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懲りない理由

小さい頃から片付けができない。
思えば幼稚園の頃からお道具箱の中はぐちゃぐちゃで、ベッドの上に散乱したぬいぐるみの隙間に体をねじ込んで眠るような幼少期だった。

そのせいでよく物を失くしている。スマホは何回失くしたかわからないし、未だに見つかっていないワイヤレスイヤホンは五個くらいある。財布は見失わない日がない。

しかし本当に良くないのはここからで、私は物をなくしても「まあいっか」で探すことを簡単に放棄してしまう。ボールペン、ピアス、コスメ、服、香水、イヤホン。値段なんて関係なく、自分が買ったものか相手からもらったものか関係なく、探す、という行為が嫌いすぎて、失くす<<<<探すくらい心理的ダメージに差がある。
探した先に「見つかる」というプラスの要素があっても、探すというマイナスを埋められるほどのプラスにはなりえない。

どうして片付けができないのかと考えるのは野暮だろう、親からの影響もまだ薄い幼児期ですら私は片付けができなかったから、きっとこれは持って生まれたハズレカード。
ただ、何かを探すことに強い嫌悪感があるのはおそらく後天的なものだ。

極度のマイペースだった私は、それを親に18年かけて矯正させられた。させられた、なんて書き方をしたけれどその教育に心から感謝している。あまりにも社会不適合な特性を、どうにか最低限の人間関係を構築できるくらいに直してくれたのだ、本当にありがたい。

ただ、いかんせん幼い頃の私は馬鹿で、その人が暗に言いたいことを読み取ることが苦手で、感情の因果関係を受け取ることが壊滅的に下手だった。
物を失くす=怒られる、の方程式が成り立てば良かったのだが、
物を探す=怒られる、の式が成り立ってしまった。
そう、カスのパブロフの犬。

物を失くす。失くしたことに気づく。探そうとする。怒られた記憶がある。怒られるくらいなら、失くしたことを隠した方がマシだ。探すことを諦める。物が無くなっていく。それを埋めるために物を買う。お金がなくなる。失くしていた物がふと見つかる。物が溢れかえる。部屋が散らかる。全部繋がっている。

私の浪費癖を治すにはまずここから治すべきなんだろうなあ、と漠然と思っているけれど、これを誰かに話そうとしても多分とっ散らかるのでこうやって書き残しておく。ADHDを疑ったことも疑われたこともあったが、いざ病院に行って「ただの怠惰です」と言われるのが怖すぎて行っていない。
病院に行って、たちまちに美術館や博物館が安くなってしまったら、この怠惰に名前がついたことに安心できるのかもしれない。

これがなんであれ、どうにか治したいとは思う。けれど懲りない備忘録。

よろしければお願いします、お返しできるだけの物を書き続けます