娘が産まれた時は嬉しくて、赤ちゃんの頃から読み聞かせを始めました。
夢を叶えることが出来ました。

子供の相手をすることがしんどくなり疲れてくると、自分が楽をしたくて絵本の読み聞かせで子供をあやしました。

毎週山のように絵本を借りて、朝から晩まで、気が向けばいつでも絵本を読みました。
そんなこともあって、娘はいつの間にかものすごい本好きな女の子に育ちました。


どれくらいすごいかというと、

5年生の時に一年間で読んだ本の冊数、980冊。

内訳は、
絵本650冊、児童書250冊、大人向けの本80冊

絵本を除いた本の合計、330冊。
ほぼ一日に一冊読んでいる計算です。

5年生の時にミヒャエル・エンデの代表作「はてしない物語」を、たった3日で読破しました。

どうやったらこんな子供に育ったのか、本好きな子供に育てる方法について書いた記事がこちらです。


今でも、朝晩一日2冊の絵本の読み聞かせを続けています。
毎週14冊の絵本を借りて。

絵本の読み聞かせについては、3つの記事にまとめました。


「子供を起こすには絵本がおすすめ」は、初投稿の記事です。
noteで何か書くことを勧められて最初に思いついたのがこれ。

子育てをしてきて、私が人にも伝えたいと思った育児アイデアです。
とても良い効果があったので、なんとか全国に広めることが出来ないかと思い、noteの投稿に挑戦しました。
お世話になった幼稚園と育児支援施設へお願いし、チラシも配らせてもらいました。

この記事はラジオでも放送され、そのおかげで当初記事を読んで下さった方が多数いらっしゃいました。
もう聞くことは出来なくなりましたが、ラジオ放送をお伝えした記事がこちらです。


娘の読書記録は、2才半の時から始めました。
12才までの9年半の間に読んだ本の総数は、
8770冊。

あまりにも図書館で本を借りるので、今後どれだけ借りることになるか楽しみになり、ノートに記録をつけるようになりました。
気に入った本には赤線を引くなどして、本の思い出を大切に残しています。

記録に使っているノートは、
二見書房さんの「白い本」A4判です。

自由に使うことの出来る真っ白な紙で作られた本です。たくさん記入することができ、しっかりしているので耐久性もあります。
本の記録におすすめです。

ノートとは別に、感動した本は表紙を写真に撮りデータでも残しています。



ここまで本について書いてきましたが、次は私の人生について話していきたいと思います。

小さい頃から絵が好きだったので、美術の教員免許が取れる大学へ進学しました。
ところが、高校に進学した頃から虚無感が大きくなり、人と接触することが苦痛になっていきます。
一人で生きていくだけで精一杯の自分が教員になれる訳などなく、
他人の気持ちにとても左右されるので、生徒とうまくやっていける自信もありませんでした。

当時、生徒が教師に刃物を向ける事件が頻繁に起こり、子供が怖かったからという理由もあります。
せっかく希望の大学に入れたというのに、教員になる夢はすぐに諦めました。


教師は断念しましたが、学校が好きだった私は、卒業後事務職員として学校で働く道を選びます。
運よく一つだけ受かったのが、地方公務員試験。
家から車で6時間の距離にある高校の事務職員に配属されました。

母親が過保護だったので一人暮らしをとても楽しみにしていました。
けれどあんなに喜んでいたというのに、色々あって1年4ヵ月で挫折。
体調を崩し、まともに歩けないような状態で実家に戻ります。

ベッドに横になると起き上がることがものすごく辛く、生きる意欲も全くない状態。
心がおかしくなっているのが、はっきりと分かりました。
尋常ではないだるさ、心は空っぽ。
何をするにも億劫。
病院へは行きませんでしたが、診断テストをやると100%うつと判定が出ました。



母は一日3食、私のためにご飯を用意し、何も言わず休みたいだけ十分に休ませてくれました。
母の優しさがあったからこそ回復できました。
本当に感謝です。

公務員になってやっと社会に出て安心したと思ったら2年も経たないうちに戻ってきて、身の回りの世話をしなくてはならなくなった母。
その落胆は、どれほどのものだったかと思います。
父が単身赴任だったので、母はそれまで自由に過ごしていました。
急に娘が戻り一人の時間が無くなりました。
あの時は本当に迷惑をかけました。

公務員を辞めて娘が戻ってきたことが恥ずかしかったと、後に言われました。
私には黙っていましたが、近所の目を気にして大きなストレスを抱えていたようです。


そんな状態でしたが、両親は実家戻りの私を甘やかさず、社会人としての責任を全うするよう後押ししてくれました。

年金や医療保険はきちんと自分で支払う生活を続けさせてくれたのです。
おかげでどんどん貯金が減っていくので、このままではいけないと自分を奮い立たせることが出来ました。
そうでもしてくれないと、なかなか社会に出ていく勇気が持てません。
甘やかさないでくれたことに感謝しています。


