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「介護時間」の光景㉚「線路」と「時間」。10.15.

   今回も昔の話で、前回(リンクあり)より、さらに時間をさかのぼって、申し訳ないのですが、前半は、2001年10月15日の話です。(後半に、2020年10月15日のことを書いています)。

 以前も、同じ年のことを書いていますが(リンクあり)、母親の介護を始めて、自分も心臓発作を起こしたこともあり、仕事をやめ、義母の介護も始まりつつあり、母親に療養のための病院に入ってもらいました。

 その転院から1年がたち、まだそれでも病院を完全に信頼できていませんでした。
 それは、その前の病院でひどい目にあったので(リンクあり)、その恐さなどが体から抜けていなかったかもしれません。

 そんな頃の話です。

 毎日のように病院に通っていました。
 家から、電車を乗り継ぎ、最寄りの駅からバスに乗り、片道2時間をかけて、病院に通っていました。

 その行きの光景です。

線路

 川崎駅。線路わきで微妙に草が茂っている場所。そこに古くなったレールが置いてある。横に文字。
 DA108 4ー26。
 アルファベットの数字が並んでいる。ゼロかOかはよく分からないけれど、置いてある他のレールにもいろいろ書いてあるのは分かって、それが全部違う文字のようにも見えた。その中ではっきりと4126と書いてあるのがあって(ということは最初に見たのも、4126かもしれないと後で思ったけれど)、それを見つけると自動的にテレビのコマーシャルのメロディーと共に「ハトヤ」の事を思い出した。ただの、何の関係もない古いレールなのに。

                   (2001年10月15日)


時間

 4人がけの席に座っていると、前に2人ともメガネをかけたカップルが座る。妻がずっとメガネをかけているせいか、メガネをかけているだけで、その人の好感度が上がる事に、気づく。
 電車の車両の中だけ、急に時間が流れていく。
 10年、20年、30年、40年…そのたびに人数が減っていく。さらに時間が流れていく。自分はどの程度まで残れるのだろう。最後まで生き残っているのは、どの人だろう。なんでだか、そんな変なイメージがけっこうはっきりと頭の中を流れていった。

                   (2001年10月15日)

 

 そして、その電車を降りて、バスに乗って、それで約30分で病院に着く。
 毎日のように、何か書いていましたが、それは、そのことによって、少しでも負担をやわらげたい(リンクあり)という気持ちも働いていたのかもしれません。

 その日(2001年10月15日)の記録です。

             (多少の加筆・修正をしています)。


「午後4時10分ごろに着く。
 2日おいて、病院に来た。

 いつものように同じ雑誌の同じ花のページを開いて、小さいテーブルに置いてある。

 『いつも見ているのよ』。母は言った。

 それから、同じ病院に入院している患者さんたちの話になる。

 『Aさんは、独身で、インドネシアにいたんですって。
 そして、歌を歌うのよ。
 インドネシア。インドネシア。インドネシア。って。

 吹き出しそうになったのよ』、と笑っていた。

 『Bさんは、よく見ると美人で、お医者さんの奥さんだって』。

 他にもお医者さんの奥さんが何人もいた。そんなに医師の妻ばかりいるのだろうか、とつい疑ってしまう。

 今日の昼ごはんを聞いたら、
 『麻婆豆腐』。
  多いね。
 『いつもかもしれないのよ。あ、きょうはパンだった。リンゴジャムがあった』。

  微妙に会話がずれる。

  それでも、今日、持っていった和菓子の喜んで食べてくれた。
 
 誘拐事件のニュースを一緒に病室のテレビで見ていて、その事件に関わる住所が出る。

『知ってるわよ。ここは春日町をあがったところ。
 お坊さんが経営している系列よ』。

 くわしいね。

 それが、あっているかどうかは、分からない。

 午後5時過ぎにトイレへ。
 5時半にまたトイレへ。

 それから夕食で、30分くらいで食事が終わって、またトイレへ。

 メモに、「錦織健。鮫島由美子」と、ラジカセで音楽を聞くために持ってきてカセットテープにある名前を、漢字で、なぜか書いてあった。

 午後6時35分にまたトイレへ。

 今日はトイレ少し多いかな。

 うめき声も聞こえてくる。

 新しい患者さんもいる。
 その患者さんの娘さんらしき人が、食事の面倒をみていて、帰る時にかける声が聞こえてくる。
『しばらく来れないかもしれないから。
 〇〇のお産が北海道であるの。
 孫が生まれるの』

 午後7時頃、病院を出る。」

 それから、時間がたって、2007年に母は病院で亡くなった。
 さらに年月がたち、2018年の暮れに義母が100歳を超えていたのだけど、急に亡くなり、突然介護が終わった。


そして、また時間がたち、今日は、2020年10月15日。

 珍しく午後1時くらいに出かける用事があり、電車に乗りました。
 小雨が降っています。

 それから、乗り換えて、次の路線の電車をホームで待っていました。
 何本か線路のある向こうの建物と建物の間の、すごく狭いすきまに、名前を知らない細い樹木が、二階を超えるくらいの高さまで伸びていることに、今さら気づきました。

 その一番上の葉っぱの群れが、そこだけ、風のせいか、やけに規則正しく、不自然なくらい早いテンポで揺れ続けています。

 それを見ていたら、意識がぼんやりして、ただ葉っぱの揺れを目で追っていました。
 何も考えていませんでした。

 外へ出て、それも電車に乗ろうとする時に、これだけ油断できたのは、本当に久しぶりでした。もしかしたら、コロナ禍になってから、初めてのことかもしれません。

 それだけ、みんながマスクをしているような日常に慣れてきて、今も感染のリスクは、都内にいるのですから、その確率は低くはないのに、なんだか小雨の何の変哲もない平日に感じてしまっています。

 電車が来て、電車に乗ります。
 座席に座らず、少し「距離」を保とうとしているのですが、他には、そんな人はいないようでした。

 声が聞こえてきて、目を向けると、そこにベテランと、もっとベテランと思えるビジネスマンの二人が並んで座って、ずっと穏やかに、それでいて、お互いに必要以上に踏み込まずに、でも、いくつも駅を通り過ぎても、その会話は止まりませんでした。

 小雨が降っているだけで、何の変哲もない、穏やかな午後に感じます。

 横浜駅を通って、桜木町駅に着く頃には、車内からでも、横浜の港のホテルや観覧車が見えて、今年の2月には、この海にダイヤモンド・プリンセス号が停泊していて、その中で、新型コロナウイルスの感染が広まっていたことを、もう覚えている人もいないのかもしれません。というよりは、言われれば思い出すけれど、普段は、今、降りていくような、この駅を利用している人でも、忘れてしまっているような感じに見えます。

 少し前まで、電車に乗る時は、もっと緊張をしていたのに、今は、自分自身が、かなり慣れてしまっていることを、感じました。
 
 最寄りの駅に着いて、ホームに降りると、このくらいの小雨のほうが、雨に煙るというのが、よく分かります。少し遠くの光景が、さらに遠くに思えます。歩いていて、川のそばのイチョウ並木は、かなり黄色くなってきていますが、まだ緑が残っているような、それは、季節の変わり目が形になっているようでした。



(他にもいろいろと介護について書いています↓。クリックして読んでいただければ、ありがたく思います)。

「介護の言葉」

「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」

「家族介護者の気持ち」

介護books④「家族介護者の気持ちが分からなくて、悩んでいる支援者へ(差し出がましいですが)おススメしたい6冊」

介護に関するリクエスト②「サービスを利用するようになってから、不安感が増えました。どうしてでしょうか?」。



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