ラル

日常に輪郭を。

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日常に輪郭を。

最近の記事

ベクトル

本当のところは分からないけど、どうも神様がベクトルを示していると思う時がある。大切なことはそれじゃない、これだ、これなんだと何度も何度もあり得ない出来事で。 私はそれをまっすぐに受け止めてみたいと思う。 私が迷っているとき、なぜか同じベクトルが頻発して現れる。気のせいと片付ければなんでもないこと。でも、意味があると考えると腑に落ちることがある。神様を信じていると言うと強すぎる表現になるけれど、あまりに頻発する同じ方向を示すベクトルはその存在を匂わす。人知を超えるものなど、たく

    • 初心に立ち帰れ。

      仕事をしている、その一点だけを過大に評価して、その他のことなど取るに足らないと思わせることが内助の功などというふざけた理屈は到底許せない。 第一に、家族のために働いているのであって、家庭生活を営む余裕もない程に働くというのが本末転倒なのだ。家庭生活を何よりも優先し、仕事がそれを汚染しないように日々きをつけなければ、容易に本末転倒する。私は今働くことを休んでいるが、そのことを卑屈に思うことなど一切ない。私は子育てに専念し、家の中に安らぎを見いだし、生きている。そのような存在がい

      • 恋をするように生きる

        事実は小説より奇なり、と言うが事実は小説より素晴らしいと言わないのは何故だろう。 叶えた未来が鮮やかなのは、一瞬なのかもしれない。 色褪せて劣化していく。 素晴らしいと夢見た生活も。 でも、私は生きながら死にたくはない。 小説よりも素晴らしい日常を生きたい。 そのために出来ることは、明日死ぬかもしれないと思って、自分に正直に楽しく生きること。 自分の魅力を諦めないこと。 私は唯一無二の私であって、ただ枯れゆく存在ではない。 鮮やかに生きたい。 凛としてそこにあって、揺るがない

        • メメントモリ

          人は死に際して、何を思うのだろう。 もっと働きたかった、とか稼ぎたかったは無いだろう。私は家族との時間を大事にすればよかったと思うだろう。 一人娘と飽きるほど一緒にいたかったと思うだろう。 自分を卑下するような仕事は辞めて、自分が楽しいと思える仕事をしたかったと思うだろう。 食べるものを自ら作るということをしてみたかったと思うだろう。 ものを書き、表に出すということもしてみたかったと思うだろう。 私の時間を完全に自分のものとして、したくないことはしない、したいことだけをのんび

        ベクトル

          レールをおりて歩く。

          私は私の生き方を選んだのだ。 社会的評価が高い仕事をして、邁進している自分が好きだった。 そして、その時代は突然終わった。 終わったことを受け入れて、私は立ち止まった。 私はたったひとりの子どもと、充分に一緒にいたい。 他の何事にも煩わされず、向き合いたい。 思いがけず手に入れた戸建て新築の家にもずっといたい。 緑を飾ったりなどして、楽しく引きこもりたい。 時間を気にせず、やりたいことをやりたい。 もし、また働くとしても、誰かに雇われる仕事はもうしない。 物言わぬ何かと向き合

          レールをおりて歩く。

          ワクワク

          なんで仕事を辞めたかというと、自分が嫌いになったからだ。 私はもっと前向きな人間だったし、とても自信があった。 新しい仕事も貪欲に学び、自分をぶつけ、人にも同僚にも上司にも真正面からぶつかっていた。 自分の事が好きだった。 それは若さ故だけではなかったはずだ。 それがなぜ自分を嫌いになってしまったのだろう。人が怖くなり、仕事がつまらなくなり、自分になんの自信も持てず、ただ机に座っていた。 生きていない時間を過ごしていた。 夢を見た。家族で新しい土地に引っ越す夢だ。もちろん仕事

          舵を握る

          私は私を生きているのであって、働くために生きているわけではない。 選んだ仕事を違和感無く、または大いなる違和感を持ちながらも自分で続ける事に納得しているなら良い。 でも、私はあのまま働いていたら心身ともに大きくバランスを崩していた。 自分を毎日卑下して、なんの意味も見いだせない仕事に否応なく向き合って疲労していたと断言できる。 私は私を活かせない仕事から私を解放した。 またいつか、私を活かせる働き方が見つかるよう、心身を健やかに保とう。 どう生きても1度きりの人生だ。自分に正

          見失うな。

          なんのために働いているかといったら、家族との生活を維持するためだ。 しかし、その仕事の負担が大きすぎて、家族との時間ですら上の空というのは本末転倒だろう。 確かに私は今働いていない。 でも、夫にそれを指摘する。 仕事をしているのだから家庭を顧みなくて良い、などという寝言を誰が言うもんか。 なんのために働いているのか。 家族のためである。 ならば、家族の時間を侵食しないよう仕事を調整すべきなんだ。 確かに難しいこともある。 仕事の負担が大きければ大きいほど、心は虚ろになり生活は

