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精神科医、解剖実習を思い出す(前編)

皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。

医学部で最も特殊な講義と言えば…、”解剖実習"ですよね☺️

お分かりとは思いますが、解剖といってもカエルや魚の解剖ではなくご献体…、すなわち人間の遺体を解剖する実習のことです。

今回の記事では、医学生の登竜門こと解剖実習の体験談について、皆様にご紹介したいと思います。

当時"医師の卵"であった鹿冶梟介の実習体験は如何に…?

尚、本シリーズ「精神科医、●▲■」の性質上、多少脚色した内容となっていること、そして30年近く前の体験であるため記憶が曖昧であることをご了承ください。

また本記事のテーマは”解剖実習"であるため、文中にグロテクスな表現が含まれることを理解した上でお読みください。

今回も少し長文となったため、前編後編の2回に分けてご紹介いたします!


【精神科医、キモいと言われる】

「ねぇ、お父さん...。お父さんって、死体を解剖したことがあるの?

神妙な面持ちの娘は曇りなき眼(まなこ)で精神科医を見つめた。

休日の昼下がり、生ハムとチェダーチーズを肴に赤ワインを愉しむ精神科医にとって、この問いかけは不意打ち以外の何もでもなかった。

「… えっ!?そうだよ。ど、どしたの急に?」

虚をつかれた精神科医は危うくグラスから紅玉をこぼしそうになるも、波打つ液面をどうにか鎮めた。

「あのね...、学校でね、"お医者さんは、人間の死体の解剖をする"って聞いたの。だからお父さんもやったことがあるのかなって、思って…」

いつもはふざけながら酒の肴をせがむ娘が真顔で尋ねている。

これは只事ではないと感じ、精神科医は大ぶりなブルゴーニュグラスを取り敢えずテーブルに置いた。

「そうだよ...。お医者さんは、学生の時に遺体を解剖するよ。そうすることで、人の命の尊さや神秘を学ぶんだ。それから…」

「キモっ!」

そう言うと娘は自分の部屋に戻ってしまった。

「… えっ!?」

これから医学の素晴らしさを説こうとした精神科医は、いきなりビンタを食らったような感じがした

「どういうこと…?」


【精神科医、解剖実習を思い出す】

家内の話によると娘は理科の授業で「人のからだ」について学んでいるが、その際に担任が”医者は学生のときに死体を解剖をする”と解説したらしい。

娘は自分の父親、すなわち精神科医が死体を解剖した事実に驚愕したが、追い討ちをかけるように級友が”お医者さんて気持ち悪いね”と素直な感想を述べたそうだ…。

「…まぁ、それが普通の反応(リアクション)だよな…」

精神科医はワイングラスを再度手にし、30年ほど前の解剖実習のことをふと思い出した…


精神科医が学んだ大学では、(うろ覚えだが)初夏から夏休み前までの数ヶ月の間に解剖実習があったと記憶している。

医学部に進学した者であれば皆覚悟はあったはずだが、いざ実習が始まるとなると、

『お前、人の死体を触ったことあるか?』

『人間の遺体を見たことない』

『ばあちゃんの葬式を思い出す…』

… などと、戦々恐々の有様であった。

鹿冶梟介も葬式で棺桶の小窓から祖母の亡骸を覗き込んだことはあるが、遺体と真正面から向き合う経験はなかった。

配られたプリントと参考書をパラパラとめくってみたものの、そこには夥しい専門用語と簡略化された図が示してあるのみで、”人体”を解剖するというイメージは全く湧かなかった。


