記事一覧
げいじゅつへのぼうとく
やっぱり絵を見るなら美術館だな、と改めて思ったりする。今から書くのはすっごく偏っていて、簡単に反論の言葉が思いついてしまうような私の頭の中です。
やっぱり美術は一般化してはいけない。大衆に迎合してはいけない。環境には恵まれたのに本人がどうしようもないから普通の生活が送れない、又はどうしようもない環境の中歪められて普通ではいられなくなった人間がどうにか生み出す社会的な産物として、芸術、もとい美術は
風呂すら毎日入れないのに毎日努力なんてできるわけないだろ
音楽が苛む。いや、救われてるし「病んでる自分キモすぎる」と思わずに病みにつからせてくれるからとてもありがたいものだけど。
家のWi-Fiがこの間の落雷でやられてしまったので、大学の爆速Wi-Fiでこれを書いている。まだ新しい地下の大講堂。なお授業中。文学は対処療法でしかない、と誰かが発言した。その通りです。じゃあ死を希求する心を根本的にどうにかする治療はどこでどうやればいいんだ。メンクリでカウン
マルチクリエイターのなり損ない
好きなことを好きなだけできる環境に置かれた今、私の動力が野心や目標などの自分の内面にあるものから、外側にある人に変わってしまっている気がする。人に憧れすぎた。憧れはいつだって想像の中の自分で、歪み肥大した自己と言う一種のナルシシズムが私を動かす動力だったはずなのに。
根拠のない全能感が消えていく。それは本来喜ぶべきものだが、その全能感が失われた今、そして明確な憧れがない私にとって、失われた全