厳しくしてくれた両親のおかげで、体調も落ち着いた7ヶ月後に再就職。
なんとか社会復帰しましたが、その後もうつ傾向に長い間苦しみます。
訳もなく悲しくなる、落ち込む、仕事に行くのがしんどいなど、辞めたい理由はいくらでもありました。

外来に一日2000人が訪れる大きな病院の会計事務を担当したのですが、たくさんの患者さんを見るだけで疲れました。
空気が薄くなり、自分の周りだけ透明なガラスの板が四方から迫ってきて狭い空間に閉じ込められるような圧迫感を感じながら、仕事をしていました。

多くの人を長い時間待たせながら会計するプレッシャーも、現金を扱う責任の重さも私には荷が重すぎて、いつもふらふらになりました。


人間関係に苦労したこともあって、結局これも長く続かずまた転職することになります。

情けないなりにも、絶対に守ろうと決めていた事がありました。
それは、たとえ1ヵ月であれ、前職よりも長く勤めること。
自分なりに頑張って成長しているという証を残したかったからです。

これまでに4回転職し、5つの職場を経験しましたが、この目標は最後まで守りました。
最長で4年。結婚での退職でしたが、これが私の勤務年数一番の記録になりました。


体力が続かず、人間関係でつまずき逃げたくなるという私の欠点は、結局どこへ行っても変わらず、この課題をクリアしなければ、どこにも逃げ場はないのかもしれない、そう思って生きてきました。
自分は社会に出て働ける人間ではないのかもしれないとも思いました。

フルタイムで働くと、家へ帰るのがやっとの体力しか残りません。
仕事の後で誘い合わせて飲みに行くなんて、自分にはとても考えられませんでした。

週末も寝たりきで、外に出られないこともあります。
どうして自分はこんなに疲れるのだろうと、いつも思っていました。

一度うつになると、その後の人生はこれほどつらくなってしまうのか、もう元に戻ることは出来ないのだろうかと。



私が自分の居場所を見つけたのは結婚でした。

外に出て人間関係に苦しむことなく、安心して一緒にいられる家族のもとで働ける幸せ。
社会から切り離されたようで寂しいとか、物足りないとか、そんな気持ちはありませんでした。

ただただ心地よくて、専業主婦でいられる幸せ、夫が働いてくれることの感謝の気持ちでいっぱいでした。
もしかしたら、主婦が天職だったのかもしれません。

主婦で勤務年数の最長記録を更新しました。
13年。この記録は今も更新中。


実は、一度目の結婚は失敗しています。
夫が2度仕事を辞め、以後全く働かなくなってしまいました。
求職活動さえしなくなってしまったのです。

私は最初の結婚で、専業主婦と、共働きと、大黒柱を経験しました。
夫が働かなくなってから私が生活費を稼いだ期間は、1年ほどだったでしょうか。
この時、自分が自由に出来るお金がないと苦しい事、
お金を大切に使ってくれないとイライラすることを経験しました。

世の働くお父さんの多くが、奥さんからもらったお小遣いで生活していると聞きます。
つらいだろうなと思います。

仕事のストレスを発散するために、買い物をするという事が私にはどうしても必要でした。

(ちなみに我が家は、月ごとに必要な金額をおろし食費を分けたら、残りはお互い自由に使っています。信頼があればこれで上手くいきます。)


また、夫が外で買ってきたものを並べるだけの食事を用意するので、食材を買って料理し少しでも節約してほしいと思いイライラしました。

必死に働いたお金なので、感謝して大切に使ってほしかったです。
生活がギリギリだったので大変でした。

大黒柱になって家計を支える重圧は、本当に苦しいものでした。
今までのように、嫌になったら辞めるわけにはいきません。
共働きでも大黒柱でも働く環境は同じなのに、後者の方がとてつもなく辛くなるのです。
しんどいなんてものではありませんでした。

世のお父さんがどれほど頑張っているかを、この時初めて知ることが出来ました。
大変な思いを背負って働いているということを。


今思えば、最初の結婚は、本命の2度目の結婚に向けての練習期間のようなものでした。
まさか、また結婚できるなんて思ってもみませんでしたが、最初の結婚があったからこそ、今の夫とこんなにも幸せな家庭を築くことが出来たのだと思います。
特に大黒柱を経験出来たことは大きかったです。

大黒柱を経験したからこそ、夫に心から感謝することが出来るようになりました。
サポートする主婦という仕事の大切さや、やりがいも以前より強く感じるようになりました。

主婦が私の天職かもしれないと思ったのは、この2度目の結婚です。


「働いてくれてありがとう。」
私が、結婚した時に最初に夫に言った言葉です。

「え?」
「友達もみんな働いてるけど・・・」
って言われました。
「そんな当たり前のことで感謝されても・・・」
って。

でも、働いてくれないと大変なことになるんです。
この生活は、夫が働いてくれるからこその幸せなんです。
そのことを本当に身にしみて感じました。
毎日毎日働いてくれることに感謝でした。


