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2022/4/21 『声から遠く離れて』
さっきからずっと、自分の声がいろんなところから聞こえていて、耳をふさいでも、ぼくはその声をなぞるように手を動かしてしまう。
声、やめます。二時十五分、空は快晴です。
いつまでも同じことができないのは、体が絶えず変化しているからだと思うけれど、体というものをたったひとつのものとして扱うことに、もう疲れてしまった。豊満なうつくしい女たちが裸で海を泳いでいる。大きな胸がゆらゆらゆれて、女たちはい
2022/10/20「書けないことについて」
書く手、はあるけれど、小学生の時の卒業式の練習中に膝をキーボードに見立てて無意味な文字の連なりを打ち込んでいたときみたいに、いくらでも書くことができるそれは、ただ、手、が動いているだけで、それが無意識から言葉を引っ張ることはあっても、書く意識、はそこにはない。
あなたは誰よりも書いている。しかしそれは、どこにいても同じ踊りをする自由分裂踊りの一種であり、病者のアート、すなわち外へ繋がることが決
2022/12/21
体がこの空間に属しているという物理的な位置と、私という意識や思考が何か途方もない人の関係性の中にいるということ。言葉によって切断することは容易く、悪や異常者を切り落とせばこの世はクリーンになるという考え方は、もはや考えというより考えないことによってのみ実行される言葉の持つ最も強くそして最も短絡的な捌きである。一つの言葉は宇宙を持ち、その最も危険な力とは何ものも境い目がないとすることであり、定義の
もっとみる2022/11/10 〈戦争〉
ぼくはみんなが好きだ。
肌色の、肉とは思わせないような肌の隆起。造山活動の力と、なめらかな色。ずっとそれに触れながら、もう一方の手で本のページを操っている。昔から霊、魔術、宗教、に取り憑かれていた。僕にできたのは、それらを言葉とすることで、光を作ることだった。
手を、あなたに向ける。あなたは僕がいることで、色と形を変える。僕も同じように変わる。
もしあなたがそこにいなければ、私は走り続ける
2022/11/07 〈遠くから見られること〉
手を捧げる。連続的な手。一秒ごとにシャッターが切られる。水の中の手。干からびた手。その手が何かを作る。作るための手は一瞬ごとに切り取られながらもそれが連続体になる。水を打つ。手の限界。今ぼくは手のことしか書けない。
すぐに出てくる言葉。湧水のように出てくる言葉。そこに連続性はいらないのか。連続することは延長し続けることであり、延長を切断しつづけるために手はあるのか。考えはどのように立ち上がる。
2022/10/05
(意味のあることを書かない)
ずっと昔に、と過去を振り返ってみても、私には過去というものがわからないから、その意味で今この瞬間に生きているといえる。今この瞬間とは、例えば誰かを殺してしまった瞬間(私にはその体験がある)、自分が死にそうになっている瞬間(その経験は誰にでもあるだろう)。そして瞬間は分散する。たっぷりの水がミストになって広がる様を思い浮かべるといい。森は広がる、植物やきのこ類が水分
2022/10/03
眠いけれど、YouTubeにこれから『ファン・ゴッホの手紙』を読んでその後文章を書く、と言ったショート動画を上げてしまったので、書く。『ファン・ゴッホの手紙』は読んだ。今とても手紙に関心がある。手紙は、書いている時の_今_が大事になる。_今_は、その手紙が相手に届く時には、過去になる。でも、届いた手紙を読むとき、私たちは送り主が書いていたその_今_を信じる。過去でありながら今であるもの。それがSN
もっとみる2022/09/29
Sonny Boyのヒロイン希が、常に外の世界の光を感じ、その存在を確信していること。他のだれもがそれを感じられないとしても、それが主人公長良の向かう場所となる。
誰か一人が光を見ていればいい。それが伝われば、私たちは自らの能力を最大限に発揮することができる。光のある方へ向かうことができる。
私たちは被害者ではない。だから被害者意識を持ち続けてはいけない。
私たちにとって自由連想的に書く
2022/09/21 今使っているもの
テキストエディタ『Ulysses』が使える。中井久夫が『こんなとき私はどうしてきたか』で「いくつものことを同時にやることを突き詰めると無限分岐、無限延長となり、それが発症につながる。何かをやるときはそれ一つを考えるといい」というようなことを書いていた。このエディタでは、文章をブロック化し、一つのことを一つのブロックで書いたら、次のブロックを作って書くので、繋がりを一旦保留して断片的に書くことができ
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