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「介護時間」の光景㊱「布」。11.26.

   11月26日のことですが、前半は、19年前の2001年11月26日の話です。先日の記事(リンクあり)から、2週間後のことです。

   後半は、2020年11月26日のことを書いています。

   19年前は、仕事をやめて、介護に専念している頃でした。自分自身が心房細動の発作を起こしたこともあり、義母の介護も始まりつつあり、2000年に母親に、療養のための病院に入ってもらっていました(リンクあり)。その転院から1年がたった頃です。
  当時は、毎日のように病院に通っていました(リンクあり)。

 家から、電車を乗り継ぎ、バスに乗り、片道2時間をかけて、病院に通っていました。その前の病院といろいろとあって(リンクあり)、1年たっても、まだ今の病院のことも信じられない時期でした。自分自身の体調もずっとよくなく、かといって倒れるほど悪くもないのですが、時々、電車の中でめまいを起こすこともありました。義母の介護もあって、眠るのは遅く、起きるのは、昼頃という生活のリズムでした。

 おそらく毎日、その日のこと、その時の気持ちを書いていたと思います。

2001年11月26日。

 枕を少し低くした。
 いつもよりは、よく眠れたような気がした。
 でも、午前4時。午前10時。バイクの音で目が覚めた。

 午後4時30分頃、病院に着く。
 母親は、会ってすぐに、

「いつも行くトイレの電球が切れているのよ」
 と神経質そうな表情で言っている。

 自分の病室にもトイレはあるのに、少し段があるせいか、そこは使わずに、別の部屋のトイレを使っていたら、それで少し落ち着いたから、病院側と相談もして、そのまま使わせてもらっていた。

 昨日、弟が病院に来たことを、嬉しそうに話す。

「通勤の時に、片道だけでも歩くようにしたらしいのよ。
 後輩にお腹すごいですね、と言われたらしいのよ」。

 話した内容を覚えていた。

 この前、年賀状のスタンプなどを買ってきたので、それを使って、自分で部屋にあった画用紙に年賀状を作っている。よくできている。だけど、この前、一緒に年賀ハガキも買ってきたことはすっかり忘れている。そろそろ、病院にいる時に、一緒に年賀状を書こうと思う。

 今日はトイレは少し多い。午後5時10分までに3回は行った。

 母は、来年の干支の「午」が読めなくなっていた。
 あれだけ漢字を知っていたのに、と思う。

 午後6時半までに、5回、トイレに行く。

 食事の時、「〇〇さん、いなくなったのよ」と母が言って、そういえば、やたらと、ハムサンドくださいと繰り返す男性が姿を見なくなった。微妙な移動のようだった。

 食後に、トイレに3回行く。

 ここまでで、8回はトイレに行っているのだけど、介護スタッフに、トイレの回数を聞かれたら、「1日10回」と元気に答えていた。

 午後7時に病院を出る。

 明日から、病院で年賀状を書き始めようと思う。


 病院に通う電車は、今は誰も住んでいない実家が、かすかに見える場所をいつも通っている。
 だけど、たくさん家が並んでいて、それも400メートルくらいは先で一瞬だから、タイミングがあって、集中力がある時だけ、屋根の一部が見える程度で、今日はとてもそんな気になれない。

 その向こうの少し小高い山のところに、高圧電流が流れているはずの高い鉄塔がいくつも並んでいるのは、嫌でも気がつく。確か、鉄塔のすぐ下は土地の値段が安いとか、テレビで見ただけだけど、ある国ではある距離からは近づかないように、というマークがあるとか、ネガティブな記憶ばかりがよみがえる。

 鉄塔の中で、一つだけ、下半分が布でおおわれていた。それも、科学の力が強そうな(?)ちょっと違う質感を持つ布のようだった。大きな建物でも何でも布で包むアーティストがいるのを思い出す。

 それから、1週間くらいたった後、今度は同じ鉄塔が上半分だけ布でおおわれていた。

                   (2001年11月26日)


それから19年。
今日は、2020年11月26日。

 青い空。
 2階の窓が少し開いていて、柿の木が見えて、もうずいぶんと葉っぱは落ちて、上の方にまだ取り切れなかった柿の実が見える。

 そこにカラスがやってきて、柿をついばみ、少し飲み込んでから、ちょっと吐き出す。渋柿だから、渋みを出しているのか分からないけれど、それを繰り返す。

 もっと小さい知らない鳥もやってきて、柿の実をつついている。

 急にどちらの鳥も飛びさっていく。窓は、いじらず、少し遠くから見ていたのに、何かが来たのかもしれない。


 今日は、月に1度、少し時間をかけて、歩いて行く場所があって、午後2時前に家を出る。

 途中で建築反対されていたとても大きいマンションがあって、その敷地内にある、以前から生き残っている木は、ここを通ると、いやでも目に入るのだけど、すっかり葉が落ちて、それを見るだけで、冬支度という言葉が浮かぶ。

 そこから歩いて、4車線の広い道路を、信号を待って、わたる。
 神社の横を通ると、境内には紅葉した葉っぱが下にいっぱい散っている。幼稚園の制服を着た小さい女の子が、レジ袋を持って、ほぼ中腰のまま、それを一心不乱に集めている。だけど、全部を拾うわけではなくて、集める葉っぱを選んでいるように見えた。

 さらに歩いて、商店街を通る。
 比較的、昔からある洋食店が今日は休みで、シャッターもしまっている。その外に、「ソーシャルディスタンス」を指示する足型のマークが、はみだしていた。

 その商店街を抜けて、左に曲がり、遠くまで見通せる直線の道を歩いていると、工事中の場所がある。先月も、同じところで工事をしていた記憶がある。今日は、道全部が塞がれているように見えて、歩行者も通れないのかと思った。近づいたら、パイロンに置いている黄色と黒のバーを作業員の人があげてくれて、どうぞ、と言われる。こんなに通さない感じになっているのは初めてだった。

 用事がある場所に着くと、その庭でなったというみかんをわけてくれた。
 思った以上に甘く、そして、やっぱりすっぱく、おいしかった。
 みかんの味だった。

 

 用事が終わり、午後5時になったら、もう外はとても暗かった。

 下校時間だったり、保育所から声が聞こえたり、小さい子供と母親らしき組み合わせも多い。まだ夕方だけど、暗い分だけ、すごく夜に思える。

 小学生らしい男の子の3人がシルエットになって、歩いている。笑い声と、「誰、誰」という言葉だけが聞こえてくる。体も大きく動いているし、楽しそうな感じは、暗くて、よく見えないけれど、伝わってくる。

 暗くなると、いろいろな声が聞こえやすい。

 道を歩いていると、街灯が少ない道路は暗い。
 いろいろな人とすれ違う。親子連れの、子供が乗っているキックボードのあかりが、いろいろな色で回っている。

 商店街に入ると、そこが特別に明るい場所だと分かる。
 繁華街は、もっと明るいから特殊なんだと、思い出す。

 
 家に帰って、扉をあけたら、階段の上から、妻に「おかえり」と言われた。手を洗って、顔を洗って、うがいするまでは、「距離」をとってほしい、とお願いしているからだった。



(他にもいろいろと介護のことを書いています↓。読んでいただければ、うれしいです)。


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