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父親も捨てたもんじゃない

父親も捨てたもんじゃない

意味:家では肩身の狭い父親でも、その存在は子供にとってなくてはならない絶対的な存在だということ。

対義:亭主元気で留守がいい

(例)いやぁ、ずっと父親みたいにはなりたくないと思って生きてきたけど、振り返って考えてみたら、めっちゃ親父のおかげだと思うことがあるよ。気がつけば、俺も親父みたいな大人になったなぁ。まさに「父親も捨てたもんじゃない」ってことだね。


今日は父の日と言うことで、世のお父さんの応援になるような創作ことわざを紹介していきたいと思います。

父親という存在は、やもすれば「臭い」だの「うざい」だの「おもんない」だの、肩身の狭い思いをしているお父さんは少なくないのではないでしょうか?
極め付けには、『ホンマでっか!?TV』にも出演している生物学の武田教授には

「男性は50歳を過ぎたら生物学的には必要ない。」

と言われる始末・・・。
男って何なんだろう・・・

以前、とある政治家が「女性は子供を産む機械」と発言し物議を醸しましたが、そういう言い方をするのであれば、「男性は金を稼ぐだけの種」と言えるのかもしれません(笑)

そんな、肩身が狭くて生物学的には必要とされなくなってしまう男性・父親に朗報なのが、今回の創作ことわざです!ぜひ、最後には涙していただければと思います(笑)

亭主関白も後に失脚

以前の日本は、亭主関白が当たり前で、父親は家長であり大黒柱として、一家に君臨していました。ご飯を食べる時も、父親が箸をつけるまで食べてはならないという時代も今は昔。
父親の序列はペット以下となり、ご飯もお風呂も最後。洗濯物は別に洗ってもらえるだけマシ。中にはパンツは自分で洗う、という方もいるのではないでしょうか?

「亭主関白」と言えば、『関白宣言』という曲をさだまさしさんが歌い、当時の世相を表していたように思いますが、『関白宣言』をしたさだまさしさんでさえも、その約20年後、『関白失脚』を歌い、父親の肩身の狭さや家族内での序列の低さを物語っています。しかし、私はこの歌を歌い切ることはできません。最後には必ず号泣してしまうからです。

意外と『関白失脚』は知られてはいないのですが、『関白宣言』をマイナー調にして、侘しさを強調して『関白宣言』をパロディにした曲のように感じ、最初は笑えてしまうのですが、最後には、父親の愛を歌った感動が待っているのです。世の男性、父親は、きっと泣かない人はいないんじゃないかと思う程です。
せっかくなので、Youtubeの動画を貼っときます。

いかがでしょうか?世の男性方は泣かれたのではないでしょうか。

家庭の中で、唯一相手にしてくれるのが犬だけだったり、下手したら犬よりも序列が下になってしまう人もいます。家にいれば煙たがられ、「臭い」「邪魔」と罵られる。「亭主元気で留守がいい」と言われ、家庭内序列最底辺だとしても、それでも、通勤電車に揺られ体を張って、頭を下げて、身も心もすり減らしても、家族の笑顔を守る為に仕事場という名の戦場に行くのです。それは、父親として当たり前のことだと言われているとしても、当たり前のことではありません。その苦労や苦しみを、一番わかってほしい家族にはわかってもらえないかもしれませんが、その父親がいなければ、家族の笑顔は守られないかもしれません。父親が家にいても笑顔になれないかもしれませんが・・・。

まぁ、肩身を狭くさせてしまうのは、寒いことを言う父親に原因もなくはないと思います(笑)。それに、女性の社会進出によって、お金を稼ぐ父親の役割が薄れていることもあるのかもしれません。男が頼りなくなっているところもあるのかもしれません。それでも私は、父親という存在は男にしかできず、お腹を痛めていないからこそ、父親のすることに価値があるんだと思います。

たとえ不遇の扱いを受けても、家族のために働く世の父親を、私は尊敬するし、その価値をしっかりと認めたいと思います。

父親と子供の独特な関係

子供は、ある時期になると父親を憎み、男の子の場合、母親の愛を自分のものにしようとする時期があり、それを「エディプス・コンプレックス」と言うそうですが、父親は父親で、自分がお腹を痛めたわけではないので、「この子は本当に自分の子なのか?」と疑ってしまうそうです。だからこそ、子供も父親を憎むのかもしれません。

これは、仕方のないことなのかもしれません。ですが、だからこそ、父親が子供を愛することには価値があると思うのです。親が子供を愛するのは当然なのかもしれませんが、最近は、虐待で子供を死なせるなど、悲痛な事件もあったり、事故に巻き込まれ亡くなる子供もいます。今の時代、子供を愛する、親を愛することは当たり前のこととは言えません。しかし、子供は、親に愛され育てられなければ生きてはいけません。生存戦略として、「親に従う」という以外に、生きる方法はないのです。だから、どんな親でも愛されようとするし、虐待されても耐え抜く子もいます。

親に負けないように大きくなって力を身につけたら、親に反抗したり、仕返しをする人もいるでしょう。川崎で起きた通り魔刺傷事件も、そういった面があります。厳しい話かもしれませんが、親子関係は、自分の人生に根強く残る問題です。しっかりと向き合わなければ、無意識に親に支配された生き方になってしまうでしょう。本当の自分、本当の人生を生きたいのであれば、どこかで親と向き合うことが必要だと思います。そういった父親との関係性を、スターウォーズを例題に取り上げていきたいと思います。

