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嵯峨野の月

146
嵯峨天皇と空海が作った「日本」の物語。 昔、日の本のひとは様々な厄災を怨霊による祟りと恐れ、怯え暮らしていた。 新都平安京に真の平安をもたらす二つの日輪、嵯峨天皇と空海の人生を軸…
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嵯峨野の月#117 朔日の色

嵯峨野の月#117 朔日の色

第6章 嵯峨野1朔日の色

その皇子は
自ら皇族に生まれる事も
長じて親王として遇される事も望んではおらず兄帝に臣籍降下を願い出たけれども

「式家出身の夫人、藤原旅子を母に持つお前を皇族から外すわけにはいかない」

とかなり厳しめに断られ、臣下というただ人になって自由になるという唯一の途も断たれた。

ならばいち親王として静かに暮らしていればいいさ。
と思って与えられた務めをこなして過ごしていた

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嵯峨野の月#146 最終話 平安時代

嵯峨野の月#146 最終話 平安時代

最終章 檀林10平安時代

嘉祥三年(850)夏のお昼前のことである。

宮中に参内する為に馬を進めていた参議、小野篁は朱雀大路の上でふと辺りを見回し、地方からやってきた旅人、物資を運ぶ荷車、頭に籠を乗せて客を呼び込む行商人の様子を見ながら…

この都もやっと名前の通り本当の平安京になりつつある。

としばし感慨に浸った。

だがここにいる名も知れない民が明日明後日の不安もなく真の平安を得る為には

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嵯峨野の月#145 桜

嵯峨野の月#145 桜

最終章 檀林9桜

あれは花冷えの夜、幼い正良親王が喘息の発作で命の危機に陥った時だった。

「正良!」
「正良さま!」

と我を忘れて取り乱す父嵯峨帝と母嘉智子を押し除けて空海が正良の上半身を起こし、胸に脇息を押し付けた。

「これで息が楽になる筈です。眠れないのはお辛いでしょうが脇息にもたれたまま朝まで持ちこたえてくださいませ!
それと周りに火鉢と水の入った鍋をありったけ用意して湯気を立てまく

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嵯峨野の月#144 襲撃

嵯峨野の月#144 襲撃

最終章 檀林8襲撃

五日前、都の五条のとある貴族家の主が地方任官から帰って来た。
彼は任地より沢山の特産物を持ち帰り、明日にはその殆どを朝廷に献上することになっていた。

だとすると、あの家に押し入って奪うのは今夜しかない。

と真夜中、息を潜めてその貴族の邸を狙う賊ども計十五人。

「米、干し肉、干し魚、中には干し鮑なんて俺たちが一生口に出来ない品々が保管されているそうだ」

「俺は布と衣を狙

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嵯峨野の月#143 参議篁

嵯峨野の月#143 参議篁

最終章 檀林7
参議篁

ああ、物憂いこと。

承和十四年春、
藤原良房の一人娘でこの年十八才の明子は父が実家から贈って下さった二十数本の桜の枝を壺に生けさせ、部屋の四方に飾らせて眺めて見ても…

桜というのはこんなにも色が薄くてつまらない花だったかしら?

と思うとたとえ春宮妃として遇せられていても滅多にお渡りにならない夫を待つだけの退屈な日々。

所詮私の人生なんて実家という籠から後宮という籠

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嵯峨野の月#142 橋を架ける

嵯峨野の月#142 橋を架ける

最終章 檀林6橋を架ける

古より人の暮らしに恵みを与えてくださる自然そのもの御神体として崇めて来たこの国に、

言が事になる。

つまり発した言葉が現象として起こるという言霊信仰が生まれ、それは神道として発展し天皇家が祀りごとを行う礎となりました。

しかし、言葉は神聖なものである。と慎重に取り扱っていても所詮は人間。

己が邪心や欲から言葉を呪うための道具として扱い豪族同士の争いや皇族同士の軋

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嵯峨野の月#141 椙山にて

嵯峨野の月#141 椙山にて

最終章 檀林5椙山にて

それは承和十年の夏の終わり。

都の郊外にある山荘の一室でゆっくりと筆を動かし、詩の一篇を唐紙に書きつけた貴婦人が

これでいいわね。

と何かを決したようにうなずいた直後、御簾をめくり上げるほどの突風が室内になだれ込んだ。彼女はそれを合図に文机から立ち上がり、青々と草木が茂る外へ降り立った。

全く、残暑でうだる洛中とは違ってここは涼しい場所だなあ…

とこの日は嵯峨離

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嵯峨野の月#140 昔、男ありけり

嵯峨野の月#140 昔、男ありけり

最終章 檀林4昔、男ありけり

いま私が見ているのは、天女なのか?

