嵯峨野の月#136 草木の如く
第六章 嵯峨野19
草木の如く
それは神野が元の諱の賀美能であった幼き頃より父桓武帝から
「いいか賀美能、ゆくゆくは天皇となってこの国を治め、民を支える柱となるのだぞ」と
自分が生まれてきた意味。
を繰り返し聞かされ、即位してからは努めてそのようにふるまってきたつもりなのだが、
即位早々兄上皇との諍いが元で兄の側近仲成と薬子を死に追いやり、
経費不足で新都平安京の造営も東国進出もままならず度重なる旱魃で民を飢えさせたその一方で宴や狩りに興じ、
弟淳和帝や先妻の高津内親王を気苦労で早逝させてしまい身近な家族を不幸にしてしまった我儘の多い人生であった…と我が生の終わりを自覚したいま悔やまずにはいられない。
余昔し不徳を以て久しく帝位を忝うす。夙夜兢兢として黎庶(人民)を済はんことを思ふ。
然れども天下なる者は聖人の大宝なり。豈に但に愚憃微身(愚かでつたない者)の有(持ち物)のみならんや。故に万機の務を以て、賢明に委ぬ。
一林の風、素より心の愛する所。
無位無号にして山水に詣りて逍遥し、無事無為にして琴書を翫び以て澹泊ならんと思欲す。
徳のない身でありながら長く帝王として天下を預かる間、民に良くあれと願って一心に努めてきた。
しかし天下とは有徳の聖人が大切に扱うべき宝である。つたない身が長くその位置にいるわけには行かない。するだけの務めを果たして次代の優れた人物にこれを委ねた。
…静かな林に風を感じて佇むこと、それがもともとの気に入りの暮らしだった。
地位も権威もいらない。
山の辺や水のほとりを散歩し、のんびりとして何事も為さず、琴を弾き書を読んで遊び、気儘に暮らしたいと思っていた。
帝王としての豪奢な暮らしよりも元々隠者として暮らしたかった。
という父、嵯峨上皇の遺勅の最終確認に呼ばれた今年二十五才の右大臣、源常と中納言、藤原良房は
隠者として生きたかった。そう仰る割には随分お盛んになさってこられたと思うのだが。
と同じ気持ちで互いの顔を見合わせ、数日前お倒れになってから枕から頭も上がらず薬師から「上皇様はあと十日も保たぬかと」と宣告された嵯峨上皇の半白髪の御髪に乾ききった皮膚。小さく息をなさっている寝顔を見つめ、
常にどの皇族よりもご壮健で若々しくあられた上皇様が、おいたわしいことよ。と胸を痛めながら体は衰弱していてもまだ意識明瞭な上皇に「僭越ながら」と良房がにじり寄る。
「上皇さま、特にこの一文、
徳を持たない自分の死に、国費を費やしてはならぬ。
ただ土に帰るだけの遺体を埋める穴は浅く掘り、盛り土もせず、木も植えず、平らなままの地面に草の生えるにまかせるように。
を実行しては陵墓の場所すら確定しない前例のない薄葬(節税のための簡略化した天皇の葬儀)になり、後の世の者が困るのではないかと…」
と囁きかけたその瞬間、上皇の眼がくわっ、と開き、とても危篤状態とは思えぬ力で両手を差し出して良房の襟首を掴んでそのまま引き寄せ、
「遺言通りにしないと、祟るから」
とこの時代最強の脅し文句ではっきりそう告げると硬直した良房は掠れる声で「しょ、承知いたしました…」とこくこく頷き、その光景を呆気に取られて見ていた常も、
「父上の遺勅、一つも違わぬように行いますゆえどうかそのような忌み言葉だけは!」
と平伏すると上皇は強い眼で良房を睨みつけた後やっと襟元から手を離し、
勢いで尻餅を着いた良房はそこでくはっ!と息を付き、
ご遺言に背いて上皇さまにまで怨霊になられてはこの国はもうたまったものではない!
