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みんなのもやもや

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日々の中で『自分だけなのか?』って思うことたくさんあります。えっ?💦そう思うの自分だけ⁉️
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#エッセイ

救助、支援...。ボランティア精神は格好やその色で区別などされない垣根を超えた人間性の表れだ。親が子を不憫に思う心に近いのかもしれない。それを考えると人間皆兄弟とは言ったものだ。あとは行動あるのみ。 #能登半島地震

つらい事と幸せな事は同じ数だけある。世界中の人に公平にある。だからつらい事を乗り越えると幸せが待っている。必ず待っている。

自分に関わるものは全て借り物だと思いたいね。自分のものっていう考え自体が傲慢なんだと思う。そもそも生まれてきたこと自体が父と母からの授かりものなんだし。自分から発生した物事なんて基本真似事とか流用でしょ。だから盗るなんて最悪だよ。ましてや殺すなんてね。

全ての人は疑問という引き出しを持っている。ただそれは常に開けて自分に取り入れ、消化するために閉めることも怠らないといけない。だから過去の賢者の引き出しはボロボロだ。使い込まれた物の風合いとも似ている。古いからと簡単に捨てず、綺麗さだけの物事に惑わされないようにしたい。

儲けは簡単だと考えるとカネ、そして人に対して浅はかになる。カネを手にして有り難さを感じること、それはその先に関わる人への想いだと思う。野蛮な人間にはそれが無い。

言葉は伝えるもの。想いは伝わるもの。

本当に伝わるのは人柄だ。言葉は手段。ぶっきら棒でも短くてもいいじゃないか。本心から贈られた言葉は心に沁みる...。

いろんな名曲と言われる楽曲が世の中にあってそれを聴きながら若い世代が育っていく...。いつかこんな素晴らしいアルバムに出会える日が来るなら、せめて自分の子や近しい若い世代に1日も早く聴かせ伝えるのが、当時鳥肌を立てながら聴き入った「当時の若者世代」の使命なんじゃないかと思う。

クレーマーほど火の粉には敏感だ。

どんなに高級な車に乗っていようと、どんなに大きな家に住んでいようと汗して毎日を進んでいる人達には敵わない。

ユニセフの支援カンパ要請CMが嫌いだ。実際のシステムをよく知らないからこういう思考になるのかも知れないが、赤い羽根募金も同じ。長年行われてきているが「根本」の改善になっていないと思う。まるで北方領土問題と同様に。正直私には成す術がないし、これらに対し『微力ながら』とも思えない。

落ち込んでいる人や塞ぎ込んでいる人に「気休め」な言葉は厳禁。返って本人に傷を負わせてしまうことがある。聞いてあげること、これが一番良いはず。本人から口を開くのにも黙って頷き聞いてあげるのにも時間はかかる。でもこんな特効薬はない。「寄り添う」とはここだと思う。時間は「かける」もの。

疑問に思ったことを野ざらしにしておくとストレスも感じなくなる。楽だからだ。ただ、身体は正直者でその「ツケ」は必ずいつかやってくる。

思いを伝えるのが苦手...互いの思いを楽器で伝えることが出来たらどんなに素晴らしいことかと思う。