春のノンブル
お日様にあかるい桜の樹の下、キックボードで川沿いを走る。「零! 爛漫だな」
私は零に呼びかけた。彼は口笛を吹く横顔を見せた。軀に浴びる花びらは流れて落ちていく。川から何かが跳ねるような音がして、その滞空時間に、
「ア 𓄿」──
それから私はヒエログリフの夢を見ていたのだ。それはいつから持続していたのか記憶にないが、やがて𓄿は零に変容していった。見上げると、見下ろされている
花の舞う宙のなか、救急車を呼ぶかと零がいった。首をふって、ただでは死なない、起きない、と私はアスファルトに耳を澄ました
まだ凍てつく地下鉄の音が聴こえる。それに乗る寒そうなミイラたちを思いながら、こうしてあたたかい花に埋もれるのも炬燵みたいでありだとアスファルトから眺めやれば、意固地にならずにと手をさしのべられた
そんないいかたをしなければ、素直にきくのに。
いまいちどキックボードに乗って走り直す。宙を竜巻く花びらのなか、国の中心と呼ばれる森が近づいてくる。ミイラのひとだまも、凍結の地下から浮かび上がるのではないかと春をよろこび直す
春のノンブルは、いくつ目となるか。だがそれは生まれるまえから数えられてきた。つまりそれは生者だけのものではない。川を跳ねる音がふたたび花の宙に響く。その一拍の時間と空間における全世界、とおくエジプトのいにしえまでもと共に、春のノンブルを今年もめくる
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