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育児で「パニック発作」になった私



誰にも打ち明けないと決意した日


赤ちゃんを産むと、定期的に母子健診があるのですが、娘が言葉を理解できるようになった1才半健診の時、とても悲しい事がありました。


事前にアンケートを記入して、保健師さんとの面談にのぞむのですが、

「子供が好きですか?」
という質問に、
正直に「いいえ」と答えて提出しました。

誰にも言ったことの無い秘密でした。



自分の順番が来て、娘と一緒に席に着き、保健師さんと色々な話をしていたのですが、突然手元の紙を見て、驚いたようにこう言ったんです。


「自分の子供が好きではないのですか?」


私は、その発言が、どうか隣に座る娘の耳に入っていませんようにと祈りました。

その人の話した事は何でもなかったかのように、一生懸命ふるまいました。

具体的に何を話したのかは覚えていません。
ただ、必死でした。

娘が理解しませんようにと。



ずっと本心を隠して、「かわいい。」「好きだよ。」
と、娘に言い続けてきました。

自分の心に蓋をして、娘を傷つけないようにと一生懸命育ててきました。

もしかしたら、出口が見つかるかもしれない。
そんな思いで正直に言ってみたのですが、後悔しかありませんでした。

絶対に言ってはいけない言葉を、娘に聞かせてしまった。



思いやりのない発言をしたその保健師へ怒りがこみ上げ、憎くて憎くてたまりませんでした。

目の前でにこやかに話すその顔が、嫌でたまらなかった。


もう、誰にも本当の気持ちは口にしない。

そう、心に決めました。



本心を隠して頑張った日々



その後、ずっと、自分の子供を愛せないことを隠しながら、娘を育ててきました。

毎日、「大好きだよ。」と言い続けました。

いつかこの言葉が本当になりますようにと願いながら。



私は、子供が自分の言葉で、何があったかをきちんと説明出来る年齢になるまで、知らない人には預けないと心に決めていました。

何度も繰り返し報道される保育園や託児所での悲しいニュースを見て、
万が一何かあったら、耐えられないと思ったからです。


一日にたった1時間でもいい、預かってくれる人がいたらどんなに嬉しいか。
そう思っても、出来ませんでした。


仕事で預けるのなら仕方ありません。

でも、ただの主婦が、「疲れたから」という理由で、子供を預け、
何か事故が起きてしまったら、自分をどれほど責めるだろうと思うと、怖くて出来ませんでした。





たった一度の預かり保育


私が預けたのは、たった一度だけ。

心が壊れるんじゃないかと思うくらい辛すぎて、もう駄目だと思った時、
徒歩で5分ほどのところにあった託児所へ娘を預けました。

今まで一度も行ったことのない場所なのに、娘は喜んで、「行く!」と笑顔で入っていきました。



知らない人の所でも、そんなに楽しそうに行けるんだなと、
帰り道は涙がポロポロこぼれました。


入園予定の幼稚園へ時々遊びに行っていたので、外の世界が楽しいことを知っていたからでしょう。

頭ではそう分かっても、娘に駄目な母親と言われたような気がして、悲しい気持ちをどうしても止めることができませんでした。


預けないで自分でやると決めていたのに、自分の意志が貫けず、まだ幼いうちに預けてしまった敗北感や、その他言葉にならない感情で、とても悲しかったことを覚えています。



4時間の預かりを頼みました。
食パンとバナナだけ持たせて。


ところが、夫が偶然早退し、すぐに迎えに行くと言いました。


娘と同じ空間にいることが耐えられない。
あなたが面倒みてくれるの?
私が家を出ていけばいいの?
あなたが、たまった家事をしてくれるの?
夫婦二人の時間なんて滅多にないんだから、楽しもうよ。

