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エッセイ「Picture of My Life」

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このマガジンは私が「両親の相次ぐ自死」を題材に20年かかって作品を制作した経緯を10話のエッセイとしてまとめたものです。 以下は作品の紹介文です。 写真集「Picture o… もっと読む
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記事一覧

1) 父の絵

1) 父の絵

ふるびた集合団地の一室。リビングに敷かれた緑色の絨毯に親子の影が伸びる。

9歳の頃、父から小遣いをもらって絵のモデルになっていたことがある。

11月の気持ち良く晴れた日曜日。窓の外には黄色く茂った銀杏の並木と、うろこ雲、どこまでも透明な青い空が広がっている。

やわらかな午後の光がはいる窓際に椅子をおいて腰かける私。2メートルほど離れた場所にイーゼルを立て、キャンバスに向かう父。

「カサ、カ

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2) 両親がくれたもの

2) 両親がくれたもの

あけ放たれた縁側から差しこむ光。

畳の部屋。

土壁にもたれて、ちょこんと三角座りをする制服姿の少年。

長袖のブレザーはブカブカで、半ズボンからヒョロリと細い足が伸びている。

野球帽を斜めにかぶり、前髪は額の真ん中あたりでピシリと横にそろえてある。

本を手にして恥ずかしそうな、はにかみ笑顔。

祖母がつくった家族アルバムで見た、たて型名刺サイズの古いモノクロ写真におさまった10歳頃の父。

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3) 錆色の空

3) 錆色の空

「ノストラダムスの予言では、1999年7月に地球は滅びるらしい。あと1年しかないんだよ?」

テレビが大袈裟に騒いでいるのを、深夜のリビングでぼんやり眺めていた。

この頃、母は49歳で更年期障害から鬱病を発症。不眠が続き、頭痛、めまい、不安感に襲われていた。

「お前はなんでそんなに弱いんや。頑張るて言うてたやないか。俺までおかしなるわ!」

月曜日の夕方。包丁をもって狭い部屋に閉じこもった母を

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4) 悪夢の知らせ

4) 悪夢の知らせ

「なんでそんなとこで正座なん?ソファか椅子にすわったらええやん」

「ここがいいの。落ち着くから…」

真昼の日差しが入るリビングのすみで、母がカベを向いて正座している。

「夜は寝れた? 体は大丈夫?」

「寝てない。頭が重たいの。脳が圧迫されるみたいで不安になる。ごめんね…。私が悪いの」

2畳ほどの衣装部屋で、包丁をもってしゃがみこむ母。

仕事から帰宅した父がリビングに母がいないことに気づ

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5) 死の淵

5) 死の淵

重たいバックパックを背負って、23時過ぎに自宅のインターフォンを鳴らすと、生気のない顔をした兄が玄関を開けてくれた。

1ヶ月半ぶりの自宅は、12月の外よりも寒い。

線香の匂いがする。

タイで見た悪夢が続いているみたいだ。

2階のリビングに荷物を下ろして階段を上がる。

仏間の引き戸は取り外されて、見たことがない大きな祭壇があった。

冷たく張り詰めた空気。たくさんの供花。暗闇をぼんやりと照

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6) 父が遺した家族アルバム

6) 父が遺した家族アルバム

旅から帰宅して唐突に両親の死に近づいた私は、目の前で起きている事の理不尽さにただ呆然としていた。

寝て起きたら夢だった。

なんていう落ちはついてないみたいだ…。

いくら心が痛くても、大声で泣きわめいても、酒をあおって酩酊し気絶するように眠っても、時計の針はただ前に進む。

絶望に飲み込まれながら、私は目の前のありのままを記録して、今しかないギリギリの感情を残そうとした。

写真を撮る事で自分

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7) 色が消えた家

7) 色が消えた家

「今年の7月に世界が破滅するって、予言者が言うてたらしいけど、なんも起こらんかったな。

うちの家族は去年ぶっ壊れたけど…。もう世界なんか終わったらええのに…」

1999年12月の午後、両親の一周忌が終わり親戚が帰ったあとのリビング。

私は深く吸い込んだハイライトの煙を吐きながら、ソファーに座る兄に言った。

両親の死後、時間は何もなかったように流れてこの世界は私に生きることをしいる。

みぞ

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8) 新しい家族

8) 新しい家族

2004年4月。

写真で生計を立てることを諦めた27歳の私は、兄と一緒に家業の運送会社で働きはじめた。

職場の人たちは私の知らない父の話を聞かせてくれた。

ここでは父は不幸な人として扱われるのではなく愛されている。

仕事内容は体力のない私には不向きな、深夜勤務のトラック運転手。

いつも睡眠不足で仕事に面白みは感じなかったが、両親の自死を隠す必要がないこの場所に救われた。

       

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9)写真家としてのデビュー

9)写真家としてのデビュー

娘の誕生を撮った写真を見ることで、私は両親と会話するような感覚を持つことができた。

そして、長く忘れていた両親の自死を思い出した。

生と死。

私にとっての充足と欠落の出来事を1つの塊として見たい。

自分の人生を物語としてまとめたいという欲求が膨らんでいった。

それからは過去の写真を見返す、今の家族写真を撮る、プリントした写真の束を作品として人に見てもらう。

という一連の制作サイクルを自

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10)写真集を出版したこと

10)写真集を出版したこと

2015年に東京の写真ギャラリーRPSで開催された手製写真集製作のワークショップに参加し、RPSキュレーター後藤由美さん・写真家のヤン・ラッセルさんと「Picture of My Life」をつくった。

由美さんとヤンさんに相談しながら、大まかなストーリーラインをつくり、写真を分類分けして流れをつくる。

1人で滞っていた編集作業が、由美さんと話し合うことで、無駄がそぎ落とされて物語として纏まっ

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