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『わたし、定時で帰ります。』最終回・後編 本当の働き方改革とは?

『わたし、定時で帰ります。』最終回の後編は、最終回で描かれたポイントを取り上げていきます。
前編はこちらからご覧ください。

ブラック上司・福永の言い分

この作品の見どころの一つとして、ブラック上司の問題がありましたが、物語の順として、部長の福永について最終回で一つの答えが出たので取り上げていきます。

サイコパスなブラック上司の福永にも、そうなる理由がありました。自分に自信がなく、自分自身で精一杯。その上、色んな人にも裏切られてきた。それでも生きていく為には、嫌でも働かなきゃいけない。だから、仕事がなければ生きていけない、と言うものでした。

この気持ちは、個人事業主をしている私にとっては、痛いほどわかります。

「仕事があるだけよっぽどマシじゃない??」

この言葉は、個人事業主の私にとっては痛いほどわかります。前提として、仕事があることはありがたいとは思います。仕事があるのは当たり前では無いですから。

仕事を始めて実績や自信がない時は、安くしてでも仕事が欲しいと思うものですが、仕事は、正当な価値、評価が必要だと思います。それを決めるのは難しいから、「時給」というものがあるんだと思うのですが、安請け合いしてしまっても、自分の価値を下げてしまうと言えるかもしれません。今ならそう思います。

飲食店の店長時代、「どんなキャンペーンをするか?」というテーマで会議をした時に、社長は「値下げだけはダメだ」と言っていました。値下げしたものを買うと、値段が戻った時や、値上がりした時に高く感じてしまうからです。そうなると、いずれ客離れしてしまう。だから、値下げを前提としたサービスはするなと。

安売り・安請け合いをしない

確かに、値上がりをすれば購買意欲は下がります。逆に、安すぎても、商品に対して不安も覚えます。「タダより高いものはない」なんて言いますが、商品には「適正価格」というものがあります。高くても安くても、著しく適正価格からずれると、どちらにしても売れなくなります。

この価格で売れるという実績ができれば、多少は強気になれるかもしれませんが、物事を始める時や実績がないと、どうしても安くしてしまいがちですよね。それは未だに私も悩んだりすることはあります。新たな事業を始めようとすると、価格設定やサービス内容も悩みますし、適正価格はわかりません。極論、適正価格は自分が決めるものではないのでしょうが、やってみないとわからないことはありますよね。私も教えて欲しいくらいです(笑)

何の為に仕事をするかということにつながることではあると思いますが、安く設定して、無理して仕事をして体を壊しても、余計にお金がかかるし、元も子もありません。高くし過ぎても売れないのも意味はないですが、仕事をする以上、利益を出さなければ、働く意味はあまりありません。必要以上に安くしてもいけないし、足元を見られて安請け合いしても、いいことはありません。修行なら別ですが、仕事をして、誰かの役に立って報酬を頂く。だからこそ、実りある生活にもなるのではないでしょうか?


仕事に命を賭けるべきか?

「定時で帰る女」と呼ばれた東山結衣ですが、過酷なプロジェクトを乗り切る為、チームの皆の頑張りに応える為にも、残業をし、納期前は終電で帰る日々でした。そういう働き方をしない為に入った会社ですが、ついには最後、倒れてしまいました。東山なりの理由があったわけですが、仕事をして倒れて死んでは元も子もありません。まさに、気がつけば、主従の関係 入れ替わるという、川柳のような創作ことわざだと思います。

「仕事に命を賭ける」というテーマもあったかとは思いますが、命を賭けるほどのものがあるのは、人生においては良いことではないでしょうか。それが、人によっては、家庭であったり、子供だったり、仕事だったり、趣味だったり。趣味に命を賭ける人はいないでしょうが(笑)、まぁ命の危険が伴う趣味であれば、趣味で命を落とすこともあり得ますが・・・。

「死」を意識するから、「生きる」ことができると言います。「命を賭ける」とは、命を無駄にするのではなく、「命を失わないために生きる」というのが本当の意味だと思います。

最終回でも、仕事ができるから皆に頼られて必要とされる。その結果、ワーカホリックになって倒れるようなことになっても、本人がそれでいいならそれでいいともいます。ただ、誰かに必要とされて自分は倒れるのが、本当に幸せなことだとは思えません。仕事で必要とされること以上に、幸せなものを見つけられていないだけだと思います。幸せなものとは「愛」だ、なんてことを言うつもりはありませんが、ワーカホリックな仕事人間の種田も、愛する人への思いには敵いませんでした。東山の父親も、時代とはいえ、会社の為に生きましたが、それが家族の為、幸せの為だと思っていたからこそだと思います。

時代と共に、働き方や、働く意識は変わっていきます。これからの時代、AIが発達し、ただでさえ自分たちの代わりはたくさんいるのに、それ以上に必要とされなくなっていくかもしれません。その時自分はどうするのか。その時になって考えるのではなく、そういう未来を見越して、手を打っておくことも必要なのかもしれません。


何の為に仕事をするかの「答え」

答えなんてありません。むしろない方がいいんです。もし答えがあるのなら、その答えを持てないなら、苦しみしかありません。結衣の父親のように、高度経済成長時に「会社に身を捧げる」という一つの答えがあり、それで成り立つなら考えないで済むから楽かもしれませんが、今の時代にはそれは適しません。今最適な答えがあったとしても、また10年後20年後には、合わなくなると思います。

つまり、大事なのは「考え続けること」ではないでしょうか?答えが決まっていて、考えないでいられることは、楽なことではありますが、それは流されるだけで、ブラック上司だった福永にいいように使われるのと同じです。「仕事が好きだから」ということは悪いことでは全然ないですが、都合よく利用されてしまえば、身も心も壊します。結衣は、美味しいものを食べ、健康で入られて、大切な人との時間を大切に過ごす。その為に定時で帰るという、信念があります。

定時で帰りたいなら、「理由と信念」を持つことです。

ドラマの最後の方でも、「定時で仕事を終わらせて利益を出す方が、よっぽど難しい」と述べられていますが、仕事を「時給」換算していたら、サボったモン勝ちです。それでは生産性は上がる訳がありません。かといって、完全裁量性にしても問題はあるでしょう。時間と裁量のバランスを考えて、最も生産性が上がる働き方を構築すべきだし、まずは自分自身がどういうバランスが一番生産性が上がるか、それをつかむ必要があると思います。

何の為に仕事をするのか。

誰かに答えを求めるのではなく、自分自身の中で、答えを見つけるべきではないでしょうか。出した答えは変わってもいい。その時々で、何らかの目的や生き甲斐を持って働くことが、より良い働き方ができるのかもしれません。それが見つからないなら、お金の為でも、仕事終わりのビールの為でもいい。ただ、いいように使われて働いたり、自分を犠牲にして働き続けるのは、本人がそれでいいとしても、オススメはできませんね。

話題を呼んだ『わたし、定時で帰ります。』でしたが、色んな立場の働き方を描いた、働き方を考えるきっかけになるドラマだったのではないでしょうか?
私自身も、今まで色々考えたり、転職もしてきて今に至りますが、今でも働き方は考えます。自分にとっては、現状は自分が望んだ在り方で働けているとは思いますが、もっとこう在りたいという思いもあります。そうなるには、何かを犠牲にして頑張ることも必要だと思うので、そこは頑張りたいと思います。でも、その目的や理由、答えがなく、自分を犠牲にして働いても、苦しいだけなので、どんな風に働くかということが「働き方改革」なのではなく、どういった理由目的信念を持つかということが、「働き方改革」なのではないでしょうか。

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