そう言って夫を説得し、迎えに行かせませんでした。



4時間後、夫と2人で迎えに行くと、泣き続ける娘がいました。

そして、ベッドから落ちそうになっている子供を目撃して、何も調べずに、とても危険なところに預けてしまったと、反省しました。


娘は初めての預かりで、いきなり4時間の試練。

我慢しすぎて、爆発するという私の悪い癖で、娘には、とても悲しい思いをさせてしまいました。

この事があってからは、二度と預けることはせず、入園まで一人で頑張りました。





幼稚園の役員を引き受け、ダウン



3才になり娘が幼稚園に入園した時は、とても嬉しかったです。
ようやく自分の時間が出来ると。


私は健康ではなかったのですが、仕事をしていない事や、一人っ子で他に子供がいないことの引け目があり、誰も手を上げないので、役員を引き受けました。

役員の仕事は気が重かったのですが、出産してから育児以外のことをするのは初めてだったので、いつの間にか夢中になっていました。

育児を忘れて没頭できるのが、楽しかったのです。

後任者が苦労しないで済むようにと、パソコンでマニュアルを作成する作業を、ほとんど寝ずに行ない、限界まで頑張ってしまいました。



そんな中、行われた役員会のことです。

会が始まってすぐに気持ちが悪くなり、退席しようとして椅子から立ち上がった途端、倒れてしまいました。

息が苦しくて、めまいがし、ひどい頭痛で動けなくなってしまったのです。



幼稚園で少し休ませてもらい一人で帰ったのですが、
家に着いた途端、ものすごい頭痛で、床に座り込んだまま一歩も動けなくなってしまいました。

なんとか携帯電話を取り出して夫に電話をかけ、夫の助けを借りて市立病院へと向かいました。


実は、娘が2才の頃に中古住宅を購入し引っ越したのですが、依頼した美装業者の掃除が行き届いておらず、残っていた黴が原因で、喘息を発症していました。
なので、息が苦しいのは喘息のせいだと思い、いつもの呼吸器内科を受診したのです。

喘息はストレスと寝不足で悪化するので、きっと役員の仕事を頑張り過ぎたせいだろうと思いました。





診断結果



頭痛がひどかったのでMRI検査を行いましたが、全く異状はなく、
検査が終わると、先生が病室のベッドにやってきました。


「朝起きてから今までのことを、詳しく話してもらえますか?」
と、先生に言われました。

思い出せることを話すうちに、

「これは、私の管轄ではないかもしれない。
違う先生を呼んでくるので、もう少しお待ちください。」
そう、言われました。

そして、やってきたのは、心療内科の先生でした。



「おそらくパニック発作です。精神科の先生を紹介するので、そちらに通って下さい。」


思いもしなかった言葉を言われました。



私は、先生に次のような話をしました。



「役員会があった朝、いつものように娘と一緒に幼稚園へ向かいました。
なかなか支度が進まなくて、とても疲れていました。
ようやく家を出ることが出来、二人で歩いたのですが、
手を繋ごうとしてきたことが嫌で、我慢が出来なくて、
仕方なく、首に巻いていた長いストールの端を娘に握らせて、幼稚園まで歩きました。」


