井出公生

Twitter @kousei_ide Youtube→なにか起きそうで何も起きない日記

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記事一覧

2022/4/21 『声から遠く離れて』

 さっきからずっと、自分の声がいろんなところから聞こえていて、耳をふさいでも、ぼくはその声をなぞるように手を動かしてしまう。  声、やめます。二時十五分、空は快…

井出公生
1年前
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2022/10/20「書けないことについて」

 書く手、はあるけれど、小学生の時の卒業式の練習中に膝をキーボードに見立てて無意味な文字の連なりを打ち込んでいたときみたいに、いくらでも書くことができるそれは、…

井出公生
1年前

2022/12/21

 体がこの空間に属しているという物理的な位置と、私という意識や思考が何か途方もない人の関係性の中にいるということ。言葉によって切断することは容易く、悪や異常者を…

井出公生
1年前

2022/12/15

 手が自由に動かない。人が歩いている。手や足を意識しているのか。何もする気になれない。書くことも怠惰の中でやっている。周りには人がいる。この原稿は流れを作るため…

井出公生
1年前

2022/11/10 〈戦争〉

 ぼくはみんなが好きだ。  肌色の、肉とは思わせないような肌の隆起。造山活動の力と、なめらかな色。ずっとそれに触れながら、もう一方の手で本のページを操っている。…

井出公生
1年前

2022/11/07 〈遠くから見られること〉

 手を捧げる。連続的な手。一秒ごとにシャッターが切られる。水の中の手。干からびた手。その手が何かを作る。作るための手は一瞬ごとに切り取られながらもそれが連続体に…

井出公生
1年前

湖の上の女

 目をつむっても開けていても何も見えない。目の前にあるものは何色ですかと言われれば答えられる、どんな形かも言える、いつかの記憶と結びつくこともあるだろう。けれど…

井出公生
1年前
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批評と小説と詩は、どれか一つだけであってはならず、そのすべてを、行き交い、往復するように、それぞれが与え合い受け合い、分裂し、統合し、未だ来ることのないイメージと概念の海を、ぶっと待つことである。考えるだけでは実質は遅れ、全身運動だけでは捉えられず、生のままでは緑場だ。

井出公生
1年前
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2022/10/08 読むことについての手紙

「私はあなたに書くでしょう。あなたはここにいず、自分の血を飲むこともできず、川の上流の透明な水に、静かに足を通すこともできないのですから。思考とは抑制によって生…

井出公生
1年前
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2022/10/07

 ぼくたちは延長線上にいて、文字と直接対決するまでもなく時間を縫合する。しかし飛ぶ、その跳躍は全てを消すかのようだ。誰かがそこにいて、そのままぼくは、千と千尋の…

井出公生
1年前

2022/10/06

 今日から十日間四千字原稿を書く。自らをある状態に縛ること。四千字原稿状態。魚が跳ぶ。動物が水の中に入る。私たちはずっと手を見続け、その手が異常な具有物を放つと…

井出公生
1年前

2022/10/05

(意味のあることを書かない)  ずっと昔に、と過去を振り返ってみても、私には過去というものがわからないから、その意味で今この瞬間に生きているといえる。今この瞬間…

井出公生
1年前
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2022/10/03

眠いけれど、YouTubeにこれから『ファン・ゴッホの手紙』を読んでその後文章を書く、と言ったショート動画を上げてしまったので、書く。『ファン・ゴッホの手紙』は読んだ…

井出公生
1年前
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2022/09/29

 Sonny Boyのヒロイン希が、常に外の世界の光を感じ、その存在を確信していること。他のだれもがそれを感じられないとしても、それが主人公長良の向かう場所となる。  誰…

井出公生
1年前
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2022/09/23 今読んでいる本

1、中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』 『徴候・記憶・外傷』が今手元になく、代わりに読み始めた。僕は自分を何かしらの病であると自称することはない。自称して…

井出公生
1年前
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2022/09/21 今使っているもの

テキストエディタ『Ulysses』が使える。中井久夫が『こんなとき私はどうしてきたか』で「いくつものことを同時にやることを突き詰めると無限分岐、無限延長となり、それが…

