こうして私は、クリスチャンコミュニティから完全に離れた


まえの記事で書いたように、私はとある宗派のキリスト教会(私のいたところとは違うけど、ここも老舗大手)で、電力関係者家族へのいじめを目撃しました。

(詳細は下の記事に書いてあります)


東日本大震災の原発事故から、2、3年くらいのときでした。
その時期は、当時関わっていたクリスチャンたちのfacebookは電力会社への攻撃でいっぱいでした。

東電の事故は許されることではありませんし、人生が変わってしまった方も沢山います。それでも、常軌を逸している投稿があったのは事実です。

「電力会社がやっている検針は、電力使用量を見るふりをして各家庭に盗聴器を仕掛けている」とか…。

そして選挙があれば、
「既得権益が滅び去る結果になりますように」
と投稿している人もいました。

盗聴器はいくらなんでも誹謗中傷もいいところだし、生身の人間が働いているところに「滅び去る」という言葉はないだろうと…。

元々私はFacebookをクリスチャン以外の人たちとの交流をメインに使っていました。繋がっている人たちの一部にクリスチャンもいたという状況でした。

ただ一部の過激な主張をするクリスチャンは、頻繁に投稿するので、Facebookのアプリを起動するたびに攻撃的な投稿ばかりが目に入ります。

他者の攻撃的なことばに接しつづけるのは、すごく疲れます。この人たち(正義感の強すぎるクリスチャン)のコミュニティから抜け出さないと、私のメンタルのバランスがおかしくなってしまう…。


私はFacebookを退会しました。
しばらくて再登録し、クリスチャンコミュニティ以外の友人知人に一人ずつ友達申請をしていきました。
私はこのとき以来、クリスチャンのコミュニティとは付き合っていません。

キリスト教を相対化した今となっては、単純に信仰を前提にした会話が苦しくて、やはりお付き合いは難しいと思います。


この数ヶ月後、クリスマスのいじめ事件が起きた教会の牧師が新聞で、人権週間のインタビューに答えていました。職業差別をしている人が人権か…ひどく白けた気分になったのを思い出します。

私は元々、その牧師さんのことが好きでした。
周りの人たちは牧師さんを、「牧師先生」と呼ばずに苗字にさん付けで呼んでいました。
同性カップルの結婚式の司式もしていました。
今でも極端な政治思想をのぞけば、それ以外にも尊敬していることは沢山あります。

だからこそ悲しかった。
この方であっても「自分は正義の側にいる」という信念からくる「相手を悪と決めれば、どんな攻撃をしても良いのだ」という思考回路から抜け出せないのかと残念でたまりませんでした。

あの事件がこの方の教会で起きたからこそ、選民意識や我こそが正しい側にいるという自意識を抱えたクリスチャンに共通する問題点に気づけたのだと思います。

信じるのは自由。
でもその信じるものをふりかざして、他者への尊重を忘れがちな人たちとは距離を置きたい。

それが今の私の立場です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?