この話をした時に、先生が表情を変えたことを今でも覚えています。

私にはいつもの日常でした。

朝、娘をせきたてるようにしないと幼稚園の登園時間に間に合わせることが出来ず、とても疲れること。

娘と手を繋いで歩くのが、嫌だということ。


先生は、ここに私の病気の原因があると見抜いて下さったのです。

それは、私を辛い育児から救ってくれた瞬間でした。




娘の帰宅が怖い



私は、娘が幼稚園から帰ってくる時間が迫ると、いつも胸が苦しくなりました。

「子供が幼稚園に入ると一人の時間が嬉しすぎて、子供の帰宅が怖くなってしまい、動悸が激しくなる。」

そう言うと、知り合ったお母さんは皆、首をかしげました。


私は、他の人とは違うのかもしれない。
そう思うようになりました。


幼稚園にやっとの思いで連れて行き、帰宅すると玄関で座ったまま、30分くらい休むこともありました。
本当にくたくたで、もう何も出来ないくらい疲れるのです。

やがて帰宅時間が来て、今度は不安に襲われる。

一時間も前から脈が早くなり、動悸が激しくなる。

胸が締め付けられるような感じでした。



人生かけて挑むミッション


娘が入園したのは3才の時です。
誕生日を迎えたらすぐに入園できる制度を利用しました。
子育てがもう限界だったからです。

一つ上の学年の子供達の教室に入れてもらい、年少少として、幼稚園生活が始まりました。


初めて出来た自分時間。

もう嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。


一人で行くカフェ。
自分の速度で歩ける散歩。

何もかもが喜びでした。


でも、一人の喜びを知れば知るほど、娘と一緒に過ごす時間が、以前よりも辛く感じるようになってしまいました。

その頃の私は、いつも、
「一人になりたい。」

そう思っていました。


娘が怖かった。
話しかけられるのも、近くに寄ってくることも。



楽しそうにお話してくれて、抱っこをねだる娘。

可愛いはずなのに、私にはとても辛い。
息が苦しくなる。

何もかもが苦しかった。

娘から離れたかった。



ずっと我慢をしていました。
頑張って、いい母親を演じ続けていました。


娘に私の気持ちを気付かれないこと。

それが、人生かけて挑む私のミッションでした。



人生初の精神科受診


心療内科の先生は、すぐに精神科の先生を紹介してくれました。


自分は、心を許せる人でないとお話しできない事を伝えると、
この病院で一番人気があり、3ヵ月先まで予約が埋まっている先生を紹介して下さいました。

私は、倒れることで、予約チケットなしで、素敵な先生に担当してもらえるという幸運に恵まれたのです。



最初の診察日。

「あなたの人生を、順を追って教えて下さい。」
と、言われました。

娘が産まれるまでに、辛いことをたくさん経験していた私は、先生の前で涙が止まらなくなってしまいました。

24才で鬱。
34才で離婚。
37才で再婚。娘が生れたのは38才の時でした。
その直後に義理の両親からの絶縁宣言。




私は、あることがきっかけで、若い頃、鬱になったことがありました。

拒食症の友達が、精神科は辛いと話していたので、
本のチェックリストでは100%鬱と判定が出るものの、精神科は怖くて受診できませんでした。

家に引きこもり、時間をかけることで、自然と治るのを待ちました。


病院へ通わなかったので、鬱が抜けるまで長い時間がかかり、
治ったと思っても、定期的に鬱がきて、躁と鬱を繰り返すような生活になっていきました。




産まない人生から、産む人生へ


自分が生きていくだけで精いっぱいなので、子供を産み育てるなんて出来ないと、ずっと思っていました。

なので、最初の結婚では子供を産まない人生を選びました。