井出公生
1年前
2022/4/21 『声から遠く離れて』

2022/4/21 『声から遠く離れて』

 さっきからずっと、自分の声がいろんなところから聞こえていて、耳をふさいでも、ぼくはその声をなぞるように手を動かしてしまう。
 声、やめます。二時十五分、空は快晴です。

 いつまでも同じことができないのは、体が絶えず変化しているからだと思うけれど、体というものをたったひとつのものとして扱うことに、もう疲れてしまった。豊満なうつくしい女たちが裸で海を泳いでいる。大きな胸がゆらゆらゆれて、女たちはい

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2022/10/20「書けないことについて」

2022/10/20「書けないことについて」

 書く手、はあるけれど、小学生の時の卒業式の練習中に膝をキーボードに見立てて無意味な文字の連なりを打ち込んでいたときみたいに、いくらでも書くことができるそれは、ただ、手、が動いているだけで、それが無意識から言葉を引っ張ることはあっても、書く意識、はそこにはない。
 あなたは誰よりも書いている。しかしそれは、どこにいても同じ踊りをする自由分裂踊りの一種であり、病者のアート、すなわち外へ繋がることが決

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2022/12/21

2022/12/21

 体がこの空間に属しているという物理的な位置と、私という意識や思考が何か途方もない人の関係性の中にいるということ。言葉によって切断することは容易く、悪や異常者を切り落とせばこの世はクリーンになるという考え方は、もはや考えというより考えないことによってのみ実行される言葉の持つ最も強くそして最も短絡的な捌きである。一つの言葉は宇宙を持ち、その最も危険な力とは何ものも境い目がないとすることであり、定義の

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2022/12/15

2022/12/15

 手が自由に動かない。人が歩いている。手や足を意識しているのか。何もする気になれない。書くことも怠惰の中でやっている。周りには人がいる。この原稿は流れを作るためにある。何もする気になれない。Oさんがもはや気持ちが悪い。そう言ってくれるな。手は動きの中で。動きは空間の中で。空間はその奥にあり得ないものがある。ここにぼくがいて、彼女が隣の県にいるというのに、つながること。言葉は距離を超えると言うが、も

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2022/11/10 〈戦争〉

2022/11/10 〈戦争〉

 ぼくはみんなが好きだ。
 肌色の、肉とは思わせないような肌の隆起。造山活動の力と、なめらかな色。ずっとそれに触れながら、もう一方の手で本のページを操っている。昔から霊、魔術、宗教、に取り憑かれていた。僕にできたのは、それらを言葉とすることで、光を作ることだった。
 手を、あなたに向ける。あなたは僕がいることで、色と形を変える。僕も同じように変わる。
 もしあなたがそこにいなければ、私は走り続ける

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2022/11/07 〈遠くから見られること〉

2022/11/07 〈遠くから見られること〉

 手を捧げる。連続的な手。一秒ごとにシャッターが切られる。水の中の手。干からびた手。その手が何かを作る。作るための手は一瞬ごとに切り取られながらもそれが連続体になる。水を打つ。手の限界。今ぼくは手のことしか書けない。
 すぐに出てくる言葉。湧水のように出てくる言葉。そこに連続性はいらないのか。連続することは延長し続けることであり、延長を切断しつづけるために手はあるのか。考えはどのように立ち上がる。

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湖の上の女

湖の上の女

 目をつむっても開けていても何も見えない。目の前にあるものは何色ですかと言われれば答えられる、どんな形かも言える、いつかの記憶と結びつくこともあるだろう。けれど私には何も見えない。

 見る、ということが、あなたには普通とは違う意味を含むことがあるのですね。

 あらゆるものは二重になっていると考えることができるでしょう。私は二重で、あなたも二重、この場所も二重、私とあなたの関係も二重。

 二重

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批評と小説と詩は、どれか一つだけであってはならず、そのすべてを、行き交い、往復するように、それぞれが与え合い受け合い、分裂し、統合し、未だ来ることのないイメージと概念の海を、ぶっと待つことである。考えるだけでは実質は遅れ、全身運動だけでは捉えられず、生のままでは緑場だ。