と胴震いしながらと先程の指出口を「誠に失礼致しました…」と詫びた。
常と良房が辞去すると体力を消耗した神野はまどろみの中に落ち、そこで自分は摘んできた野菊をひとりの少女の髪に挿してあげる夢を見た。
没落した家から来た、化粧もしない変わり者の侍女の噂に興味そそられて不意打ちで花を贈り、正面から一目顔を見るだけのつもりが清らかともいえる美しさに心奪われ…つい「名は?」と万葉の時代の求婚をしてしまった自分に対して相手は恥ずかしさで俯くばかり。
その仕草さえもいじらしくて自然と花を挿してあげたくなった彼女の名は…
「嘉智子」
と自分の寝言で起きた神野が目を開けるとそこには額に滲む汗を拭いてくれて
「わたくしはここにおりますわよ」
と答えてくれる嘉智子がいる。
「あなたは出会った頃と変わらず美しい」
とつぶやく夫に嘉智子はま、まあ、もう孫も居る媼ですのに。
うつろはぬ心の深くありければここらちる花春にあへるごと
(あなたはたやすく移らないお心をしっかりお持ちでいらっしゃいますので、ひどく花の散るような私でも、春の盛りに逢ったかのような思いでおります)
と照れながら歌で返した嘉智子に、
「思えば人生色んな難事に遭ってもここまで生きて来れたのは、嘉智子、ずっとあなたが側に居てくれたお陰だ。ありがとう…」
互いに十五で結婚してから連れ添った四十二年の歳月を噛み締めながら神野はまた、深い眠りに入る。
五色の霧がたなびく野原に自分は騎乗していて、左手の革袋には可愛がっていた鷹が止まっている。
遥か前方にはなだらかな丘があり、そこで騎乗して自分を待っている顔ぶれは藤原三守、藤原冬嗣、清原夏野と心から信を置いていた臣下たち。
そして淳和帝こと弟大伴、兄の伊予親王、良岑安世と先に逝った兄弟たち。
そして列の一番後ろで丘の頂上には義理の叔父で前の政変の折、退位させられそうになった自分を救ってくれた坂上田村麻呂、巨勢野足、文室綿麻呂ら歴戦の武官たち。
皆一様に穏やかな笑顔で自分を見つめている中で田村麻呂がこちらに向かって何か叫んでいるが自分には聞こえない。
自分の足元にはなぜかが金色の帯状の光が横たわっていて彼らと自分を隔てている。
「まったく…これほど大勢の臣下たちに迎えられる王が不徳なわけないじゃないですか」
といつの間にか側に控えていた若い鷹戸の声に聞き覚えがあったので、
「さてはお前、空海?」
と声をかけるとへえ、と気易く答えた空海は自ら帽子を取って剃髪の頭をつるりと撫でた。
「わざわざ変装して趣向を変えた出迎えか?呆れたやつ」
「まあそういうことで」
と目を伏せる空海から光の帯に視線を移した神野は、
「『あれ』を越えたらもう戻れないのだな」
「そうです」
「最期に一言だけ言い遺したい事がある。その間待ってくれないか?」
と空海に告げた。
「お待ちしております」
空海が合掌すると同時に神野は最後の力で目を開き、
「上皇さまが息を吹き返されました!」
と薬師が叫び、看病人たちが慌てふためく中で、自分の右手を嘉智子、左手を明鏡が涙ぐみながら握ってくれるのを確認すると
「皆、落ち着いて聞いて」
とその一声だけで室内にいる者全ての動作を止めた。
そして自分が最も愛した二人の女人に優しい眼差しを送りながら、
「私が居なくなってこれから予想もしない大変な事が起こるかもしれない。…でも、怖がらないで。
世の中の全てのことは成るようになって行くんだから、ね…」
と言い切ると静かに目を閉ざし、
「神野さま、ご放鷹《ほうよう》を!」
と今ははっきり聞こえる田村麻呂の声に促されて鷹を放ち、馬を走らせ光の帯を越え、迎えに来た臣下たちと共に丘の向こうを目指して駆けて行った。
承和九年七月十五日 (842年8月24日)
嵯峨上皇崩御。諱、神野。享年五十七才。
皇族や貴族同士、仏教勢力との争い、蝦夷との戦いが続く戦乱の世に生まれ、父桓武帝の期待のもと自分が生まれて来た意味。
この国の民の心に安寧をもたらすこと。
を常に心掛け、律令の改正や墾田永年私財法の緩和、宮中儀式の体系化、さらには空海と最澄を支援して日ノ本独特の仏教確立を推進し、その活躍多方面に渡った。
私生活では多くの子に恵まれ狩りや宴、書や漢詩をよく好み、
新都平安京に真の平安をもたらし千年の都となる礎を作った。
この夜、神野の周りには彼が愛した女人たち。橘嘉智子、明鏡、藤原緒夏、百済王貴命、交野女王。その他寵愛を受けた侍女たちが集まり、
この時期盛んに咲く芙蓉の花で夫を飾りながら
「本当に、赤子のような安らかなお顔ですわねえ」
「お若い頃もお年を召されても、そして今も花の似合う美男ぶりです」
「若い頃はこのお方の浮気ぶりに苦しんだ事もあったけれど、これは過ぎた博愛だ。と気付いた時から嫉妬するのも馬鹿らしくなって気楽にお務め出来るようになりましたわ」
「え?貴命さまも?」
「そうよ、表面気にしないふりをしていたけどね」
と長年神野に仕えてきた明鏡と貴命は互いの顔を見合わせ、思わず吹き出してしまった。
「長年のおつとめお疲れ様でした。お休みなさい、神野さま…」
二日後、遺言通りに薄葬が行われ長い年月をかけて神野の墓所は本当に何処にあるか解らなくなり、諸説を元に大覚寺の西北、嵯峨野の北にある御廟山の山頂に御廟を定めたのは、千年後の慶応になってからの事である。
或いは彼は諡号、嵯峨天皇を基に名付けられた
嵯峨野
という丘陵地帯そのものとなって眠り続けているのかもしれない。
後記
さよなら神野。
第六章 「嵯峨野」終わり。次回、最終章「檀林」に続きます。
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