私が子供を産むことになったのは、今の夫がとても子供好きで、結婚するなら絶対に子供のいる家庭を築きたいという人だったからです。

彼との結婚をあきらめるか、それとも、結婚してお母さんになる人生を選ぶか悩んでいた時に、彼が言った言葉がありました。


「子供は一人で育てるんじゃない。
二人で育てるんだよ。」



これ以上感動する言葉に、今まで出会ったことがありませんでした。


一人では無理でも、二人ならやれるのかもしれない。
初めて希望の光が差した瞬間でした。



この言葉が嬉しくて、この人と結婚しようと思いました。

そして、これが人生の筋書きであったかのように、
翌年にはすぐ、娘が生まれたのです。



二人でいても一人だった


二人で育てると言った夫は、言葉通り、一生懸命育児をしてくれました。

でも、当たり前ですが、夫には仕事があります。
しかも、夫は自衛官。
当時とても忙しい部署で働いていて、月の半分は演習で不在という過酷なスケジュールでした。

結局、一人で育てなければならない時間が多く、私はすぐに産んだことを後悔するくらい、追い詰められてしまいました。


子供を産む前から、鬱傾向があり、頼りに出来る夫は不在がち。

そして、近くにいた義理の両親からは、娘が2ヶ月の時に絶縁されました。




突然の絶縁宣言


夫のいない夕方、予防接種をしてまだ一週間たっていない頃の事。

2ヵ月の娘が、今まで聞いたことがないような泣き声をあげました。

予防接種のせいなのかもしれないと心配になり、近所に住む義理の母へ電話をして、夜間救急病院を調べてほしいとお願いしました。

すると、すぐに自転車でかけつけてくれて、鳴き声はピタリと泣き止みました。
大事には至らず良かったのですが、これがきっかけとなり、翌日大変なことになります。


次の日も、孫が心配で見に来た義理の母。

孫がかわいくて、産まれてから毎日見に来ていて、その日ものんびりと過ごしていました。

そんな時、突然、義理の父から電話がかかってきて、義母がものすごく叱られたのです。

「もう帰ってこなくていい!」
「そこでずっと暮らしていろ!」と。


すると、次に私の携帯にメールが届きました。


「赤ちゃんが泣いたくらいでいちいち電話するな。
しばらくは家に来ないで下さい。
お前の顔を見ただけで血圧があがる。」

「今のような状況が続くようであれば、家を処分して遠くへ引っ越します。
謝らなくてよいから、きちんとやって下さい。」


義理の父から届いたメールは、このようなものでした。




当時の私は、義理の両親から突然絶縁されるという出来事にひどく参ってしまい、精神状態が非常に不安定になりました。

義理の両親と仲良くやっていきたいという思いで、夫の実家の近くに引っ越して、結婚生活をスタートさせました。

まさか、頼るために近くへ来て、かえって迷惑をかけているだなんて、思ってもみませんでした。


夜になると、悲しくて一人で泣きました。



生後2ヵ月の子供を育てていくことは、本当に大変でした。


私の両親が月に一回のペースで、車で3時間かけて助けに来てくれました。
今の私があるのは、両親のおかげです。

両親がいなかったら、今頃どうなっていたか分かりません。




育児が原因でパニック発作に


鬱、離婚、出産直後の絶縁宣言など、私には、既にパニック発作になる土台が出来上がっていました。
これで病気にならない方がおかしいくらいです。

先生には、今、娘を育てることがどれほど大変かを聞いてもらいました。


先生は、こうおっしゃいました。


「大丈夫です。必ず良くなります。
子供は成長し、いつか必ず手のかからなくなる時が来ます。
それまで頑張りましょう。」

とても嬉しい言葉でした。


育児が原因で病気になるなんて、情けないと思う気持ちがあったのですが、子供は必ず成長する、治るんだと教えて頂き、安心しました。


