マガジンのカバー画像

歴史考察

662
歴史について考察した記事をまとめています。
運営しているクリエイター

#家康

鉄砲と、キリスト教と、フィリピンと

鉄砲と、キリスト教と、フィリピンと

「戦国時代」は、日本史の転換点の一つです。

鉄砲とキリスト教が伝わった。
織田信長は「鉄砲の大量使用」と
「キリスト教徒の国との貿易」を行い、
天下布武に向けて、大きく前進した…。

戦国時代が終わることに
影響を与えた出来事ですよね!
ただ、もう少し広いスパンで考えた時、
この二つの出来事は、その後の日本史にも、
また世界史的にも大きな意味を持っている…。

本記事では、鉄砲とキリスト教の伝来

もっとみる
ベッチョベチョだった江戸

ベッチョベチョだった江戸

東京、昔の江戸は、「沼」でした。

えっと、違いますよ?

文字通りの「沼」だったんです。
ベッチョベチョ。泥だらけ。

本記事では、関東の覇者だった
「後北条氏」が滅亡して、
徳川家康が関東を任された後の
江戸の街づくりのお話を書いていきます。

1590年「イッコクマルク 治める秀吉」、
豊臣秀吉は小田原城を包囲して、
後北条氏を倒し、滅亡させました。
広大な関東地方が手に入った。
これを、徳

もっとみる
桶狭間の後、どうする家康?

桶狭間の後、どうする家康?

桶狭間の戦いで「海道一の弓取り」と呼ばれた
今川義元は、命を失います。

織田信長からすれば、会心の一撃!
今川軍からすれば、痛恨の一撃!
後の徳川家康、松平元康からすれば
まさかの一撃なのでした。

負けるはずの「うつけ」の織田信長。
彼が「窮鼠猫を嚙む」がごとく反撃し、
今川義元を討ち取った…!

「シンジラレナーイ!」という事態です。

1560年。

ここから戦国時代が予想もしない方向に

もっとみる
破壊王 交渉王に 学習王

破壊王 交渉王に 学習王

信長、秀吉、家康は、キャラが立っている。

このたび五回にわたって、
戦国時代~安土桃山時代の記事を投稿し、
改めてそう思いました。

本記事は、ちょっと振り返りで書いてみます。

五回の記事のタイトルはこちら。

①武田勝頼の誤算、長篠よりも

②どうする勝頼、高天神城

③どうした信忠、本能寺の選択

④天下分け目の小牧・長久手

⑤本当に『関ケ原』は天下分け目だったのか?

織田信長、豊臣秀

もっとみる
本当に『関ケ原』は天下分け目だったのか?

本当に『関ケ原』は天下分け目だったのか?

徳川家康が天下を取った「関ケ原の戦い」!
1600年!

…というのが、一般的な認識。
ですが、この「関ケ原の戦い」は、
本当に、天下分け目の戦いだったのか?

後付けで歴史を見れば、そうでしょう。
しかし「その当時の人々の視点」から言えば、
この戦いに勝ったその当時だけで、
即、徳川家康が天下人!とは言い切れなかった。
まだ、紛れがあった。

本記事では、そのあたりを書いてみます。

いかにも「

もっとみる
天下分け目の小牧・長久手

天下分け目の小牧・長久手

「関ケ原の戦い」は有名。比べて、
「小牧・長久手の戦い」は少しマニアック。
こまき・ながくてのたたかい、です。

そんな風に考えてしまう人も、多い。

ですが実はこの戦い、
関ケ原の戦いに負けず劣らずの
「天下分け目の大決戦」だったのです。

戦国時代の三英傑と言えば、
信長・秀吉・家康!ですよね。

ですが「信長 VS 秀吉」は、ない。
秀吉は信長の家臣でしたから。
さらに「信長 VS 家康」も

もっとみる
どうする勝頼、高天神城

どうする勝頼、高天神城

太平洋に面した静岡県掛川市に、城がありました。
その名も「高天神城(たかてんじんじょう)」。

今は、ありません。
なぜなら徳川家康の手によって破却されたから。
城跡が、その名残を留めているに過ぎない。

掛川駅の近くには有名な「掛川城」がありますが、
これは1994年に天守が再建されたもの。
こういう「いかにも城らしい城」とは違う。
地味な城です。

しかし戦国時代の日本の行方を左右したほどの

もっとみる
高天神崩れと取捨選択

高天神崩れと取捨選択

太平洋に面した静岡県掛川市に、城がありました。
その名も「高天神城(たかてんじんじょう)」。

今は、ありません。
なぜなら徳川家康の手によって破却されたから。
城跡が、その名残を留めているに過ぎない。

掛川駅の近くには有名な「掛川城」がありますが、
これは1994年に天守が再建されたもの。
こういう「いかにも城らしい城」とは異なる城。
戦国時代の日本の行方を左右したほどの
劇的な歴史が、この高

もっとみる
戦国大名たちから学ぶ家康

戦国大名たちから学ぶ家康

江戸時代が長く続いたのはみんな知っていますが、
「なぜ」長く続いたのか?と聞くと
色々な答えが返ってくると思います。

いずれも、なるほどそうかもな、
と思えるような理由ではありますが、

そのうちの一つに、江戸幕府の創始者である
徳川家康の尋常でないほどの
「ラーニング能力」があったように思います。

どこから「ラーニング」したのか?

彼は戦国人ですが、読書人でもあり、
「吾妻鏡」などの本を読

もっとみる
小牧・長久手の戦い、実は

小牧・長久手の戦い、実は

「関ケ原の戦い」はあまりにも有名なのに比べ、
「小牧・長久手の戦い」はちょっとマニアック。
こまき・ながくてのたたかい。

そんな風に考えてしまう人も、多い。
ですが実はこの戦い、
関ケ原の戦いに負けず劣らずの
「天下分け目の大決戦」だったのです。

本記事では色々な側面から
この戦いを書いてみたいと思います。

①そもそも、どこ?

「小牧」(こまき)は、
愛知県の名古屋の北のあたりです。
織田

もっとみる
信長の軍師、…思い浮かばない

信長の軍師、…思い浮かばない

秀吉や家康なら、すぐ思い浮かぶんですがね。

本記事は、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康、
3人の歴史上の人物の「軍師」について
つらつらと書いてみようと思います。
実用地歴提案会ヒストジオですので。

①織田信長の軍師…って、いなさそうじゃないですか?

強いて言えば、明智光秀とか秀吉ですが、
彼らは「一緒に天下布武を進めた家臣」で、
「信長さま、次はこうでああで…」と
助言をして補う、軍師のイメー

もっとみる