嵯峨野の月#143 参議篁
最終章 檀林7
参議篁
ああ、物憂いこと。
承和十四年春、
藤原良房の一人娘でこの年十八才の明子は父が実家から贈って下さった二十数本の桜の枝を壺に生けさせ、部屋の四方に飾らせて眺めて見ても…
桜というのはこんなにも色が薄くてつまらない花だったかしら?
と思うとたとえ春宮妃として遇せられていても滅多にお渡りにならない夫を待つだけの退屈な日々。
所詮私の人生なんて実家という籠から後宮という籠に移されただけの世継ぎを産むことを押し付けられた雌鶏なのだ。
豪奢な調度品に囲まれた部屋にはらはらと舞い落ちる桜の花びらの下で明子はもう本当に人生にうんざりした。とでもいうような
はあーっ…
と大仰なため息をついた。
これにはその場にいた女房たち皆凍りつき、すぐに文で良房に報告すると空海の実弟で病回復の祈祷に長けた東大寺別当、真雅阿闍梨をわざわざ奈良から呼び寄せ明子の診察をさせた。
「僭越ながらお妃さまは気鬱の病を患っておいでです。
やはりこれは春宮さまのお渡りが少ない事に原因があるかと…
望みとあらばすぐに加持祈祷に取り掛かれますが」
と真雅の診断結果を受けた良房は、
「まずは春宮さまに我が娘に会っていただけるよう私の方から働きかけ、病に対して加持祈祷もお願い致す」
と正式な依頼をして真雅を帰させると部屋でひとり沈思し、
「やはり邪魔なものは全て排除してしまわなければ、な」
と日頃疎ましく思っていた相手に対して非情な決断を下した。
その頃、良房の甥であり五年前の政変によって次の天皇になる事が確定した皇太子、道康親王は侍女の紀静子と彼女が生んだ二才の惟喬親王と共に憩いのひと時を過ごしていた。
この紀静子、刑部卿を務める紀名虎の娘で姉の種子も仁明帝の更衣として後宮に仕えていて静子本人も控えめで慎ましい人柄のため道康親王が最も心許し愛している女人である。
その証として静子は既に第二子(後の惟枝親王)を身ごもっており都の冬の厳しさもすっかり和らぎ、御簾を上げて妻子と共に春の日差しを浴びる道康親王この年二十才。
父仁明帝によく似た色白で涼しげな顔つきをした美男子なのだが幼少の頃から体が弱く次代の天皇の役目、自分に務まる自信も無いのに父帝と伯父の良房が結託し、従兄弟の恒貞親王を廃太子にまで追い込んでしまったため半ば強引に立太子させられた背景を持つ皇子であった。
良房は自分の一人娘の明子を入内させ「桜の花のように美しい娘に会えば気も晴れましょう」と言うが…
要は早く明子に皇子を生ませ、外戚である藤原北家の地位を磐石にさせてくれ。と催促されているのだ。
「皇統を安定させるため、天皇家の存続の為ですよ」
と良房は言うが、お前の本音は「早く娘に子種を授け、我を天皇の外祖父にするため」であろう?
ああもう権門の貴族同士が争い、或いは裏で結託し平気で天皇家を利用する政なんてもううんざりだ。
私はただこうやって愛する静子と惟喬と静かに暮らしていたいだけなのに…
と思って惟喬を膝に抱いてふくふくとした頬を撫ででいると背後からつ、と道康に耳打ちする者が居た。
「これから中納言どのが東宮にお渡りになります、お会いになるのが嫌なら風邪の病が障るからと追い返す事も出来ますが」
「ならば遠慮なくそうしよう。お前は相変わらず知恵が回るな」
と愉快そうに道康が振り返った先に最も信頼する腹心、小野篁の頼もしい笑顔があった。
そう、この篁こそ良房が最も排除したい相手なのである。
五年前、仁明帝の勅により道康の家庭教師である東宮学士に任ぜられた篁はそれまで堂々と政道批判していた過去なと忘れたかのように日々粛々と務め上げ蔵人頭、左中弁と経歴を重ねて今年、とうとう参議に任ぜられて公卿に列した。
小野氏は推古朝の頃には遣隋使の小野妹子を先祖に持ち、天武朝の頃に八色の姓の一族として代々朝臣を務める名族だが参議にまで出世したのは篁が初めてだった。
かつて嵯峨上皇が遣唐使乗船拒否の咎で彼を流罪にした時書類の不備が多くなり、
「やはり篁がいないと政務が回らない」と呼び戻された程の優秀な臣を良房が疎ましく思う訳、
それは前述の通り甥で娘婿の道康親王に面会を求めてもいちいち間に入り、何かと理由を付けて会わせてくれないからである!