隣には夫も付き添ってくれました。

私がどれほど辛かったかを、この時はじめて理解してくれたのではないかと思います。




パニック発作の説明と、薬の効果


「パニック発作」は、よく耳にする「パニック障害」よりも、一段階軽い病気です。
辛くなることは時々あっても、日常生活を普通に送ることが出来ます。

よくあるのが、人混みや、電車などの閉鎖空間で、気分が悪くなるというもの。
原因が分かれば、そこから離れることによって症状は消えます。


でも、私の場合、ストレスの原因が育児でした。
そのため、そこから離れることは出来ず、うまく付き合っていくしかありませんでした。

乳幼児期の育児が辛すぎて、トラウマになってしまい、子供と関わることに恐怖を覚えるようになってしまったのではないかと、思っています。



先生が処方してくれた「スルピリド」という薬は、私の生活を激変させました。

発作を予防する薬です。
朝晩一錠ずつ服用しました。


この薬には鬱を抑制する効果もあり、長年苦しんでいた鬱症状を改善することが出来ました。

また、娘が反抗的な態度をしても、カッとならず、余裕をもって接することが出来るようになったのです。

昔のように、自分の中のイライラを我慢できず、物を叩いたり、ドアを強くしめて別室へ逃げ込むなど、極端な行動が無くなりました。

心が落ち着いて、とても穏やかになりました。




それから、動悸やめまいに襲われた時は、頓服の抗不安薬、「エチゾラム」を飲みました。

この薬は即効性があり、原因から逃げて薬を飲み静かにしていると、数分で効果を感じられるようになります。


最初は1mgを処方されましたが、症状が回復するにつれて、強い眠気を感じるようになったので、今は0.5mgに変わりました。

自分の症状に合う量でないと、強い眠気に襲われるため、注意が必要です。
でも、具合が悪くなることは一度もありませんでした。

この薬を持ち歩くことで安心することが出来、お守りになりました。



こうして、薬の力を借りて、ようやく普通の人の感覚を知ることが出来ました。




娘へのつぐない


娘は今、とても素直ないい子に育っています。

私は、これまで娘をたくさん傷付けてしまいました。
それを償えたらと、今はなるべく笑顔の多い育児を心掛けています。

叱ることも、カッとなることもありますが、人並みの普通の育児が出来るようになったと思っています。
鬼のように怖いお母さんではなくなりました。

娘は、私を「鬼のように怖い時がある。」と今でも言いますが、
「いえいえ。あなたの記憶にない頃の私はこんなものではないのです。」と、心のなかでいつも思います。



3才までの記憶はほとんど残らないと言います。

でも、どんなに古い記憶でも、心の奥にはちゃんと残っていて、彼女の中にはたくさんの傷が残っているのではないかと思っています。

本当に可哀そうなことをしました。



娘はとても強い子でした。
こんな駄目なお母さんでも、「好きだよ。」と何度も伝えてくれました。

どうして、そんなに好きでいてくれるのか不思議で仕方ありませんでした。

感謝しかありません。




そして、今


あれから9年が経ちますが、まだスルピリドは飲み続けています。
時々止めてはみたものの、症状が悪くなるため、なかなか手放すことが出来ません。


いつか薬を卒業できる日を夢見ていましたが、薬の力を借りてやっと普通になれるのが、私なのかもしれないと思うようになりました。

元々何かが欠けているのだと。

補える薬があるのなら、飲み続ければいい。
そう思うようになりました。



今、こうして家族3人の笑顔があるのは、最初に私をパニック発作だと診断してくれた心療内科のお医者さん、そして精神科の先生、そして、ポンコツな私を愛情いっぱいに支えてくれた夫のおかげです。


