2023年12月の記事一覧
大貫隆『隙間だらけの聖書』(教文館、1993年)を読んで。
どんな書物も時が経てば隙間が生じる。それは今書かれた書物でさえ、書き手の手を離れればそうなるのである。同時代の著者であれば、読み手の反応に応じてそれに答える本を書くことである程度はその隙間を埋めることもできよう。しかし聖書となるとそうはいかない。古典と呼ばれる書物が抱える時代的制約に増して、それぞれの文章が書かれた状況が重層的である新約聖書はなおさらである。わたしたちがいま手にして読むことのでき
もっとみる信仰に対する雑感-聖書はイスラエルのガザ・パレスチナ侵攻を正当化しているのか-
現在、イスラエルによるパレスチナへの武力鎮圧によって多くのパレスチナ人は生命、財産を奪われ、また生活苦にあえぐことを余儀なくされています。この問題に対する背景は日々のニュース解説などでも紹介されていますが、今回の記事は私のキリスト教信仰を省みることも含めて、聖書的にどのように解釈すべきなのかについての私の想いをつづっています。
読者の皆さんの大半は非キリスト教徒であり、非アブラハムの宗教(※
立場をわきまえず語る
このところ、自らの性的な欲望について語り続けている。書きたいことは今、それしかない。
ときおり同僚から言われる。「そんな欲望をひそかに抱えている牧師も、じつは多いのではないか」と。断っておくが、わたしは自分の性的な苦悩を普遍化したい意図はない。わたしにとって、わたしの性的な苦しみは「わたしの」それなのであり、「じつはアンタも同じように助平なんでしょう」と囁きたいのではない。じっさい、「この人には