(本当は道康親王自身が良房を避けているのだが)
よりによって春宮さまは藤原北家の後見である私よりも篁を重用するなんて…
朝議で顔を合わせる度、彼の作成した書類に目を通す度に沸々とした感情が肚の底から沸いてくるものの正体は解りやすく言えば嫉妬であり、既に次代の天皇の舅である自分とっては
無視すべき取るに足らぬ感情だと自分で解ってはいる。
だが、彼なりの感情の処理の仕方が問題だった。
なあに、五年前の政変で恒貞親王寄りの貴族を追放したように、また難癖を付けて目の前から消えてくれればいいだけ。今さら小野氏なんて大した一族ではないだろう。
良房は自邸の庭園の、見事に咲き誇る桜の下でひとり肩を揺すって笑った。
数日後、朝議とこの日の事務を終えて帰ろうする篁を「…ちょっと、兄上から話があるそうだ」と袖を引いて止めたのは左近衛中将で友人でもある藤原良相。
彼自身そうする事も不承不承というのがその表情から読み取れる。
不審に思いながらも呼び出された一室には奥と左右に文机が置かれ、奥の席には大納言、藤原良房。向かって左側の席には中納言、源信が既に席に着いていて右の席に良相が座った。
囲まれる形で促されて床座した篁は一体何が始まるのか?と怪訝に思いながら相手の発言を待った。
「参議、小野篁よ。そのほう八年前に嵯峨上皇の御前で罵詈雑言を尽くし政道批判をする謡と詩文を世間に流布し、人心を惑わせた罪を犯した。これは朝臣にしておくにはあまりにも危険思想の輩で都追放に値する罪だと思うが相違ないか?」
とさっきまで挙措端正だった良房が急に慇懃無礼な口調と態度で詰問してきたのだ。
不意打ちで急拵えの詮議の場に連れられ、
もう処罰を受けて済んだ事だ、と思っていた過去の行いで糾弾されている自分と小野の家の最大の危機なのだが、
この時の篁の心は妙に醒めていた。
かつては完璧主義と言われた良房どのをここまで浅はかな男に変えてしまう権勢欲とはいったいなんなのだろう。
目の前で自分を陥れようとする権門の貴族に対して篁の胸中に去来したものは、
春宮さまの外戚になったくらいで有頂天になり周りの者を全て自分の駒と思って扱う権力者に対する失望だった。
首を垂れて長いこと沈黙していた篁は怯えるでもなくゆっくりと顔を上げ、
「確かに私は遣唐副使の職務放棄の咎で上皇さまの詮議は受けましたが…
政道批判の謡とは一体なんの事です?
それに遣唐使渡航困難の現実を上皇さまには述べましたが罵詈雑言を並べるなんてとてもとても畏れ多い、
ご質問に関しては身に覚えのないことです」
とやった事をやってもいないと堂々としらばっくれたのだ。
この時良房は文机の上で拳を震わせ、一瞬にして猛禽の眼になった。
「お前の野放図な過去は我も見知っておるぞ。何を今さら白々しい」
白々しいと呆れているのは私の方ですよ。と言いたくなるのを堪えて篁が
「しからば問題の謡と詩文が記録に残っているのですか?」
と問うたところで良房はしまった…と思った。
今この詮議の場で問題とされている西道謡と七言十韻の漢詩、謫行吟の記録は全て嵯峨上皇の命で処分され、一字たりとも存在していなかった。
あの時、嵯峨上皇が「体の弱い帝に代わって私が行う」と篁の詮議を御自ら行い、命をかけた篁の主張を全て受け止め、記録を全て抹消したのは、
篁と小野の家を守るため上皇さまご自身も証拠隠滅に加担なさったからなのだ!
