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祖父の原風景「村境の神社への道」と、現代で電車を熱心に見つめる幼い子の小さな背中の交差点

普遍的で変わらないものは、目に見えないことが多いです。
サン=テグジュペリも言うように。

時代は変わっても
人々の思いやり、愛情
子どもを大切にする心は変わらないと、願っています。

🕰️

自分より幼く弱いものを守り育むこと。
きっと、どんな文化でも、共有できる想い。

🕰️

私の母方の祖父の原体験です。大正の終わりのこと。

田舎の景色をご想像ください。

私の母方の祖父は末っ子で
祖父の母である曽祖母は体が弱く若くして亡くなっています。
祖父は母を覚えていません。

祖父は10歳上の兄と4つ上の姉がおり
兄は学校があるから幼い姉と弟が留守番する日もありました。

🕰️

曽祖父は大きな農家をしています。

ある日、お父さんの帰りが遅くて、
幼い祖父が心細くなり静かに泣いていると、
大伯母が幼い弟をおぶって、
「村境の神社まで、お父さん迎えに行こうか」と慰めてくれました。

『となりのトトロ』と状況は似ていますが、
あれは昭和30年代だから、時代が少し異なります。
両者は第二次世界大戦を挟む位置にあります。

時が経ち祖父は、母親代わりをしてくれた姉を大事にする、紳士に成長しました。

結核で亡くした妻を60年想い続け
大往生したロマンチストで
猥談や性的な話をしない人でした。

文化的なことが好きでした。社交ダンスとか。
祖父が覚えたステップを、踊る自信無いです。

🕰️

2024年の現在、私が住んでいる街の景色に
祖父の原体験、幼い祖父と大伯母が
曽祖父を迎えに歩く様子を重ねることがあります。

最寄駅の近くに、電車が好きな子にとって
ちょうどいいスポットがあるんです。

見通しのいい綺麗なフェンスがあります。

保育園の先生達が
ちっちゃい子いっぱい乗せて押してらっしゃる、お散歩カートがありますよね。
あれを複数置いても安全で、結構ゆったりしたスペース
ガードレールで三角州のように囲まれているから、車からも安全。

だから、保育園の先生が、幼い子と電車を見ていたり

お子さん連れて親御さんもいらしたり

ちっちゃい子の気が済むまで
「ほら、また電車来たね」なんて言いながら
どなたかいらっしゃる。

🕰️

大正の終わりの田舎と、令和の都市では
何もかも違うんです。

私の祖父の姉、私の大伯母からすれば
「私も幼いのに弟をあやすの大変です」と
言いたい日もあったことでしょう。

昔の社会は、まだ子どもを預ける仕組みが整備されていませんでした。
文化が異なる。

それに、頼りになる10歳以上の兄は、学校行ってるし。

そんな時代に、祖父をあやし、「村境の神社まで行ってみようか」と
慰めてくれたお姉さんにしろ
保育士さんや保護者さんにしろ

自分より幼く弱いものを守り育む点は、時代が変わろうと共有できる想いがあると思うのです。

何気ない町の美しい光景の中に、幾つもの原風景が幼い子の中に蓄積されていますね。
守り愛された記憶と共に。

このように、大正の終わりと令和の現代が、私の中で交差します。

時が経っても、変わらないもの。
確かなこと。


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