人からよく、素敵な家族だと褒められます。
私も心からそう思います。

でも、それは、たくさんの事を、力を合わせて乗り越えてきたからこその絆なのです。



当たり前が、出来ない人もいる


仕事をしている訳でもなく、一日中家にいる専業主婦が、病気になるほど育児が辛いだなんて、きっと、誰も思わないでしょう。

私もそうでした。

育児はつらいもの。それは当たり前。
みんな大変な思いをして育児をしているのだから、私だけが辛いんじゃない。

でも、それは間違いでした。


人が当たり前にやれている事が、出来ない人だっているのです。
病気になることもあるのです。

だから、どうか、その人達の言葉を、素直に聞いてあげて下さい。
常識や思い込みにとらわれないで下さい。




ただ、聞いて欲しかった


私がしてほしかったこと。
今は分かります。

「自分の子供が嫌いなんです。」
その言葉を、ただ誰かに受け止めてほしかった。

吐き出してしまえば、それは偽りだと気が付けたのかもしれないのに。


自分の中で膨らんでしまった、隠さなければならない思い。
それが、自分をもっと苦しめてしまったのだと思います。

子供が嫌いだという言葉の裏には、それほど大変な思いをして育児をしているという、苦しい思いがありました。

誰かに気が付いてほしかった。



救ってくれたニ冊の本


「自分の子供が嫌い。」
という言葉に長年苦しめられた私は、ある本に出会うことで救われました。

「HSP! 自分のトリセツ ~共感しすぎて日が暮れて~」
という本です。


本の中にこんな言葉がありました。


「子供が嫌いなのではなく、子供から受ける刺激が嫌いなのです。」


その言葉から、しばらく目が離せませんでした。
まるで時間が止まったみたいに、動けなくなりました。
様々な思いがこみ上げてきました。




ずっと、子供が嫌いなのだと思って苦しんでいました。

でも、違ったんです。

私は刺激が嫌いだったのです。


あぁ、そうだったのか、刺激が苦手なだけだったのかと、ようやく自分を理解することが出来ました。

決して子供を嫌いだったんじゃないということが分かり、本当に嬉しかったです。

この本は、私の心の重荷を下ろしてくれました。



数年前、武田友紀さんの著書「「繊細さん」の本」に出会い、自分がHSPであると知りました。

敏感すぎる体質の人のことを言います。

自分を深く知れたことで、より上手な生き方を出来るようになりました。



そして、HSPという言葉を知ったおかげで、「HSP!自分のトリセツ」という本を見つけることが出来ました。

この本に出会わなければ、今もずっと苦しんでいたはずです。


本で人生が変わるとよく耳にしますが、私にとって、この2冊は、まさに、自分を変えてくれた本でした。




言葉を発することは、自分を満たすこと


今、育児に悩むお母さんが、もしこの記事を読んで下さっていたら、
どうか、一人でもいいので、心を許せる人に、本当の気持ちを打ち明けてみて下さい。

もし、どうしても見つからなかったら、気軽な気持ちで、心療内科や精神科を受診してみることをお勧めします。

今の薬は副作用を感じることなく、暮らしをより良くする助けになってくれます。


言葉を発することは、自分を満たすことです。

自分を全部認めてあげられる人は、全部言葉にすることが出来ます。
何か言えない事を抱えていたら、それはやがて体を蝕んでいきます。


「こうしなくては。」
「こうであるべき。」
「こんな事を思ってはいけない。」

そういうことを全部取っ払って出てきた声こそが、一番聞いてほしい本当の心の声なんです。

この気持ちを無かったことにしてしまう事、
それが、多分一番怖いことです。



相性の良いお医者さんに巡り合えるまで、時間がかかるかもしれません。
一回では思うような結果が得られないかもしれません。

でも、あきらめないで、ドアをノックし続けて下さい。
必ず助けてくれる人が現れます。


私のように倒れる前に、一人でも多くのお母さんが、笑顔で子供を育てていけるように願っています。



義父との関係



義父からは一度も謝罪されたことは無く、うやむやのまま時々会うようになり、今では普通に交流しています。

全てを無かったことにされる悔しさがずっと胸にあり、どうしても許すことが出来なかったのですが、
母親から愛されずに育った義父の生い立ちを夫から聞き、心のわだかまりを解くことが出来ました。

母親から愛されなかった子供は、怒りを制御することが出来なくなってしまうのだそうです。


何かおかしいと思う行動の裏には、必ず原因があり、その人だけの責任ではないのだということを、ようやく理解できるようになりました。


やっと心が解放されました。



この声を届けたい



私のような人は、特別かもしれません。

でも、この世界でたった一人だとは言い切れないと思うのです。

もしも、同じ思いをしている人がいたなら、私は共感し聞いてあげることが出来ます。

そして、どうやって進んでいったら良いのか、
道を示してあげることができます。



この記事を書いたのは、同じように苦しんでいるお母さんへ、この声を届けたいからです。

全てのお母さんに、
大丈夫だと伝えたいからです。


もちろん、育児には楽しいこと、幸せな時間もたくさんあります。

でも、私の記憶にあるのは大変だったという思いがほとんどです。


苦しいことの裏にはちゃんと幸せもあるのに、それに気がつけなくなってしまうこと。
それが病気の兆候かもしれません。


大変なことしかないと、そう思うあなたは、きっと頑張りすぎています。

幸せを感じられるまで、十分に休まなくてはなりません。

大変なのは自分だけじゃないと思って、頑張りすぎてしまうことのないように、どうか、助けを求めて下さい。



もし、苦しんでいるお母さんを見つけたら、
簡単にしてあげられることがあります。

話を聞いてあげることです。

話を聞くことくらいしか出来なくても、それはとても大きな力になります。

話をするだけで、癒されることもある。


気をつけることは、
その人の言葉を否定せず、そのまま聞いてあげることです。




何を話しても否定しない世界。

それが、わたしの求める世界です。



コメント欄はポストです


お母さんが日頃どんな思いで育児をしているか、お父さんにも読んでもらえたら嬉しいです。

専業主婦になら任せられると思っている人がもしいたら、
こんなに苦しい思いをして子供を育てている主婦もいるのだと知ってほしいです。


もし、育児で大変そうな人が周りにいたら、ぜひこの記事を教えて下さい。
そして、こう伝えて下さい。


「コメント欄はポストです。
気持ちを手紙に書いて送って下さい。
必ず返事が来ます。」と。








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