被っている帽子が濡れる位脂汗をかいた良房は、「…ない」と答えきりぐうの音も出なかった。
「用事はお済みですか?ならば私はこれで退出したいのですが」
と言って立ち上がって自分を見下ろす篁の顔はしたたかさを越えて冷酷に見える程恐ろしいものに見えた。
(藤家の倅、あまり調子に乗りすぎるなよ。
お前は大臣の位と引き換えに娘を差し出し続け皇家の血を絶やさぬよう今上帝と密約しただけの繋ぎの存在に過ぎないのだ。
宿り木の藤が宿主である桐(皇家)を枯死させぬよう我は見張っているぞ…)
という声が篁の眼差しを通して心に響き、何もかも見透かされている恐ろしさで
「よい、下がれ」と絞るように声を発することしかできなかった。
篁が去った後「今回はしてやられましたな、大納言どの」と冷笑を浮かべながら源信が立ち去り、最後に弟の良相が
「ご自分があの篁に勝てると思っていたのですか?今後公卿に対して出過ぎた真似は控えた方がよろしいかと」
と最近の兄の傍若無人なふるまいに釘を刺して部屋を出て行った。
篁の背後に見えたもの凄く背の高い影に上から押さえつけられる感覚。一体なんだったのだ?あれは。
篁が座っていた床を良房はぼんやり眺め続けた…
良房が目論んだ篁失脚と小野氏の危機を難なくやり過ごした篁が帰宅すると
「おかえりなさいませ、殿」
と長年連れ添った妻、藤原睦子がいつもようににこやかに出迎えてくれた。
思えば私の人生はこの人の父である藤原三守どのに気に入られて娘婿に選ばれ、
更には嵯峨帝に引見されて
「お前のような面白い子が側に居れば宮中も明るくなる。早く進士に及第して朝臣になってくれ」
と激励されて猛勉強し朝臣として勤め上げた結果、参議にまで出世してしまっただけの事なのだ。
身分でいえば官吏どまりで終わる筈の自分がよくぞこうして政治の中枢にいるものよ…
唐への二度の渡航失敗で遭難しかけ、三度目の上船拒否で隠岐に島流しになり、そして今日、大納言に失脚させられそうになった危機を乗り越えて帰って来て、
「今日もまた生き延びたよ」
と妻の顔を見るなり報告し、睦子と彼女との間に生まれた六人の息子の成長ぶりを見るのが今の篁の一番の楽しみとなっていた。
夕食を平らげた後でごろりと横になり、
「今日は飲みたい気分だから肴は旬のものがいいな」
と妻に酒肴の支度を頼むとそういえばこの間、と妻が「藤原良相どのからいきなり沢山の贈り物が届けられた時には驚きましたわ。置く場所に困ってしまって」ところころと鈴のなるような声を上げて思い出し笑いをした。
「ああ、その事か」
と困り笑いをした篁は、宮中で会った良相に問いただすと彼から聞かされたのはあまりにも不思議で荒唐無稽な話だった。
ゆえに誰にも話さず黙っておこうと思っていたがよし、迷惑をかけた妻には話してしまおう!と膝を打った篁は起き上がり、正対した妻に事のあらましを伝えた。
三月まえ、私は重い熱病に罹り何度も意識が遠のいた。ああ、これで死ぬのだな。と体ごと深い深い地下に引き摺り込まれ、
気がつくと私は死装束で長い列に並んでいた。
前後に並ぶ同じ服装をした者たちにここは何処なのですか?と尋ねると相手はああ、貴方はご自分が死んだ事に気づいていないのですね。ここは死者が辿り着く冥府で私たちは閻魔大王様のお裁きを受ける為こうして列に並んでいるのですよ。
と聞かされ、とうとう私は死んでしまったのか。やって来た行状を鑑みるに地獄行きだな。
と暗い気持ちで順番待ちしているとやがて私の番になり赤いお顔に大きな目と口、眉と髭を逆立てた恐ろしい形相をした閻魔様の横に…朝服姿のお前が書記官として務めているではないか!
篁、なんでここにいる⁉︎と話しかけたらお前も
良相どのもなんでここに⁉︎
貴方はまだ死んでいない筈なのに間違って魂だけ連れてこられたらしい。これは手違いなので私から閻魔さまに取り成しましょう。
とお前が閻魔様に報告すると…「この者はまだ寿命が残っているので直ちに現世に送り返すように」と閻魔さまが仰せになられた途端、私は目を覚ました。
衣服が汗で重く濡れ、私を苦しめていた高熱と痛みも消えていた。
夢かもしれないが篁、お前は私を生き返らせてくれた大恩人だ!
だから感謝の品を贈った!
「…とまで言われたから受け取ったが、私が夜寝ている間は閻魔大王の書記官をやっているだなんて実に滑稽な話じゃないか。お前に話したら笑われると思って今まで黙っていたんだ」
「あらまあ、そういうことでしたの」
その話を聞いた睦子は妙に納得し、
「命に変え難いものはありませんから夢の中でもいい事をしたと思って気にせず受け取って使えば良相どのもお喜びになる筈ですわ」
その通りだ!と妻の意見を聞いて篁は「では、頂いた品、遠慮なく使わせてもらうととするか」と決めた後で安心し、再び妻の膝枕に頭を乗せながら、
「全く、昼も夜もわたしが官職として務めているのを想像するだけでもぞっとするよ。今通っている宮中こそが伏魔殿なのに」
と言ったまま眠り込む参議小野篁、この時四十五才。
彼は三年後に文徳帝として即位する道康親王をよく助け、五十一で病を得て死ぬ直前には文徳帝何度も使者を遣わして病の原因を調べ、さらに治療の足しとするために金銭や食料を与えた。
それだけ、時の帝に頼りにされていた男だったのである。
後記
破天荒貴族、小野篁の物語四部作「篁」「進士篁」「流人篁」「参議篁」完成。
道康親王こと文徳帝に最も愛された更衣、紀静子が桐壷更衣のモデル。という説もある。
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