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マルチクリエイターのなり損ない

 好きなことを好きなだけできる環境に置かれた今、私の動力が野心や目標などの自分の内面にあるものから、外側にある人に変わってしまっている気がする。人に憧れすぎた。憧れはいつだって想像の中の自分で、歪み肥大した自己と言う一種のナルシシズムが私を動かす動力だったはずなのに。

 根拠のない全能感が消えていく。それは本来喜ぶべきものだが、その全能感が失われた今、そして明確な憧れがない私にとって、失われた全能感は大き過ぎるものだ。

 私って結局何が好きなの?演劇は好きだ、しかしお金がなくても無理に振り絞って見にいくかと言われたらそれはNO。音楽は好きだ、しかし地方という理由だけでコンサートを諦めてしまえる程度のものだし、自分からリサーチはしない。小説は好きだ、しかし他者の作品に批評を添えられるほどの知識はないし、積極性はない。絵を描くことは好きだ、しかし小さな頃ほんの少し否定されただけで美術科という選択を捨てられてしまうほどの意志でしかなかった。映画は好きだ、しかし自分から仲間を集めて作るくらいの熱量はない。

 何も持ってない。私は何も持っていない。持っている他者が羨ましい、才能ではなく、自分の好きなものを一つに絞れて、それを大切に持っている他者が心底羨ましい。

 己の性欲が疎ましいと思ったことはあるか。憧れは恋に似ている。恋愛はオブラートとクッションで包んでリボンで丁寧に飾り付けられた性欲だ。それが疎ましい。重い。手放したいが、どれだけ腕を振っても張り付いて離れない。

 美大(と言っていいのか)に進んだ真面目のなり損ない。

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