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批評における文脈形成と「私」(なぜみんなで批評をやるのか)-ことばの学校演習科山本浩貴回を終えて
山本先生回3回目を終え、最後の質疑応答で、批評の型を突破するのに、「私」性は有効かと質問し、またそれに続く質疑で他の受講者から、最後の一文の重要性が指摘された。
その後、やはり批評はみんなでやる意味があるのではないか(同人誌を作るとか)と提案してみた。その実現可能性はともかく、みんなで批評をやる意味はどこにあるのか、以下簡単に説明する。
1 「私」性の価値
豊崎・倉本・山本回を終えて、一つ
書評とのりたま-ことばの学校批評クラス豊崎先生回雑感
SNSのXで、子どもがご飯にのりたまを振りかけすぎるので、その原因を考えてみると、パッケージどおり山盛りにしようとしているのではないか、という推測を披露する投稿を見た。
(遡っても上記ポストが見つからないので、記憶違いかもしれないが)
とは言え、パッケージどおり山盛りにすると、美味しくない(しょっぱい等)と感じる人も少なくないだろう。ただ言うまでもなく、ちょろちょろっと振りかけただけの写真がパッ
ことばの学校 第4回 文体と出来事 宮部みゆき『ぼんぼん彩句』
第4回の講師は小説家の宮内悠介氏であり、特に印象的だったのが文体である。宮内氏は、かつて〇〇の文体でミステリーを書いてみようと試みたことや、宮内氏自身が作品ごとに文体を変えることができる(できてしまう)こと、それゆえに脱線も含めた独自性を備えた文体に憧れることが語られた。
たまたま最近読んだ宮部みゆき『ぼんぼん彩句』は、一つの俳句に一つの短編という形で、俳句と結びついた作品が収められた作品集であ
ことばの学校 第3回-有名人の透明な対談 星野源×オードリー若林『LIGHT HOUSE』
第3回は水上文氏をゲスト講師に迎えての講義であったが、印象的なのは、批評の書き手が透明ではいられないという話だった(佐々木先生の、社会反映論を経て、ある時代に書き手が透明であることを求められることになった旨の応答も興味深かった)。
第3回の講義動画に少し遅れて配信されたのが、星野源とオードリー若林の対談番組「LIGHT HOUSE」(Netflix)である。佐久間宣行がプロデューサーを務め、全6
ことばの学校 第1回 感想-あらすじと感想
ことばの学校が始まった。
せっかく正規受講しているので、
リアルタイムで視聴し、質疑応答に参加したいところではあるが、
仕事や家庭の事情で、ほぼそのような機会は得られないだろう。
そこで、アーカイブ視聴したうえで、
リアクションペーパーのようなものを、毎回ここに、勝手に、
書いていこうと考えている。
内容は毎回の講義の感想なのだが、
講義をきいて、自分が想起したこと、作品、言葉を中心において、
ポリコレとマスターベーション -『ハーフ・オブ・イット』『ブックスマート』『ロング・ショット』
2020年に観た映画のベスト5を挙げろと言われたら、この3作品はいずれも入らない。だが、2020年を代表する映画を挙げろと言われたら、この3作品を外すわけにはいかない。「ポリコレ」という略称には、揶揄する響きも含まれるが、この3作は、良し悪しはともかく、作品中にポリコレ(ポリティカル・コレクトネス)に関する配慮を行き渡らせた作品だと言える。そのことが、作品としての価値を高め、現実世界に影響を与え
もっとみる『はりぼて』☆☆☆☆-省略された場面に何をみるか
本作は、日本の、一地方自治体の、個々にみれば決して多額とはいえない公金の不正を追うことで、日本の地方議会、あるいは立法と行政が抱える問題を分かりやすく示した。音楽の使い方に表れているように、滑稽さを演出に加えることで、観客に、本作が扱う問題を身近に感じさせるだけでなく、笑うしかない、そんな問題の根深さを突きつけることに成功している。それでもなお、ラストにわずかながら疑問が残る(以下、ネタバレあり
もっとみるコロナ禍のクドカン-『熊沢パンキース03』と死んだ日常-
宮藤官九郎作・演出『熊沢パンキース03』を、映像(WOWOW)で視聴し、これこそ今観られるべき作品だと感じた。「接客を伴う飲食店」そのものの店を舞台に、謎の感染症が蔓延する中、登場人物たちは野球や身内ネタで盛り上がる。執筆当時、当然のことながらコロナ禍のことなど想像する余地もないであろうし、「熊沢~」の架空の感染症は、エボラやエイズなどを念頭に置いたもののように思える。それでもなお、本作で描かれ
もっとみる『はちどり』☆☆-少女への過剰な期待
公開前から前評判が高く、ミニシアター系の作品であるにも関わらず、上映の範囲を拡大しているようである。確かに、舞台となった当時の韓国社会の様々な矛盾(特に女性に対する抑圧)を、丁寧に描いており、解釈や読み解きのためのフックが多い作品である。主人公の感情も繊細に描かれており、男女問わず、思春期の一場面として、共感できる部分も多いのではないだろうか。だが、あまりにも、主人公の少女に多くのものを託し過ぎ
もっとみる『劇場』☆☆☆-ヒロインを超えた松岡茉優
本作の成否は、松岡茉優演じるヒロインにかかっていた。本作(おそらく原作も)の戦略は、一見すると、主人公を慰撫する、物分かりの良い母性に溢れたヒロイン像を設定し、主人公の未熟さや身勝手さ、卑小さを強調するというものである(後半は、彼女が病んだ状態になるが、これもまた母性を強調する前半と表裏一体である)。また、本作は主人公の視点で語られるため、主人公にとってあまりにも都合のよい(甘いと主人公自身も認
もっとみるシアターコクーンの自由と不自由 -『プレイタイム』と松尾スズキ版『劇場の灯を消すな!』
劇場に観客を入れて芝居を見せることが難しくなっている今、演劇人たちは、様々な方法で、新たなパフォーマンスのあり方を模索している。リモート演劇のように、オンラインツールの制約を利用して、新たな芝居を作る試みは、その一つだろう。
多様な試みが存在する中、あえてそれらに共通する点を挙げるとすれば、劇場・対面・リアルタイムで芝居をできないことが、不自由ではない、と強調していることではないだろうか。