ラル

日常に輪郭を。

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日常に輪郭を。

最近の記事

見失うな。

なんのために働いているかといったら、家族との生活を維持するためだ。 しかし、その仕事の負担が大きすぎて、家族との時間ですら上の空というのは本末転倒だろう。 確かに私は今働いていない。 でも、夫にそれを指摘する。 仕事をしているのだから家庭を顧みなくて良い、などという寝言を誰が言うもんか。 なんのために働いているのか。 家族のためである。 ならば、家族の時間を侵食しないよう仕事を調整すべきなんだ。 確かに難しいこともある。 仕事の負担が大きければ大きいほど、心は虚ろになり生活は

    • 咲かずとも成らずとも。

      私は望んでキャリアブレイクをしたのだから、仕事をあえてしない時間を自己満足で過ごす。 出来るだけ外界を遮断し、人付き合いを避け、やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらない。 そのように過ごすことを無為とみなすか、充電とみなすかは己のとらえ方次第だ。 向こう見ずだったのかもしれないが、大体において大きな選択は向こう見ずになされる。 その結果など想定出来はしないが、やむにやまれずベターだと判断した道を行く。 私は20年続けた仕事を次のアテも無く辞めたわけだが、おかげで自分

      • 選択

        人生に絶対に正しい道など無い。 常に選ばなかった方を良しとしていたら、自分が唯一の意思決定者であるはずの人生で足踏みしてしまう。 私は仕事を辞め、小学生になったばかりの娘を毎日学校へ送迎し、一緒に風呂に入り、宿題をみて、娘の好きな動画も観て、とにかくずっと一緒にいる。 それを密着し過ぎではないかと言われた。 義母の希望で習わせているピアノを娘が飽きたから辞めたいと言った時の、義母の言葉。 義母は一人息子を公務員をしながら育てた。夫はまったく育児や家事をしない時代。夫の両親との

        • 死にいく勇気

          痛みを共有することなど、出来はしない。 愛する人が、その生を諦め、日常を捨て去り、ただ死を望んでいるようにしか見えない時、そのやるせなさを誰かに共有してほしいと思う。 しかし、それは余りに重いのだ。 もうその状況を述べ伝えるだけで、聞いた人間はそのやるせなさを話した人間と同じく、またはそれ以上に共有してしまう。 遠隔地にあり、その目に見えていないとしても、想像という目で見てしまうからだ。 そして、現状を変えられないということも瞬時に悟る。 己の生を諦めている人間に翻意させるこ

        見失うな。

          私を生む

          子どもを生んで産休を取った。仕事から切り離され、意思疎通出来ない子どもと部屋に閉じ込められた。 連日の夏日で、空はクレヨンで塗ったように青かった。窓越しにそれを見て、砂を噛むような想いだった。私は社会から切り離され、絶望していた。 今、仕事を辞め自分から社会との繋がりを切った。同じくパステルカラーの青空を見ている。無音の中で、たったひとりで。 でも、虚しくはない。 私は生まれ直している。社会人として生きてきた時代を終えて、新しく生まれようとしている。私に必要な言葉をとりこんで

          私を生む

          自分以外の何者にもならない。

          まとまらない自分でも肯定して生きていく。 社会人としてうまく機能しなくなった自分を責めて、厭になったんじゃないか。 かけがえのない私を、他でもない私がけなしていた。 苦しかった。 だから、辞めたんじゃないか。 しばらくひとりで日常に潜って自分を回復させると決めたんじゃないか。 ありのままの自分を見つめて生きていくんだ。 感じるままに考えるままに、そのことを記録するんだ。 もはや何者にもならないということを固く決心するんだ。 自分以外の者にはならない。 それが叶う生活を続ける。

          自分以外の何者にもならない。

          私というしごと

          職場は人を見てはいない。 社会的評価が高く給料も安定し、それなりに本人がやりがいを持っていたとしても、どこまでも代替えできる。 そして、職業人としてどれだけ自負を持っていても、強制的にその役目を降ろされ退職させられる。 なにを人生において優先するかを己で決めなければならない。 私は私の人生を仕事ありきにしない。 無職でも、なにをやっても私が自分の人生に納得できるかが最も重要だ。 私は社会人として生きるステージを卒業した。 自らの意志で幕を引いた。 これからは、何者にもならない

          私というしごと

          おとなの無邪気

          私は私の子ども以外の子供は苦手だ。 自分の子ですら、意思疎通ができない赤ちゃんの時期はノイローゼになっていた。 私が仕事を辞めるタイミングで、子どもも幼稚園を卒園して、一緒に春休みを過ごしている。 もちろん終日一緒だけど、もう平気だ。 ちゃんと意思疎通ができる。 だけど、自分の子以外の子どもとはできる限り接したくない。 家に招くなど到底したくない。 子どもは無邪気という武器で私をはっきりと執拗に責める。 私は、ひとりになりたくて仕事をやめた。 子守をするためじゃない。 私はた