運のいい事に、最初の結婚は子供を産まないと決めていました。
自分が生きるだけで精一杯だったからです。
結婚は4年続きましたが、おかげで離婚しても私は身軽でした。

次の結婚で子供を授かるから、最初の結婚では子供を産まないようにと、神様が配慮して私を病気にしてくれたのかもしれません。

あれほど産むことを怖がっていたのに、子供が大好きな2度目の夫と出会った時は、彼との子供を出産する人生を選択。
こればかりは自分達の意思でどうすることも出来ないし、ただ待つしかないのですが、奇跡のように、結婚後1年2か月で子供が誕生しました。
まるで、そうなることが初めから決まっていたかのようでした。

大好きな夫と、可愛い娘。

私は大切な二人のかけがえのない家族を手にしました。



結婚して13年になりますが、私は今でも夫が大好きです。
好きの気持ちは出会ってからずっと変わりません。
夫は私の人生を救ってくれた恩人です。
夫と出会って全てが変わりました。

夫とのエピソードを紹介した記事はこちらです。
夫がどんなに素敵な人か知って頂けたら嬉しいです。


実は、子供を産まない人生を決めていても、ふとした瞬間に自分でも気がつかなかった本音があふれてくる瞬間がありました。

ふと見かけた、小さな子供とお母さん。
手をつなぎ並んで歩く後ろ姿を見た時に、胸がつまり涙がこぼれたことがあります。

友人は子育て真っ最中。
自分には子供との未来はないのだという悲しさ。
これでいいと決めていたはずなのに、急に悲しくなり外で泣きました。
一度だけあふれた思いです。


本当は育ててみたかった。

あなたに会いたかった。


でも冒頭に書いた通り、私は駄目な母親でした。
あんなに嬉しかったのに、娘をたくさん泣かせてしまいました。

上手にできなかった育児を振り返り、
完璧じゃなくてもいい、という思いを綴ったのがこの記事です。
短い文章の中にありったけの思いを込めました。


病気を抱える私でも、ここまでやってこれたのは、夫と両親のサポート、そして絵本があったからだと思います。
自分の育児にまったく自信が持てない私でも、毎日絵本の読み聞かせをしたという努力は誰にも負けない気持ちがありました。
この子のために頑張ってきたのだと胸を張ることが出来ました。
絵本が私を励ましてくれました。

そして、おそらく娘も本を読むことで、母親から学べない多くの事を本から学びました。
私が病気を患っていても立派に成長することが出来たのは、本のおかげかも知れません。

娘はいつも2学年ほど上に間違われます。
背が高いこともありますが、表情や話し方、しぐさ、言動が大人びていて、同学年の子供達と一緒にいると一人だけお姉さんがいるように見えます。

本をたくさん読んだことで、語彙力、洞察力、集中力など、様々な力を身につけました。

娘は時々はっとさせられるような文章を書きます。
本をたくさん読むと、このような作文を書けるようになります。
自分が小学生の頃にはとても出来ませんでした。


娘は癇癪持ちで育てるのにとても苦労しましたが、実は彼女も私と同じ繊細気質で、ストレスを受けやすい子供でした。
繊細すぎる体質のことをHSP、子供はHSCと言います。

これまで仕事も育児も苦労してばかりだったのは、繊細すぎることが原因でした。

今子育てしているお母さんの中にも、子供が繊細すぎるため苦労されている人がいるかもしれません。何か力になることが出来ればと思って書いた記事がこちらです。


そして、家事と育児に疲れている主婦への応援メッセージがこちら。

ゲームで家事を分担しようという記事です。


ボードゲームは子供が大きくなるまで出来ないけれど、ゲームの種類や分担する家事を簡単なものに変えることで、小さな子供も一緒になって家事を楽しめると思います。


週休二日が当たり前。祝日が増え、しかも月曜日に移動し三連休が増えるなど、今はとても働きやすくなりました。
昔と違い休日がとても増え、お父さんが家で休める時間が多くなった今、年中無休のお母さんだけが家事を担うのはとても大変です。

家族が朝から晩まで休んでいる姿を目にしながら連日一人で働くことは、とてもつらいです。

休日くらいは家族みんなで助け合って、お母さん1人が家事を抱え込むことのないよう、楽しく笑いながら家族みんなで家のことを出来たらと願っています。



最後に、私の好きなマイケル・ジャクソンについて紹介した記事を載せて終わりにしたいと思います。

映画「THIS IS IT」を見てファンになりました。



長い文章をお読み頂きありがとうございました。

これからもみなさんに楽しんで頂けるよう、ほっこりしたり、考えさせられたり、人生の役に立つような記事を書いていけたらと思っています。
どうぞよろしくお願いします。




おまけのページ


料理が苦手で面倒くさがりな私でも簡単に美味しく作れる漬物レシピです。
ちょっとしたお土産にとても喜ばれます。
ぜひお試し下さい。


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