苦さは旨味

仕事を辞めることで、まるで人としての歩みを止めるような印象をもたれがちだが、一旦社会人の立場を放棄しなければ、自分と向き合うことが難しい。
あり余る自由時間を得て、自分と向き合い、家族と向き合い、家や庭と向き合い、家事と向き合い、本と向き合い、将来と向き合う。
あまりにも多くの時間を仕事に取られ、そしてそれは集中力や克服することや、無関心を粉飾することを常に求めるので、私はもはや己に向き合う気力を持たなくなってしまう。
そうすると、自分が誰なのか、自分らしさとは何かがどんどん見えなくなる。
人はいつか必ず不意に死ぬというのに、ただ生活をするために生きて終わってしまう。
私はそんな生き方は嫌だ。
めいっぱい自由に生きたい。
遊んで、思考して、書いて、閉じられた自分の王国だけで暮らしたい。
自分をまず満たさなければ、外には出たくない。
私を満たすものは、私であって、外部のいかなるものでもない。
私が経験し考えることが私を満足させるのである。
自己満足以外の満足はないと言った人がいたが、彼は幸福だろう。
今はまだ仕事を辞めることを数日後に控え、ただ憂鬱だ。
私にとって間違いなく正しい選択だが、家族は承認しがたいと容易に想像できるから。
でもこれは私の人生なのだ。
誰も私の代わりに働いてはくれない。
誰も私の代わりに静寂の海にひとり潜って楽しむことは出来ない。
みとめられずとも、私は私らしく生きなければならない。
今までもそうやってきたじゃないか。
先達などない事だってやってきたじゃないか。
私の前に道はない。
私の後に道はできる。
私の生活圏内にいない誰かは、人生の果敢なパイオニアだ。
人生とは、毎日掘り進める小道であって、レ-ルに乗ることではない。
一見安心の軌道だが、それは予告していた通りに無情に終わる。
そこからの人生を生きる選択は、誰しも必ずや突きつけられる。
遅いか早いかの違いだ。
他者から引導を渡されるのを予見しながら何もしないのか。
自分一人で考えて、以降の人生に不要と断じたら潔く離れるのか。
私は後者を選んだ。
後悔はしていない。
認められない選択の苦さを感じているだけ。
でも、苦さが旨味であることを大人の私はもはや知っているのだ。

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