限界にぶつかったこと。イエスに再度「行け」と言われたこと。
'イエスはそこをたち、通りがかりに、マタイという人が収税所に座っているのを見かけて、「わたしに従いなさい」と言われた。彼は立ち上がってイエスに従った。 イエスがその家で食事をしておられたときのことである。徴税人や罪人も大勢やって来て、イエスや弟子たちと同席していた。 ファリサイ派の人々はこれを見て、弟子たちに、「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と言った。 イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。 『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」 'マタイによる福音書 9:9-13 新共同訳
「『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」。イエスが引用する「わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない」というのはホセア書6章6節である。それがどういう意味なのか、行って学びなさいという。どこに行ってこいとイエスは語っているのか。律法学者のところに行って勉強しなおしてこいという意味なのか。神殿に行って祭司に教えてもらってこいという意味なのか。
そもそも、このやりとりはどうやって始まったのか。ファリサイ派の人々が「なぜ、あなたたちの先生は徴税人や罪人と一緒に食事をするのか」と問うたのが、やりとりのきっかけである。では、ファリサイ派の人々はイエスの何に対して苛立ちを、あるいは怒りを覚えたのか。
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