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「介護時間」の光景(56)「ふとん」「満月」。5.7.

 いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。


 この『「介護時間」の光景』を、いつも読んでくださってる方は、「2001年5月7日」から読んでいただければ、これまで読んで下さったこととの、繰り返しを避けられるかと思います。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

自己紹介

 元々、私は家族介護者でした。
 介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。

 そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。

 分不相応かもしれませんが、介護をしながら、学校へも通い、2014年には、臨床心理士の資格を取りました。2019年には公認心理師資格も取得しました。現在は、家族介護者のための、介護相談も続けることが出来ています。

「介護時間」の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 それは、とても個人的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。

 今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年5月7
日」
のことです。終盤に、今日、「2021年5月7日」のことを書いています。

2001年の頃

 1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。

 ただ、それ以前の病院といろいろあり、そのことも原因で私自身が心房細動の発作を起こし、これ以上無理すると死にますよ、などと医師に言われ、毎日、心臓の薬を飲み続けていましたが、まだ時々、めまいを起こすようなこともありました。

 そのせいもあって、うつむき加減で、なかなか、次の病院に移っても、医療関係者を信じることができませんでした。母も転院後、急になんの前触れもなく、症状が悪化したり、また回復したりを何度か繰り返しているので、自分が通っても、意味があるか分からなかったのですが、病院へ行かなくなって、症状が戻らなくなったら、と思うと、怖くて、とにかく通っていました。

 そんな頃の記録です。


2001年5月7日。

ふとん

 電車の中にいる。多摩川を渡っている。外を見る。

 おそらくはホームレスの人の、青いシートに囲まれた住居も多い。川の中に、やけに赤いふとんが沈んでいるのが電車からも見える。

                          (2001年5月7日)


『午後3時45分発のバスに乗る。
 いつも寄るコンビニの店員さんが、この前と同じ人だった。

 午後4時過ぎに病院に着く。
 母は座っている。
「おととい、来たのよ」
 弟のことを、覚えている。少しだけ、日付が違うけれど。
「今日は、5月7日?」
 日付のことは、初めて正解を聞いた気がする。
「お風呂は、今日、さっき入ったばかり」
 ちゃんと覚えている。

 日付けのことは、そのあとは、微妙に揺れ動いていた。

 病室で一緒にテレビを見る。
 子供が喜ぶような、そんな単純な出来事を見て、喜んでいる。
 笑顔が、ちょっとゆるく感じる。

 昔話は、唐突にする。
 小学校時代の先生の名前を覚えているらしいが、それが正解かどうかは、私には分からない。
 
 五木ひろしの、おふくろが、といった曲を二人で聞く。
 何か、嫌な、照れるような、暗くなるような、変な気持ちになる。

 買っていったプリンは、本当にペロッと食べる。
 弟が来たのは、3日前だったのだけど、その時にバナナを2本持ってきてくれたそうで、出来事は、よく覚えている。

 ホッとして、少し気がゆるんで、先が少し明るく見えた。
 こういうときが、また悪くなるような、危ないんだけど、と自分に言い聞かせる。

 病室にあるカレンダーは、入院している患者さんたちと、一緒に作ったそうだ。色を少し塗ってあって、折り紙でカブトを折ってあるのも貼ってある。

「昼ごはんは食べない」。
 そんなことは言っているが、「朝は食べた」とも言っている。

 お風呂は毎日入っている、と言っているけれど。

 夕食の時間になる。
 ちらし寿司で、喜んでいる。
 工夫してくれている。

 「酸っぱくて、おいしい」。
 微妙な言い方だけど、うれしそうだった。

 午後7時頃、病院を出る。
 帰りも、駅までバスに乗る』。


満月

 バスから、外を見る。
 外の景色が、今日はよく見える気がする。
 雲が急にわれて、満月が出てきた。
 最初、右側の窓から月が見えていて、バスが走って曲がって坂を下って、そのうちに左側の窓から月が見えるようになった。

                          (2001年5月7日)


 その後、2007年5月に母は病院で亡くなった。

 2018年の年末には、義母が亡くなり、突然、介護が終わった。


2021年5月7日。

 連休も、なんだか憂うつだった。
 どこにも出かけなかったけれど、それでも、コロナ感染の状況が良くなっていないようだ。
 
 なるべく外出を少なくするようにして、外へ行く時はなるべく通勤ラッシュを避けるようにしている。だけど、「感染を抑制するために」という理由で、電車の本数を減らして、うまくいかずに、戻す、というニュースを見て、珍しく、バカなの、といったことを強めにつぶやいていた。

 気持ちが、ただ暗くなる。

 オリンピックに関するニュースも、やっていることの意味がわからず、ただ、不安だけが大きくなるし、不可解すぎて、怖くなる。


庭の植物

 今日は、午後から雨が降るらしいから、早めに洗濯ものを干さないと、と微妙に焦っていた。
 
 曇り空でも、家の前の道路は、いつもくらいに時々、人が通っていく。
 自転車の前かごに2匹のプードルを乗せ、スマホを見ながら、走っている男性もいる。プードルの方が、前をしっかり見ている。
 小さい子供たちが集団で歩いていき、幼い声が響く。

 その道路の並木の根元のスペースに、妻は、気に入った雑草を植え替えたり、元からある雑草を整え、その上で、名札を立てて、「雑草の庭」を作っている。たまに通行人の方が、立ち止まり、その意図に気づき、少し会話する声が聞こえてくることもある。

 それを、妻に伝えると、うれしそうだった。

 今年、植えたフユシラズの黄色い花が咲いていたりしていて、これで「絶好調では」と聞いたら、「もうピークは過ぎた。それより、アマリリスと、ピラカンサスの花が最盛期だと思う」といった、別のお宅の話までしてくれた。

 そして、撮影するなら、うちの庭の、ヤブランを、と勧められる。

 どれ?と聞いたら、普段から視界に入っているはずなのに、意識には上っていない、ただの緑の葉っぱに見える。そのことを伝えたら、妻は、微妙に怒っていた。

こんなに、ふ入りだし、新緑の綺麗な色なのに」。

 そして、ここに至るまで、剪定の作業が面倒くさくて、やっと生え揃って、嬉しかった、というような、思った以上に詳しい話をしてくれて、さらには、この角度から撮ってほしい、と言われ、その後も、イメージに近い写真を選んでくれた。

 それが見出しの写真です。




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