と業平を錯覚させたほど、その女人は美しかった。

笹垣に囲まれた民家の縁側に腰掛け、休憩している旅装の女の抜けるような白い肌に金褐色の髪。

そしてふと午後の秋空を見上げる彼女の、晴れた空のような明るい青色の瞳に業平はたちまち心掴まれた。

よく見ると白髪混じりで目尻と口元に皺が寄ったおそらく四十越えの年増だが…そこがいい。

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嵯峨野の月#139 反骨の種子

嵯峨野の月#139 反骨の種子

最終章 檀林3反骨の種子

「お前はそこで私の最後を見届けろ。助けようとしたら朝廷を敵に回すぞ」

と逸勢にきつく戒められ、天井下で起こった暗殺の惨事を見せつけられても何一つ手出しできない自分が不甲斐なかった。

遺体発見で騒いでいる隙に彼は内裏から抜け出し、夜の闇に溶け込みながら拠点にしている建物の自室に戻ると己が手で口元を覆い、

逸勢さま。何故無実の罪で貴方が死ななければならないのですか!?

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嵯峨野の月#138 繭

嵯峨野の月#138 繭

最終章 檀林2繭

後に

承和の変

と呼ばれる嵯峨上皇葬儀の直後から始まったこの政変はまず朝廷が六衛府に命じて京のあちこちに武官が配置され、厳戒態勢となった平安京で人々は、

嫌だねえ、上皇さまがお隠れになってすぐ争いが起こるだなんて。

またタタリが起きなきゃいいんだけど…

と陰で囁きあい、買い物の為の外出しか許されない状況下、息の詰まるような思いで暮らした。

「私が太后さまに密書を送っ

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嵯峨野の月#137 絶筆

嵯峨野の月#137 絶筆

最終章、檀林1絶筆

その日のことを思い返せば

何かが起こるような不自然な空気があちこちに感じられたのだ。

明け方

市中の見回りを終えた検非違使の武官、賀茂志留辺は詰所に戻り報告を終えると「ご苦労、記録は代わりにやっておくから帰って休め」と先輩の武官に言われ、寄宿している阿保親王邸に戻ると今起きたばかりといった体で半裸に単衣を巻きつけた業平と廊下で出くわした。

「お前がこんなに早く帰ってく

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嵯峨野の月#136 草木の如く

嵯峨野の月#136 草木の如く

第六章 嵯峨野19

草木の如くそれは神野が元の諱の賀美能であった幼き頃より父桓武帝から

「いいか賀美能、ゆくゆくは天皇となってこの国を治め、民を支える柱となるのだぞ」と

自分が生まれてきた意味。

を繰り返し聞かされ、即位してからは努めてそのようにふるまってきたつもりなのだが、

即位早々兄上皇との諍いが元で兄の側近仲成と薬子を死に追いやり、
経費不足で新都平安京の造営も東国進出もままならず

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嵯峨野の月#135 観月

嵯峨野の月#135 観月


第六章 嵯峨野18観月

平安初期の日ノ本は、誰の子に生まれたかでその後の人生が大体決まってしまう厳然とした階級社会であった。

貴と賎。富と貧。

そして勝ち組と負け組。

という対極する二種類で人間は分けられていてそれを仕方のないことだ。と疑問を持つことも憤る事も無く民たちは今いる環境の中で死ぬまでの期間を生きたこの世情で、

かつての政変の負け組として処刑された南家の藤原巨勢麻呂の孫に生ま

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嵯峨野の月#134 胡蝶

嵯峨野の月#134 胡蝶

第六章 嵯峨野17胡蝶

淳和院は平安京の右京四条二坊(現在の京都府京都市右京区)にあった淳和天皇の離宮であり、

退位後、皇族としての義務を果たした淳和後上皇は正妻の正子内親王と共に気楽な隠居生活を送っていた。

が、七年後の正月行事が終わる頃から後上皇は風邪をこじらせ寝込んでしまい、正子の看病のもと病床で過ごすふた月間、

五十を過ぎた自分の人生もこれまで。

と思い親王時代からの従者である藤

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