牧師・沼田和也

牧師をしながら、日々あれこれ考えています。

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    • 生きること、死ぬこと、そのむこう

      牧師として、人の生死や生きづらさの問題について、できるだけ無宗教の人とも分かちあえるようなエッセーを書いています。一度ご購入頂きますと、過去の記事、今後更新される記事の全てをご覧いただけるようになります。追加料金はございません。記事は200以上ありますので、ごゆっくりお楽しみください。

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    プールサイドから、どぼん

    「あなたがたのうちの誰が、思い煩ったからといって、寿命を僅かでも延ばすことができようか。」マタイによる福音書6章27節 聖書協会共同訳 先日、この聖句を呟いたところ、「古代であっても人々は当時なりの手当てを懸命にしただろうし、『寿命などしょせん伸ばせやしない』と最初から諦めるなんて、いくらなんでも投げやりで、あまりにも上からの一方的な決めつけの感じがする」と、そういう趣旨の率直な感想をいただいた。わたしはその人の言葉に嫌悪を覚えるどころか、他ならぬわたし自身が長い年月格闘し

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      • 限界にぶつかったこと。イエスに再度「行け」と言われたこと。

        'イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 『わたしが

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        • イエスは幼子を可愛らしく語ったのか

          'そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。 そうです、父よ、これは御心に適うことでした。 すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません。 疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。 わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学

          • 問いのなかで本を書く

            今回、本を出すことになった。 お世辞にも素晴らしいとは言い難い、むしろ深い傷痕が今でも疼く体験を、長い原稿にまとめるというのは、苦しい営みであった。書きながら、忘れていたこと、忘れていたかったことが、次々と鮮明に、今目の前で起こっているかのように想いだされて、「もう書くのやめたいな」と何度か思った。 しかも、矛盾するのだが、書いていて喜びも感じていた。「おっさんは自分語りをするのが好きだ」とはよく言われることではある。わたしも漏れなくその一人であるらしい。自分の過去を振り

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          • 生きること、死ぬこと、そのむこう
            牧師・沼田和也
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            奇跡に見えない奇跡

            'すると、何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、「先生、しるしを見せてください」と言った。 イエスはお答えになった。「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。 つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる。 ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここ

            顔を喪う。だから顔を求める。

            大切な人を亡くし、その人との今までのメールなどを読み返していた。数年分あるので、かなりの量がある。亡くなる数日前までやりとりをしていた。 今まではメールを送信すれば、なんらかの返信があった。その人の考え方を、その人本人に訊けばよかった。しかしその人は世を去った。メールのやりとりは、譬えるならば、今や一冊の本として綴じられた。だから今後は「この人は、このときどう考えていたのだろう」、「今、この状況で、この人ならどんなことを考え、言葉にするだろうか」、そうしたことどもを、わたし

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            相談者が去るとき

            奥田知志牧師が、自身の伴走型支援に関連して、次のような言葉をどこかで語っていた記憶がある。出典が想いだせないのがもどかしい。講演で聴いたのかもしれない。それは 「来る者は拒まず。去る者はどこまでも追いかける。」 上記の表現が正確かは分からないが、要するにそういう趣旨の言葉であった。そして、わたしはこの言葉を聴いて、「そうだ、これだ!」と、腑の深いところに落ちるものがあったのである。

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            ただ復活したんじゃないよ ~イースターに寄せて~

            'さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。 すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。 その姿は稲妻のように輝き、衣は雪のように白かった。 番兵たちは、恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、 あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活な

            自らの自由を差し控える自由

            ツイッターでポリティカル・コレクトネスや、いわゆるリベラルと呼ばれる態度に関する批判を見ていると、おおむね以下のようなものに集約されるように思われる。 ・リベラリストは多様性を重んじるというわりには、自分と異なる見解の者を容易に排除する。 ・ポリティカル・コレクトネスの流れはマイノリティの権利を守ろうとするが、結果的に表現のあら探しをし、流れから逸脱したとみなされた人間を社会的に抹殺する。 たしかに、そういう危険で先鋭化した部分があることは否定できない。魔女狩りや文化大革

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            理由の理由はあるのか

            共同幻想とか想像の共同体といった言葉がある。たとえば国家とか民族とかいうのは、わたしが日本全体をいっきに見渡したりすることはできない以上、想像でとらえているものである。そういう意味で、それは幻想であり、かつ、いちいち「あなたも日本人ですよね」と尋ねることもなく、なんとなく相手もわたしと日本語で通じるだろうという意味で、共同の想像あるいは幻想だということである。 想像や幻想であるからといって、それはたんなる概念にすぎないのでもない。たしかにわたしは日本全体をいっきに見渡すこと

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            痛む者同士でさえ痛みを分かちあえない

            '兵士たちは出て行くと、シモンという名前のキレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に担がせた。 そして、ゴルゴタという所、すなわち「されこうべの場所」に着くと、 苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめただけで、飲もうとされなかった。 彼らはイエスを十字架につけると、くじを引いてその服を分け合い、 そこに座って見張りをしていた。 イエスの頭の上には、「これはユダヤ人の王イエスである」と書いた罪状書きを掲げた。 折から、イエスと一緒に二人の強盗が、一人は右

            感情表現が許される環境

            わたしはよく、友人から「何を考えているかすぐ分かる」と笑われる。困った顔、緊張している顔、不機嫌な顔、心底喜んでいる顔...ようするに、すぐに顔に出てしまうということである。自分のうちに湧き上がる感情を隠すことが下手ということである。 ところで、自分の感情を隠すのが下手であるということは、以下のようにも言える。すなわち「自分の感情を隠さなくても困らない環境で生きてきた」と。自分が喜怒哀楽を表に出したときに、それを受け容れてくれる誰かがつねに自分の周りにいる。たまたま周りにい

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            マウンティングからおりる

            'そのとき、ゼベダイの息子たちの母が、その二人の息子と一緒にイエスのところに来て、ひれ伏し、何かを願おうとした。 イエスが、「何が望みか」と言われると、彼女は言った。「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください。」 イエスはお答えになった。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲もうとしている杯を飲むことができるか。」二人が、「できます」と言うと、 イエスは言われた。「確かに、あなたが

            マクロとミクロとの緊張

            人と関わる仕事を持つ人は、いわゆる「極端な思想」に至りやすいか。

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            悟る

            '六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。 イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。 見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。 ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」 ペトロがこう話しているうちに

            わたしの曖昧な喪失

            お世話になった人が、亡くなった。

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