          おとなの無邪気

          旅立ちの春

          人生が巻き戻せず、いつ終わるかも分からないのなら、今日だけを生きる気で生きる、という生き方しかないだろう。 このチケットは1日券かもしれない。1日券ですらないかもしれない。 それならば、できるだけたくさんの駅で降りて、たくさんの場所を見てみたいと思うだろう。 見飽きた場所を出てみたいと思うだろう。 結局、自分の意志で降りなかったとしても、終着駅は皆おなじだ。 留まっているからこそ見える景色もあるかもしれない。 でも、降りたいなと思うなら降りるべきだ。 この列車は死に向かってい

          旅立ちの春

          消化試合、ではない。

          誰もがみな死ぬしか無い人生を生きているのに。 やり過ごして、どうにかやり過ごしてみても死ぬしかないのに。 フツウから出るのはとても怖い。 でも、フツウの中にいても死ぬしかない。 私は死ぬしかない人生で、生きててよかったと思いたい。 怖いけど楽しいそんな日を生きたい。 一方通行の人生で、巻き戻しも出来なくて。 私は生きていることをつまらないと思いたくない。 生きていることは奇跡で、死ぬことは必然で。 それなのに、なんで日々はこんなに色褪せているのか。 生きるとはなにか。 消化試

          消化試合、ではない。

          船出。自分へ。

          20年間勤めた公務員を今月で辞める。 正直言って、怖い。 今日親に話した。 親の不安がありありと伝わった。 なんで? もったいない。 なんでなんて、自分が何度自分に問いかけたか。 このまま、この場所にいると思っていた。 でも、急に潮時だと感じた。 それはもうはっきりと、仕事への興味も熱意も消え去った。 潮が引いた。 ここではもう泳げない。 不安しか今はない。 でも、心を覗き込むと、これでいいんだと聴こえる。 このまま人生をやり過ごすように生きてはいけない。 立ち止まって、しっ

          船出。自分へ。

          遊ぶ

          おかしいほどに、親は親で弟は弟でいくつになっても頭の中の我々は若いままだ。 親はもう70代。 こどもの私達兄弟も40代後半の立派な中年なのに、ずっとずっと若いつもりでいる。 笑ってしまう、おかしくて。 人は死なないつもりで生きてるし、若いつもりで生きてる。 表の顔や、立場だけが勝手に変わっていくだけで、中身は若い時とほとんど変わらない。 それはとても素敵なこと。 外からはどう見えようが、私は変わらぬ自分で生きればいい。 大事なのは、外側の色々に私を潰されないこと。 ここからの

          苦さは旨味

          仕事を辞めることで、まるで人としての歩みを止めるような印象をもたれがちだが、一旦社会人の立場を放棄しなければ、自分と向き合うことが難しい。 あり余る自由時間を得て、自分と向き合い、家族と向き合い、家や庭と向き合い、家事と向き合い、本と向き合い、将来と向き合う。 あまりにも多くの時間を仕事に取られ、そしてそれは集中力や克服することや、無関心を粉飾することを常に求めるので、私はもはや己に向き合う気力を持たなくなってしまう。 そうすると、自分が誰なのか、自分らしさとは何かがどんどん

          苦さは旨味

          だれのために、なんのために。

          職場は人生の帳尻を合わせてはくれない。 公僕として、市民のために働くという高い意識を持てという。 そうやって、自分に合う合わざるに関わらず置かれた場所で懸命に働き、順調に出世したとして、60歳になれば役職定年という問答無用の降格だ。 残っていてもいいですよ、と懐の深いことをいうが給料は長年の労に報いることなく勝手に大きく削られる。 そして、65歳まで定年延長という一見優しげな誘いに乗らず辞める決断をした場合、一身上の都合により、という退職願が必要だという。 この期に及んでもま

          だれのために、なんのために。

          ここから出る。

          今月で20年続けた仕事を辞める。 肩叩きにあった訳でもなく、病んだわけでもない。 ただ、潮時だと強く感じるだけ。 割とすんなりと職場の人には受け入れてもらえた。辞めるという選択肢がまだ見えない彼らからは、無謀にも思えるのかもしれない。 何か決定的な辞める理由、もしくは次の仕事がすでに決まっている以外に、自分を見つめ直すために辞めるという選択は、私も自分で持て余しているくらいだ。 でも、死を思えば時間をやり過ごすように日々を費やしてはいけない。 着せられた役職という服がどうにも

          ここから出る。

          後悔しない?

          退職願を出して、なんのリアクションもなかった部長から、ちょっといい?と部長室に呼ばれた。 退職願は、A4用紙1枚で退職理由も、勝手にシンプルに一身上の都合とあらかじめ書かれている。 だから、もう1枚足して、理由とも言えないような理由を書いた。 勤続20年目を迎えたこと。1年くらい前から退職を考えていたこと。 潮時だと思っていること。 部長は、次に何をやるの?と聞いた。 何も決まってません、本当に。 と、答えた。 後悔するなよ。それが1番だいじだよ、とだけ言ってくれた。 楽しい

          後悔しない?