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咲かずとも成らずとも。
私は望んでキャリアブレイクをしたのだから、仕事をあえてしない時間を自己満足で過ごす。
出来るだけ外界を遮断し、人付き合いを避け、やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらない。
そのように過ごすことを無為とみなすか、充電とみなすかは己のとらえ方次第だ。
向こう見ずだったのかもしれないが、大体において大きな選択は向こう見ずになされる。
その結果など想定出来はしないが、やむにやまれずベターだと判断
自分以外の何者にもならない。
まとまらない自分でも肯定して生きていく。
社会人としてうまく機能しなくなった自分を責めて、厭になったんじゃないか。
かけがえのない私を、他でもない私がけなしていた。
苦しかった。
だから、辞めたんじゃないか。
しばらくひとりで日常に潜って自分を回復させると決めたんじゃないか。
ありのままの自分を見つめて生きていくんだ。
感じるままに考えるままに、そのことを記録するんだ。
もはや何者にもならないとい
消化試合、ではない。
誰もがみな死ぬしか無い人生を生きているのに。
やり過ごして、どうにかやり過ごしてみても死ぬしかないのに。
フツウから出るのはとても怖い。
でも、フツウの中にいても死ぬしかない。
私は死ぬしかない人生で、生きててよかったと思いたい。
怖いけど楽しいそんな日を生きたい。
一方通行の人生で、巻き戻しも出来なくて。
私は生きていることをつまらないと思いたくない。
生きていることは奇跡で、死ぬことは必然で。
だれのために、なんのために。
職場は人生の帳尻を合わせてはくれない。
公僕として、市民のために働くという高い意識を持てという。
そうやって、自分に合う合わざるに関わらず置かれた場所で懸命に働き、順調に出世したとして、60歳になれば役職定年という問答無用の降格だ。
残っていてもいいですよ、と懐の深いことをいうが給料は長年の労に報いることなく勝手に大きく削られる。
そして、65歳まで定年延長という一見優しげな誘いに乗らず辞める決断