『はりぼて』☆☆☆☆-省略された場面に何をみるか

 本作は、日本の、一地方自治体の、個々にみれば決して多額とはいえない公金の不正を追うことで、日本の地方議会、あるいは立法と行政が抱える問題を分かりやすく示した。音楽の使い方に表れているように、滑稽さを演出に加えることで、観客に、本作が扱う問題を身近に感じさせるだけでなく、笑うしかない、そんな問題の根深さを突きつけることに成功している。それでもなお、ラストにわずかながら疑問が残る(以下、ネタバレあり)。
 本作の成功の要因は、不正に手を染めた市議会議員を、物語のキャラクターとして位置づけたことである。どこにでもいる中高年の男性であるはずなのに、一人一人が、憎むべき対象であり、また憎めない人間として描かれている。隠ぺい工作をする者、すぐに謝罪する者、裁判で潔白を証明すると言う者など、同種の疑惑に対して、それぞれがとる態度は様々であり、市議会議員たちが、決して計算だけで動いているわけではないことがわかる。だからこそ、慣習として不正請求がはびこっていた現実に、落胆しないわけにはいかないのである。
 もう一つが、行政側のリアクションを克明に捉えたことである。市議会議員が、不正請求の主役である一方、情報公開請求に関する情報を、無断で、役所内で共有していた職員たちも、不正請求追及劇の登場人物である。立法府を担う市議会議員が、会派を組むといっても、基本的には個々人で判断するのに対し、行政の職員は、組織的に意思決定しているため、個々の顔が見えづらい。だから、カメラを向けられた時の動揺の程度は、市議会議員以上である。何とか平静を装って言い逃れようとするが、態度や表情がぐらぐらと揺れている。やや残酷な印象を与えるくらい、個々の対応力は弱い。そして、個々にはあっけなく非を認める職員たちが、組織ぐるみでルールを破っていることが、絶望的なのだ。
 本作は、自分たち(テレビ局)自身にも、追及の目を向ける。それを事前に聞いていたので、期待しすぎたというのはある。そうだとしても、終盤の自分たちへの視線は、期待外れと言わざるを得ない。ポスターに記されたスローガンなど、伏線は張られていた。体制寄りになっていくメディアの姿勢を問うというのは、本作の目玉となる展開の一つだったのだろう。しかし、本作には、監督たるキャスターが辞任する姿や、記者の異動を説明する場面があるのみで、社内の意思決定の過程は一切映らない。監督が上司に詰め寄る場面があるわけでもないし、監督自身が具体的に語るわけでもない。もちろん、本作はドキュメンタリーであり、脚本に書き足せば場面になるフィクションと異なり、撮れなかった場面、撮っても公開できない場面はあるだろう。また、本作が、日々の議会への取材の集積であることを考えると、特別に社内の様子を撮ることは難しかったかもしれない。
しかし、取材対象への追及の様子と比較すれば、社内に関するあれこれは、最後におまけ程度に追加した印象である。本作で省略された場面にこそ、本作が最も追及すべき問題があったように思える。

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