          見失うな。

          咲かずとも成らずとも。

          私は望んでキャリアブレイクをしたのだから、仕事をあえてしない時間を自己満足で過ごす。 出来るだけ外界を遮断し、人付き合いを避け、やりたいことだけをやり、やりたくないことはやらない。 そのように過ごすことを無為とみなすか、充電とみなすかは己のとらえ方次第だ。 向こう見ずだったのかもしれないが、大体において大きな選択は向こう見ずになされる。 その結果など想定出来はしないが、やむにやまれずベターだと判断した道を行く。 私は20年続けた仕事を次のアテも無く辞めたわけだが、おかげで自分

          咲かずとも成らずとも。

          選択

          人生に絶対に正しい道など無い。 常に選ばなかった方を良しとしていたら、自分が唯一の意思決定者であるはずの人生で足踏みしてしまう。 私は仕事を辞め、小学生になったばかりの娘を毎日学校へ送迎し、一緒に風呂に入り、宿題をみて、娘の好きな動画も観て、とにかくずっと一緒にいる。 それを密着し過ぎではないかと言われた。 義母の希望で習わせているピアノを娘が飽きたから辞めたいと言った時の、義母の言葉。 義母は一人息子を公務員をしながら育てた。夫はまったく育児や家事をしない時代。夫の両親との

          死にいく勇気

          痛みを共有することなど、出来はしない。 愛する人が、その生を諦め、日常を捨て去り、ただ死を望んでいるようにしか見えない時、そのやるせなさを誰かに共有してほしいと思う。 しかし、それは余りに重いのだ。 もうその状況を述べ伝えるだけで、聞いた人間はそのやるせなさを話した人間と同じく、またはそれ以上に共有してしまう。 遠隔地にあり、その目に見えていないとしても、想像という目で見てしまうからだ。 そして、現状を変えられないということも瞬時に悟る。 己の生を諦めている人間に翻意させるこ

          死にいく勇気

          私を生む

          子どもを生んで産休を取った。仕事から切り離され、意思疎通出来ない子どもと部屋に閉じ込められた。 連日の夏日で、空はクレヨンで塗ったように青かった。窓越しにそれを見て、砂を噛むような想いだった。私は社会から切り離され、絶望していた。 今、仕事を辞め自分から社会との繋がりを切った。同じくパステルカラーの青空を見ている。無音の中で、たったひとりで。 でも、虚しくはない。 私は生まれ直している。社会人として生きてきた時代を終えて、新しく生まれようとしている。私に必要な言葉をとりこんで

          自分以外の何者にもならない。

          まとまらない自分でも肯定して生きていく。 社会人としてうまく機能しなくなった自分を責めて、厭になったんじゃないか。 かけがえのない私を、他でもない私がけなしていた。 苦しかった。 だから、辞めたんじゃないか。 しばらくひとりで日常に潜って自分を回復させると決めたんじゃないか。 ありのままの自分を見つめて生きていくんだ。 感じるままに考えるままに、そのことを記録するんだ。 もはや何者にもならないということを固く決心するんだ。 自分以外の者にはならない。 それが叶う生活を続ける。

          自分以外の何者にもならない。

          私というしごと

          職場は人を見てはいない。 社会的評価が高く給料も安定し、それなりに本人がやりがいを持っていたとしても、どこまでも代替えできる。 そして、職業人としてどれだけ自負を持っていても、強制的にその役目を降ろされ退職させられる。 なにを人生において優先するかを己で決めなければならない。 私は私の人生を仕事ありきにしない。 無職でも、なにをやっても私が自分の人生に納得できるかが最も重要だ。 私は社会人として生きるステージを卒業した。 自らの意志で幕を引いた。 これからは、何者にもならない

          私というしごと

          おとなの無邪気

          私は私の子ども以外の子供は苦手だ。 自分の子ですら、意思疎通ができない赤ちゃんの時期はノイローゼになっていた。 私が仕事を辞めるタイミングで、子どもも幼稚園を卒園して、一緒に春休みを過ごしている。 もちろん終日一緒だけど、もう平気だ。 ちゃんと意思疎通ができる。 だけど、自分の子以外の子どもとはできる限り接したくない。 家に招くなど到底したくない。 子どもは無邪気という武器で私をはっきりと執拗に責める。 私は、ひとりになりたくて仕事をやめた。 子守をするためじゃない。 私はた

          おとなの無邪気

          旅立ちの春

          人生が巻き戻せず、いつ終わるかも分からないのなら、今日だけを生きる気で生きる、という生き方しかないだろう。 このチケットは1日券かもしれない。1日券ですらないかもしれない。 それならば、できるだけたくさんの駅で降りて、たくさんの場所を見てみたいと思うだろう。 見飽きた場所を出てみたいと思うだろう。 結局、自分の意志で降りなかったとしても、終着駅は皆おなじだ。 留まっているからこそ見える景色もあるかもしれない。 でも、降りたいなと思うなら降りるべきだ。 この列車は死に向かってい

          旅立ちの春