2022/10/08 読むことについての手紙

2022/10/08 読むことについての手紙

「私はあなたに書くでしょう。あなたはここにいず、自分の血を飲むこともできず、川の上流の透明な水に、静かに足を通すこともできないのですから。思考とは抑制によって生まれ得ると信じられていますが、抑制の解放によってのみ、先へ進むのです。文字は抑制の凝縮とも言うべきものです。だから、打ち込んで書くことはその凝縮を取捨することであり、信じることによってのみある言葉の神性が、音律を持って、絶えず移ろい、それを

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2022/10/07

2022/10/07

 ぼくたちは延長線上にいて、文字と直接対決するまでもなく時間を縫合する。しかし飛ぶ、その跳躍は全てを消すかのようだ。誰かがそこにいて、そのままぼくは、千と千尋のように透明になってゆく。文字は裂断を生むが、それ事態はそもそも空だ、異能だ、散弾だ全部だ。走ることがどれほどの意味を持つのかはわからないが、耐え難きを耐え、その先に続く文字を破る。声はもっと甲高く、あるいは地割れを生むような振動を孕み、絶句

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2022/10/06

2022/10/06

 今日から十日間四千字原稿を書く。自らをある状態に縛ること。四千字原稿状態。魚が跳ぶ。動物が水の中に入る。私たちはずっと手を見続け、その手が異常な具有物を放つところを、ある定点から見る。私は常に二人以上いることを、ドゥルーズが教えてくれたのか。誰かが言ったこと、誰かが書いたことを、そのまま受け取ることはできない。必ず自らに強引に翻訳をしているそれを、そうであることを知らずにまるで自分の考えのように

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2022/10/05

2022/10/05

(意味のあることを書かない)

 ずっと昔に、と過去を振り返ってみても、私には過去というものがわからないから、その意味で今この瞬間に生きているといえる。今この瞬間とは、例えば誰かを殺してしまった瞬間(私にはその体験がある)、自分が死にそうになっている瞬間(その経験は誰にでもあるだろう)。そして瞬間は分散する。たっぷりの水がミストになって広がる様を思い浮かべるといい。森は広がる、植物やきのこ類が水分

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2022/10/03

2022/10/03

眠いけれど、YouTubeにこれから『ファン・ゴッホの手紙』を読んでその後文章を書く、と言ったショート動画を上げてしまったので、書く。『ファン・ゴッホの手紙』は読んだ。今とても手紙に関心がある。手紙は、書いている時の_今_が大事になる。_今_は、その手紙が相手に届く時には、過去になる。でも、届いた手紙を読むとき、私たちは送り主が書いていたその_今_を信じる。過去でありながら今であるもの。それがSN

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2022/09/29

2022/09/29

 Sonny Boyのヒロイン希が、常に外の世界の光を感じ、その存在を確信していること。他のだれもがそれを感じられないとしても、それが主人公長良の向かう場所となる。
 誰か一人が光を見ていればいい。それが伝われば、私たちは自らの能力を最大限に発揮することができる。光のある方へ向かうことができる。
 私たちは被害者ではない。だから被害者意識を持ち続けてはいけない。

 私たちにとって自由連想的に書く

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2022/09/23 今読んでいる本

2022/09/23 今読んでいる本

1、中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』

『徴候・記憶・外傷』が今手元になく、代わりに読み始めた。僕は自分を何かしらの病であると自称することはない。自称してもいいのだが、何でもそうだが、そのとき、私たちは息苦しさを覚える。ぼくは何かを言ったり書くとき、体が抵抗しない言葉を使う以上に、え、この言葉なのか、という音律を持つ単語を、体がすっと受け入れているから使うということがある。私たちは渇いてい

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2022/09/21 今使っているもの

2022/09/21 今使っているもの

テキストエディタ『Ulysses』が使える。中井久夫が『こんなとき私はどうしてきたか』で「いくつものことを同時にやることを突き詰めると無限分岐、無限延長となり、それが発症につながる。何かをやるときはそれ一つを考えるといい」というようなことを書いていた。このエディタでは、文章をブロック化し、一つのことを一つのブロックで書いたら、次のブロックを作って書くので、繋がりを一旦保留して断片的に書くことができ

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