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「私説・太宰治 作品と生涯」

 太宰治の作品は、永遠の青春像といっていいのだろうか。
 誰でもが成長期に一度は、太宰治の作品に夢中になり、この作品は、わたしのために書かれたのではないかしら、と思う。
 太宰の書き方で巧みなのは、一人称告白体ですぐに読者を引き込む点だ。
 太宰治の人生は波乱に富んでいる。彼の人生が、すなわち、小説であり作品であるとさえ言える。
 作品を読んだとき、読者は、これは自叙伝的な小説なのであろうか、虚構なのであろうか、と迷うであろう。どこからどこまでが、事実であり、どこが作り話であるのか、分からないように巧みに書いてある。
 それが、太宰治の魅力だ。
 太宰は、山崎富栄と最後の心中に成功し、この世を去った。
 残された遺書には、作品が書けなくなった、と書いてあったか本当であろうか。
 太宰治の小説は、ベストセラーになり、多額の印税が振り込まれた。それと同時に税金は相当高かったらしい。太宰は、税金を支払わず滞納した。晩年、毎晩、狂乱のごとく宴を開き多くの人たちを招待した。全く無関係な人たちでさえ、お酒をご馳走になることができたという。
 入ったお金は、浪費された。
 それで税金を支払うことができず、何回も税務署から督促状をもらっていた。
 まず、自殺の原因は、税金滞納による金銭問題が一つ。
 次に挙げられるのが、女性問題だ。山崎富栄はすごく嫉妬深い女性だったという。愛人、太田静子との間に子供が誕生する。太宰は、認知した。その他にもちろん、本妻がいる。さらに、朝日新聞の連載小説を書くときに、新たな女性を見つけ、密かに心寄せ恋していたらしい。
 複雑化した女性問題がある。
 最後に、本人が遺書に書いた書けなくなっただが、当時、流行作家として新聞に連載小説を書いていたのだから、これは怪しい。

 一番大きな自殺の原因は、税金滞納による金銭問題だと思う。
 太宰は、金銭感覚がなかった。裕福な家に生まれ育ったせいであろう。

 

太宰治


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