暴力か風雅

父方の祖父は3回徴兵されました。怪我をせずに生還したけれど、優しい明治男児では無くなり、家族に暴力を振るいました。本稿ではAと呼びます。

母方の祖父は徴兵検査で胸が薄いから落とされ、数えで100まで生きました。満鉄で勤務した際に、民間人でも居住区を襲撃されています。多くの生死と大陸の広い空を見て、帰国しました。Bとします。

Aはお金持ち、Bは妻を結核で亡くして1人で仕事・家事・子育てを担ったから裕福ではありませんでした。

けれど、大正生まれのBは、「美しいなぁ」という詠嘆が語彙にある人で、上手ではないけれど短歌を愛しました。手料理を振る舞い、本を読みました。

イソップ童話みたいですが、2人とも実在し、僕にとっては大切な祖先です。戦場での経験と、満鉄での仕事や抑留と引き揚げ船などの経験は次元が異なると思います。けれど、Bが心を壊さずに済んだのは、美を感じて言葉で共有する文化への敬意によると思います。

 

Thank you for taking the time to read this.