物語で描かれる父と子の関係は「神話」になる

スターウォーズ、HUNTER×HUNTER、ナルト、ワンピース、などなど、父と子を描いた人気作品はたくさんあります。
そういった人気作に共通する要素が、父と息子の関係性を描いているということです。

私が愛読しているnoteユーザー喜多漠路さんの『ヒョーイザムライ』という作品も、父と息子の関係を描いているのですが、「歴史SF」というような作品で、所々に挟まれるユーモアの塊が、読んでいて面白いくてテンポよく読むことができます。面白いだけでなく、父と子の本質を描いていたり、社会の問題にも切り込んでいたりして、読み応えのある作品なので、ぜひチェックしてみてください!

『スターウォーズ』を例にしますが、『スターウォーズ』の主人公は、ダース・ベイダーである、アナキン・スカイウォーカーです(ジョージ=ルーカス監修の1〜6まで)。エピソード1〜3では、少年アナキンが「フォースにバランスをもたらす者」という予言の子として、フォースの導きにより、ジェダイの騎士になるのですが、母親を殺されたことで、怒りによって闇落ちしてしまい、師匠のオビ・ワン・ケノービによって倒され、マグマの海に沈められるのですが、シスに助けられて、生命維持装置を付けられ、エピソード4からは悪の権化と言われるダース・ベイダーとして、帝国を築き、ジェダイを殺していきます。そしてジェダイの希望として現れたのが、ダース・ベイダーの息子であるルーク・スカイウォーカーです。ルークは帝国の支配を打ち破る為に、父とは知らぬダース・ベイダーと戦いますが、圧倒的に敗れます。ルークは、ダース・ベイダーが父親だと知り、絶望しますが、その後修行を積み、再びダース・ベイダーに挑みます。それでも勝てず、ダース・シディアスというラスボスに殺されそうになった時、戦いの最中、父親としての感情が生まれてきたダース・ベイダーは、自らを犠牲にして、攻撃されて苦しむルークを守り、ダース・シディアスを葬ります。そして、亡くなる間際の僅かな時間、父親としてルークに看取られ、亡くなりフォースの一部となりました。
アナキンは予言の子として、ダース・ベイダーになることで、フォースにバランスをもたらす役割を全うしました。最後には、帝国を倒した宴を、亡くなりフォースの一部になったヨーダ、オビ=ワンと共に、アナキンはルークを見守っていました。

なぜ『スターウォーズ』が世界的に支持され、完結したはずの物語に続編が出たのか。それは、父と子の神話を描いた作品だからです。面白い作品には「神話の法則」というものがあるのですが、スターウォーズも「神話の法則」を元に描かれています。そして、宇宙規模の物語ではありますが、本質としては、一人の父親と一人の息子の物語です。ルークにとって、ダース・ベイダーは最悪の毒親と言えるでしょう。親が悪の権化で、闇の帝王だったら、最悪じゃないですか?生まれながらにして業を背負っています。

父のダース・ベイダーも、子のルークも、それぞれが自分と親と向き合います。ルークは自分が呪われた血だと思えてしまうのも当然だと思いますが、父がダース・ベイダーであることは変えられるものではありません。それを受け入れて向き合ったからこそ、ダース・ベイダーと戦いながら、ダース・ベイダーも父として自分を取り戻すことおができたのです。その結果、宇宙を救うことになりました。

神話を生み出す父と子の関係性

父親という存在は、正面を向けば壁となり、背中を向ければ背負ってくれるようなものと言えるかもしれません。息子にとっては超える壁であり、試練を与える存在にもなれば、子供を背負い、手を差し伸べたり背中を押したりする存在にもなります。
良くも悪くも、父親という存在は、子供に対して人生を決定づけるような何かを残すものです。それを見過ごすこともできるし、気付かないままでいることもできます。気付いても向き合わずに蓋をすることもできます。
向き合うことは、身を削るようなものです。ルークが父親がダース・ベイダーであり、父を倒すことが自分の使命だということを受け入れて向き合うことに比べたら、大抵のことは大したことはないですよね(笑)まぁ、大変さは人それぞれではありますが、現実を受け入れ向き合うことで、宇宙に平和をもたらすようなことを巻き起こし、稀代のジェダイだったアナキンが、闇落ちし、再び父として、フォースにバランスをもたらすというカタルシスが起こるのです。

父親という存在なくして、スターウォーズの世界に、平和は訪れませんでした。父親という存在には、それだけの価値があると思うのです。言い過ぎかもしれませんが、少なくとも、どんな父親であっても、子供にとっては人生を左右するような存在です。決して尊敬できないようなクソな毒親であっても、それを力に変えるのは全ては自分次第です。ただ、父親の存在なくしては、生まれるものも生まれません。

父親という存在とはこのように、神話を生み出すような存在だと言えます。家では肩身が狭く、最底辺序列だとしても、「父親は捨てたもんじゃない」と、そう声を大にして言いたいです。世の父親の方々は、ぜひ胸を張って生きていって欲しいなと思います。そして、ご家族の皆さん、そんな頑張るお父さんを、今日くらい労ってあげてくださいね!

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