【鹿冶梟介、ぎょっとする】

オリエンテーションが終わると医学生たちは講義室から締め出され解剖実習室へ案内された。

解剖実習室は講義室と同じ基礎研究棟にあったが学生たちにとっては全く不案内な場所であり、とりあえず先導する教員の後を追った。

研究棟の廊下は4-5人が並んで歩いても窮屈ではないはずだが途中、古書で敷き詰められた書棚、古びた段ボール箱、用途不明の実験器具などが所々置かれ隘路となっていた。

特に目を引いたのはホルマリン漬の標本群であり、一目では認識不能の物ばかりであったが、立ち止まって鑑賞するわけにもいかず人流に身を任せるほかなかった。

見慣れぬ光景に圧倒されたのか騒がしかった医学生達も、無機質に光るリノリウムの廊下を進むにつれ次第に無口になっていた。


不意に刺激臭が鼻腔を突く。

「(ホルマリンの臭い… ?)」

後に知ったが、当時の防腐剤はホルマリン(ホルムアルデヒド)、フェノール、アルコールなどの混合液を用いていたそうだ。

余談ではあるが献体の防腐処理に関してこんな流説がある。

"大学病院の地下にはホルマリンで満たされた「プール」がありそこに遺体が保存されているが、遺体内で発生したガスによりやがて遺体が浮かんでくる。この浮かんだ遺体を沈める「死体洗い」というバイトを医学生がやっている”

しかし、近年は献体を保存する場合、大腿動脈からこれらの固定液(10%ホルマリンが主成分)を注入した後、常温のアルコール液が入った液相に献体を数ヶ月浸すのが主流だそうだ。

このため、”ホルマリンプール”や”死体洗いのバイト”は都市伝説にすぎない…と言われている。

ところが、30年前には「先輩が死体洗いのバイトをしている」と証言する者もおり、本当に都市伝説であるかはいまだに不明である。


案内された部屋にはビニール袋で覆われた人寸大の物体が整然と並んでいた。

「(本物の死体だ…)」

鹿冶は、ぎょっとした。

誰一人口に出さなかったが、おそらく皆がそう思った瞬間であろう。

「はい〜、グループごとにご献体のそばに並んで〜」

頓興な掛け声で指導教員が入り口付近で立ち往生する学生たちを促した。


六人の医学生に一献体があてがわれた。

ちなみにこの六人のうち五人は後のベッドサイド研修を共にした仲間となる(一名は留年)。

(ベッドサイド研修の思い出話は、またの機会にしよう)

ご献体は70代男性で、体型は痩せ型中背。

肌は ”肌色"というよりはアイボリーに近く、硬くゴワゴワした印象であった。

痩身ということもあり、鹿冶は白樺の古木を連想した。

ステンレス製の解剖台に置かれた献体の顔は包帯で覆われていた

解剖時に献体の顔が見えると”初心者"である医学生には些か刺激が強いためこのような配慮がなされているそうだ。

勿論、頭部の解剖時には包帯を外すのだが、それまでは献体の顔は見ないようにと指導教員から指示があった。

献体の頭部ばかりに目が行ったが、視線を下肢に移すと鹿冶はふたたび、ぎょっとした。

その献体は右脚の膝から下が欠損してた。

“欠損"といっても、生前何かしらの事故や怪我で失ったような欠け方ではなく、ノコギリかなにか刃物でスパッと切断されたかのように真っ平な切り口であった。

後日、教員から知らされたが、防腐処理をしても検体の中には一部保存状態が悪くなり腐敗することがあるそうだ。

そして腐敗した献体は部分的にこのように除去された上で解剖実習の学生へ提供されるのだ。

「それでは〜、皆様、解剖の前に黙祷しましょう〜」

頓興な教員の掛け声と共に、医学生たちは合掌し静かに首を垂れた。


【鹿冶梟介、吐き気を催す】

解剖が始まる直前、Aがこう提案した。

「僕は胸部外科に興味があるから、心臓と肺の摘出は是非させてほしいな」

サッカー部に所属するAはしっかり者で、班のリーダー役のような存在だった。

ちなみに彼は宣言通り5年後外科に入局し胸部外科医になった。

「んじゃ、俺は盲腸を切ってみたいな。子供の頃、虫垂炎で手術を受けたからなぁ」

お調子者のBは、分かる様なやっぱり分からない理由で消化管の解剖を希望した。

ちなみBは消化器外科医ではなく、後に産婦人科医となった。

卒業後血液内科を専門としたC、眼科医になったD、放射線科医となるEは...

「特に解剖したい臓器はない」と異口同音に答えた。

で、鹿冶は何か希望あるか?

