不在
薄暗いベンチに、不在。
何事にも目的を持って取り組みましょう、という謳い文句は幾度となく聞いてきたが、まさかそれが帰省にも適用されるとは思わなかった。
これがお盆休みに実家に帰ったひとまずの感想。
十八年間過ごしてきた実家にたかだか数ヶ月ぶりに帰っても、新しく得られるものはない。そんなことは分かっていたが、まさか安心感すら当然受け取れるものではないなんて、知っていたはずなのに忘れていた。
一人暮らしで寂しさを感じることはある。だけど、実家で感じていた孤独感よりは数倍マシだった。買い揃えた本は捨てられていた。あえて残しておいた参考書は近所の子供に受け渡されていた。新しく服を貰ったけれど、それよりも、有った物を残しておいて欲しかった。残しておいてくれと頼まなかった私が悪いけれど。
幼馴染と会った。田舎特有の大きなショッピングモールに行って、小学生の時と変わらずラウンドワンで遊んだ。
楽しかった。ずっと一緒にいたいとも思った。性が絡まない純粋な男女混合友達グループとしての体制は何も変わっていなくて、とても居心地が良かった。
だけど、確かに気づいていた。少しだけ噛み合わない楽しいと思う話題と、あなたたちの不在に。
高校で私は大きく変わってしまったと思う。変わったというか、気づいたというか。スピリチュアルなそれではなく、ただ、自分はああはなれないと、ようやく目を逸らし続けてきた事実と向き合ってしまったというか。
あんなもの、とある種見下してきたものが、幼い自分が所属していた関係性の人が当たり前に持っていたものだったのだと。そしてそれが、私がずっと渇望していたものだったと。それに愛という名前が付くのだと。それを知れたのは、あなたたちのおかげなのに、今故郷にあなたたちはいないのだと。
小中高と一番心が折れたのは高校で、一番うまくいかなかったのも高校で、暗黒時代も高校だけれど、一番居心地が良くて、一番私を構成していて、一番生きていてよかったと心から思えた瞬間が多かったのも高校だった。戻りたくはないけれど。
居心地が良かった理由は、人を跳ね除け続けたからこそ、本当に私に合った人しか最終的に残らなかったという最悪な訳だけれども、いざ地元に帰ったらそういう人はほとんど全員地元ではないどこかや少し離れたところで生活していて、私の故郷はここではないと暗に言われているようでつい笑ってしまった。
薄暗いベンチに、不在。
誰もいない裏道の公園に、不在。
格安の自動販売機の前に、不在。
駐輪場に、不在。
ピンク色の缶から漏れる炭酸、その音は変わらず夜に溶けるのに、たこ焼き屋の照明はネオンなのに、芝生はところどころはげているのに、オレンジ色の自転車は捨てられてしまっていて、AirPodsから流れる音楽はいつもカラオケで歌っていた曲で、でもその曲はその日遊んだ友達は知らない曲で、絶対に共感できない歌詞で。
不在。
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