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優しくする順番、一番は自分だから。


絶対にそんなことはないのに。
何故だか自分だけが疲弊している気がしてしまう。

あれ、なんでわたしってこんな必死になってるんだっけって。そんなことを思う暇すら与えてくれない。毎日が遅くなったり早くなったりするのはやめてほしい。けれどいつだって「辛いな」と感じながら生きたときの時間の流れは 骨の折れるものだった。


「生きる目的を考える。」

なんだか学校の授業みたいで退屈だ。
わたしは子どもの頃から窓際が好きだった。
席替えでは後ろの方の席になる運はなかったけれど、窓際の席になる運だけは持っていた。風や景色は誰しも平等だからこそ、出来るだけ多く感じていたい。今まさに黒板の文字を無視して、外の緑を眺めていたせいでこんなことになってしまっているわたしがいる。

当時は生きる目的など考える時間はなかった。いや、あったのかもしれないけれど、強いられてはなかったと思う。


"生きる"も"目的"も。
なんだかどっちも小難しい。
答えなければいけないから学校は苦手だった。
答えなければいけないから社会は苦手だった。

考えて昇華して。
わたしの中にひとつの生き物を作るのが好きで心地よかった。誰にも見せない、誰にも見えないわたしの中の生き物と会話する。

「君はこうやって生きたいんでしょう?」

そう優しく声をかけてくれる。
そんな時間が、窓際にいるように。
答えはないけれど、進みたい道にいつだって導いてくれる気がしたのだ。


弱い言葉と気色


重たい荷物は持ちたくない。
誰だってそうだ。誰かに持ってもらうのが一番楽だから。

わたしはいつだって頼まれてもいないことを背負い込む。

別に他の人に頼ればいいこと。
頼る自分に嫌悪しないためにわたしは率先して荷物を持とうとしてしまった。


わたしの職場は飲食店で。
ここ最近のお店の忙しさは、目まぐるしい勢いであった。

わたしはフリーターで。
正社員になるのをいつだって恐れている。
今も店長には社員にはならないことを伝えている。社会人になってからわたしは、人間関係や仕事の流れに対する精神的外傷を未だ抱えている。


頑張ったらまた鬱になるんじゃないかという鬱。

そんな言葉がいつだって頭をよぎる。
ひとつの自分の生きる場所を決め、そして最終的にそこで生きていけないと感じ 去っていく。その一連の選択に、わたしはどうしても立ち向かうことが出来なくなってしまったのだ。


昔は正社員としてわたしも別の会社に勤めていた。それも今や遠い過去の話のよう。外の世界は好きだったはずなのに、わたしは外の世界で折れすぎてしまった。もう一度身体を起こし、正社員になる将来をわたしは想像出来ないでいた。

それでも働いて、生きていくために。
フリーターは格好悪いと言われようと、わたしはわたしで生きていることに変わりない。今更気にするような友人の目など、とうの昔に潰しておいている。言葉が好きなわたしが、こうして毎日noteを書き。好きな本を読んだり、好きな人のnoteを読んだり出来ている。それは鬱でもなんでもない。眩し過ぎるほどの"今"を間違いなく生きることに成功しているのだ。



働くことは難しい。
その難しいことを、全員に要求してくる。
わたしは今働いているお店が好きで。そのお店で働いていることになんの後ろめたさもない。それでも日々、自分に要求されることが増え。正社員にならずともわたしの立場は日を追うごとに上がっていた。

それは喜ばしいことなのかもしれない。
過去、わたしは人間関係に悩み。
そして仕事の出来ない自分に嘆き。
そんなことを繰り返していた。
場所は変われど、今のわたしは周りのそんな事象に耳を傾ける側になっている。

人と人との関係に涙し、仕事のことで息を荒げ。そんな人間を癒す立場になってしまったのだ。
それを別に鼻にかけているわけではない。
ただ、自分で自分じゃないみたいなのだ。


わたしはそれに疲れているわけでもない。自分のやれることがあることに、間違いなく"生きる目的"を見出そうとしている。それでも最近は、家に着くなり身体が信じられないほど重くなる。
電源がいきなり落ちてしまったのか。わたしの身体は気絶する。自分でもわからないほどの疲弊をしてしまっているのか。
今日も仕事終わりに、重い瞼を跳ね除けながらnoteを書いている。あと数分後には床に吸い込まれてしまいそうだ。

今の自分の人生は"成功"しているのかもしれない。ただ他の人から見たら"成功"でもなんでもないのかもしれないが。それでもこの身体が崩れ落ちる感覚は、どこか昔と同じようで全く違うものだったのだ。


賞味する時間を。


気絶するように眠る。
わたしは日々優しい言葉を使い続ける。
過去の自分を重ね合わせるように、人に手を差し伸べ背中をさする。けれどそんな時間は気づかないうちに自分の心も薄く削れていたのだろうか。

無理をしている時は、無理をしているとなかなか気づきにくい。実際わたしが昔無理をし、人生を投げ捨てようとした時は気づく気づかないの話ですらなかった。

だからこそ、日々優しくしておきたい。それは自分を。

このnoteはもう自分に宛てているのかもしれない。誰かに読んでもらうために書いていたのに、いつしか自分で自分に言葉を送る気色悪さを身につけてしまった。


今にも疲れで気を失ってしまいそうだ。
それでもわたしはわたしを生きる。

明日わたしは休みだ。
眠ってしまうのはもったいない。

雨の音を聴きながらチーズケーキを食べる。
読みたい本を読む、そして煙草の匂いに包まれながら湯船に浸かりたい。自分のことを優しくする時間、いつも忘れそうになるのでこうして書いておく。良いことをした、今日は。

なんだか ただわたしがわたしと話をしていただけみたい。それでもどこかの誰かが自分に優しくする切っ掛けにしてくれたら、それはもう。


優しくて弱くて強い人になれたらいいな。
今日はよく眠れそうね。


書き続ける勇気になっています。