Aがそう聞くので、鹿冶はこう返事をした。

「それじゃ...、脳の摘出は任せてくれ

極端な話だが当時の鹿冶梟介は脳外科医か精神科医になりたいと考えていた

脳外科医になりたいと思ったのは漫画スーパードクターKの朝倉雄吾(あさくらゆうご)が好きだった為と記憶している(朝倉雄吾の何がそんなに気に入ったのかは失念したが)。

一方、精神科医になりたいと考えたのは、note過去記事「映画と精神医学(2): エクソシスト」を参考にしていただきたい。

「ははは…。それにしても、なんだかシュールだな。ファミレスで注文を取るみたいに解剖部位を決めるなんてさ!...それにしても、今日の昼飯、俺たち食べられるんかな〜?

屈託のないBの発言はグループ全員に衝撃を走らせた。

眼前の検体に圧倒され、誰も昼食のことなど考えていなかったのだ。

鹿冶は不気味な連想をしてしまい、吐き気を催した

「(やっぱり脳外科医は無理だな…)」

鹿冶梟介は、早速進路変更を余儀なくされた。


【鹿冶梟介、静かに目を閉じる】

解剖は「解剖実習の手引き」を参考に系統的に行われた。

最初は体幹の皮膚剥離からはじまったと記憶している。

メス、ピンセット、ハサミ(クーパー)を駆使して、まずは皮膚を剥離していく。

親指と人差し指とで皮膚に張力を与えながらメスで割を入れる。直交するように二つの割を入れた後、皮膚の"角"をピンセットでつまみ持ち上げる。

ピンセットで皮膚(真皮)を引っ張りながら、メスの刃で白い真皮と黄色い皮下組織の境界を撫でるように切ると”シート"のように綺麗に皮膚が剥げる…、はずであった。

しかし、なにぶん人の皮膚を剥ぐという行為は初めてであり、また献体の皮下脂肪が少ないせいか思うようにメスの刃が進まない。

当初は恐る恐るメスを握っていた医学生たちは、次第に「上手くシート状にできないものか」と皮膚の剥離に集中し始めた。

実習全体を把握しているわけではないが、解剖初日に泣き出す者、吐き気を催し中座する者はいなかった。

医者の卵たちは存外早々に人体解剖という非日常に適応し始めた

解剖初日は、皮膚剥離と皮下脂肪の除去、そして皮下脂肪の下にある筋肉と静脈の名称を覚えさせられた。

1年後期にあった骨学実習の際、骨の名前や部位を全てラテン語で覚えさせられ大変苦労したが、今回の解剖実習では何故か日本語で覚えてもよいとされた。

察するに解剖実習という苦行を加味しての配慮であろう。

この配慮のおかげで口頭試問はとても楽に感じた。

口頭試問では教員が各グループを周り、「この部位の名称は?」と献体を用いながら質問する。

確か5つの質問に4つ正解すれば合格だったと思う。

尚、解剖実習終了後の定期考査(テスト)では、200問以上の筆記テストに合格する必要はあるのだが…。


口頭試問で鮮明に覚えているのは、「腕神経叢」という部位を解剖するときの出来事である。

腕神経叢は脊髄から伸びるC5~Th1神経が複雑に入り組み、末梢で筋皮神経、腋窩神経、橈骨神経、正中神経、尺骨神経を形成する。

この複雑な神経の交差が、人間の手の複雑かつ繊細な動きを支えているのだ。

腕神経叢の解剖を鹿冶とBが引き受けたのだが、二人とも全く予習をしていなかったため、気づけば神経叢はズタズタに切り裂かれていた。

「… おい、腕神経叢ってどれ? … っていうか、無いじゃん、腕神経叢… !!」

とAが指摘するも、時すでに遅し…。

隣のグループで口頭試問を終えた教員が、鹿冶のグループの元にやってきた。

「やばいよ、どうする…?」

慌てふためくBに対して、静かに目を閉じた鹿冶はこう答えるのが精一杯だった

甘んじて受け入れよう…😑


<後編に続く>


【参考文献】

1.解剖実習の手引き. 寺田春水、藤田恒夫, 南山堂

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